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第三章 ロイヤルヴァージン

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「おはようかすみん」
 私が学校に着くとA組の下駄箱で千歳ちゃんに出迎えられた。私はそれに「おはよう。今日は早いね」と返した。実は私も今日は普段よりだいぶ早く登校したのだ。時刻は七時一五分。部活の朝練でもなければ来ないような時間だと思う。
「うん。……てか、かすみんも早く来そうだと思って待ってたんだ。昨日の今日だしね」
「そっか……。とりあえず教室行く?」
「だねぇ」
 それから私たちは誰もいない廊下を歩いて教室に向かった。リノリウムの床と学校の行事を載せた掲示板。薄暗い中でその役目を果たさない蛍光灯とシミのある天井。私たちの視界にはそんな死に損ないの景色しかなかった。生徒がいないと学校ってこんなに寂れて見えるのか……。と少し薄気味悪く感じる。
 教室に着くと互いの席に座った。そして教科書類をしまうと千歳ちゃんが私の隣の席までやってきて横向きに座った。彼女の座った椅子の背面には『奥寺澪』というネームラベルが貼られている。
「澪ちん来るまでここ借りるよ」
 千歳ちゃんはそう言うと「ふぅ」とため息を吐いて天を仰いだ。そして「さて……。どうしたもんかなぁ」と呟く。
「私は……。まずフジやんくんの話が訊きたいかな。千歳ちゃんからは訊いたけどやっぱり本人からの情報は欲しいし」
「ま、かすみん的にはそうだよね。つーかウチがかすみんでも同じこと考えると思う……。でもねぇ。正直今のフジやんに話訊くのはちょっとキツいかもなんだよね。だってさ! ちょろっと訊いただけでだいぶイカれてたもん。フジやんの話的にはお嬢がどうとかってよりも親衛隊の連中がだけどさ」
 千歳ちゃんはそう言うと胸ポケットから四つ折りのルーズリーフを取り出してそれを私に差し出した。
「これは?」
「見てみ? ウチの手書きだから汚いけどB組の相関図? 的なの書いたんだ」
「そっか」
 それから私はその相関図? を開いた。そこにはB組の中でも意見が強い子たちの名前が何人か書かれていた。太田まりあ、原田達夫、桜井蓮奈、小御門研人……。そして藤岡翔弥。全員聞き覚えのある名前だ。
「とりまこれが今回のいじめ事件の関係者だね。お嬢とその取り巻き」
「なんか……。全員だね」
「そうなんだよね。ぶるじょわぁな子たちって感じ?」
 千歳ちゃんはそう言うとやれやれといった感じに首を横に振った――。
 
 その後、私たちは何の解決策も見つけられないままホームルームの時間になった。そしてそれが終わると何の変化もない数学の授業が始まった。授業内容は余弦定理。要は普通な普通学科の授業だ。
 ホワイトボードに数式が書き込まれる。澪ちゃんが先生に指名されてその問題に卒なく答える。先生が「さすが奥寺!」と澪ちゃんを褒める。澪ちゃんがそれに「あ、はい」と素っ気なく返す……。そんな飽き飽きするぐらい平和な授業だ。これといって事件はない。いじめもなければ妬み嫉みもない。
 思えばA組はずっとこんな感じなのだ。おそらくそれはA組が職人育成に特化したクラスだからなのだと思う。よく言えば大らかでマイペースで独創的。悪く言えば……。一人一人が勝手で協調性がないのだと思う。
 ちなみにB組は職人というよりは経営者育成のクラスだ。アパレル業界の流通やトレンドのつかみ方。そんな授業が多いらしい。まぁ……。私自身A組の人間なのでB組の授業や雰囲気は聞きかじりの情報しか知らないのだけれど。
 私はそんなことを考えながらホワイトボードに書かれた数式をノートに書き写していった。普段と変わらない授業に少し辟易した――。

 一限目の終わり。私は千歳ちゃんから受け取ったルーズリーフを眺めていた。そしてそこに書かれているひとりひとりの顔を思い浮かべた。原田くん、桜井さん、小御門くん、そして太田さん……。学内の事情を考えるとなかなか濃いメンツだ。彼らは多かれ少なかれ花見川高校卒業後の進路に関わるような企業の子供たちなのだ。千歳ちゃんの言うとおり『ぶるじょわぁ』なのだと思う。
 
『ロイヤルヴァージン』 太田アキラ
『ストレッサ』 原田修司
『シシー』 桜井知加子
『バックパッカー』 小御門良平

 私はルーズリーフの彼らの名前の下に彼らの親と会社名を書き込んだ。そして書いてみてそこに載る全員が叔父とは折り合いが悪い……。いや、叔父を毛嫌いしていることに気がついた。本当に叔父はアパレル業界内では鼻つまみ者なのだ。才能を除ければ誰も評価なんかしない。そういう人間なのだと思う。
 叔父は良くも悪くも一匹狼なのだ。業界の慣習やらパワーバランスなんかクソクラエ。そう思っているに違いない。本人曰く『俺はチンピラメンタルだから平気平気』とのことだ。……まぁ、言いたいことは分かる。だって私も叔父に似てチンピラメンタルなのだから――。
 
 二限目。ファッションコーディネートの授業。私は澪ちゃんと組んで互いのコーデ画の意見を交換した。思えば澪ちゃんとは学校に入ってから授業で毎回ペアを組んでいる気がする。
「うーん。それだとちょっと地味になっちゃうよね。スカーフの色変えてみたら?」
 澪ちゃんはそう言うと私の描いたコーデに鉛筆で『スカーフを濃紺にするといいかも!』と薄く書いてくれた。私はそれを「ありがとう」と受け取る。
「香澄ちゃんの使う色味ってまとまり重視って感じだからさ。もうちょい冒険してもいいかも」
「うーん。分かってるんだけどさ……。どうしても無難にしちゃうんだよね」
「まぁ……。分かるよ。私もそうなるときあるからさ。でもそれだと全部同じようなデザインになっちゃうんだよね。どうしても型だけで工夫すると単調になっちゃうっていうか……。ね」
 澪ちゃんはそう言うと「うーん」と唸った。そして自身の描いたコーデを人差し指の甲ででトントン叩く。
「でもまぁ……。私は私で練り直し必要かな。香澄ちゃんとは逆で色味が浮いちゃってるし」
 澪ちゃんはそう言うとスケッチブックを捲った。そして「むずいね」と笑う。
「難しいよねー。私も描き直そうかな」
「お互いそれがいいかもね。まだ時間あるし」
 それから私たちは少し描いては互いのコーデを見せ合いっこした。そして互いの良いところと悪いところを言い合った。澪ちゃんは色について。私はカタチについて。それぞれ意見を出し合った。私たちは長所と短所が真逆なのだ。
「そういえば……。委員長会ってどんな感じ?」
 私は澪ちゃんにそう話を振った。理由は澪ちゃんがA組の学級委員長で太田さんがB組の学級委員長だから。要は太田さんについて探りを入れたわけだ。ちなみに委員長会というのは学年ごとに設けられた各クラスの委員長で結成された会議だ。一応は生徒会の下部組織……。みたいなものだと思う。
「どうって……。普通だよ? D組だけ普通科だから発言少なかったけど……。ABCはいつも通りかな?」
「そっか……。B組の太田さんとは何か話した?」
「太田さん? ああ、マリーね。あの子とは……。一〇月にあるコンペの話したくらいかな。ほら! 秋期コンペってRV主催だからさ」
 澪ちゃんはそう言うと机から一冊の冊子を取り出した。冊子には『ロイヤルヴァージン主催 フラワーモチーフコンペティション』と書かれている。
「もうそんな時期だったね……。澪ちゃんは何か出すの?」
「うーん。出さないわけにもいかないかな……。一応学級委員として参加だけはしなきゃだしね。香澄ちゃんは? 夏は参加してたよね?」
「今回は……。どうしようかなぁ」
「……ま、参加するなら早めに申し込んどいた方がいいよ。来週頭には締め切りだからね」
 澪ちゃんはそう言うと私にその冊子を何冊か分けてくれた。そして「良かったら参加してみてね」と言った――。
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