3 / 49
第一章 アンダーグラウンド幕張
2
しおりを挟む二二時。私は鹿の蔵から真っ直ぐ自宅に戻った。UGから鹿の蔵へ。そして寄り道せずに帰宅。これは私が毎日のように通るルートだ。
JR海浜幕張駅前を通り越し裏路地に入る。そして少し進むと私の住むマンションが見えてきた。幕張新都心開発で作られた高層マンション。それが私と両親の家だ。まぁ……。両親はほとんどのこの家に帰ってはこないのだけれど。
私の両親はほぼ毎日、会社近くの安アパートで寝泊まりしているのだ。理由は朝の渋滞に巻き込まれたくないから……。なかなか無精な理由だと思う。
だから私は毎日のように学校帰りに叔父叔母のところにいるわけだ。仕事中毒の両親とアパレル店長で服飾の師匠の叔父。そして母親のように私を育ててくれた叔母。それが今の私を作ったのだと思う。
自宅に着くとすぐにバスルームに向かった。そしてメイクを落としてから熱めのシャワーで汗を流した。最高に心地良い。長かった一日もこれでおしまい。今日もお疲れ様。そんな気分だ。
シャワーを浴び終わると私は浴槽に身を沈めた。そして洗い立ての長い髪を指でなぞった。けっこう伸びている。最後にバッサリ切ったのは一年前だっけ……。そろそろ切ったほうがいいかも。そんなことを思った。正直長い髪は日常生活を送る上でこの上なく邪魔なのだ。まぁ、そうは言ってもせっかくここまで伸ばしたのに切るのは勿体ないとも思うのだけれど。
それから私は一〇分ほど温まるとバスルームから出た。そして水色のルームウェアに着替えると叔母から貰ったまかないを食べた。今日のまかないはサワラの西京漬けとけんちん汁。なかなか健康的なメニューだと思う。
私はそんな叔母の愛情の籠もった手料理をゆっくりと味わった。そして食べ終わる頃には私の胃と心はすっかり満たされていた。叔母は真の意味で料理上手なのだ。そこには料理の腕と真心。その両方がきちんと備わっているように感じる。
二三時。私は寝る前に明日学校で使う裁縫道具を準備した。針と糸とはさみとスケッチブックと……。そんな風にひとつずつ点検しながらスクールバッグに詰めていった。これらは私の大切な道具たちなのだ。商売道具であり私の夢を叶えるための相棒。だから自然と扱い方が丁寧になる。
明日の準備が終わると私はすぐに布団に入った。そして瞼を閉じるとあっという間に意識が遠のいていった――。
その夜。私は幼い日の夢を見た。そこには両親と叔父叔母、そして出雲さんとその姪っ子の弥生ちゃんの姿があった。大人たちは今より少しだけ若い。そして私と弥生ちゃんはまだ小学生だ。
「いやぁ義兄さん。今回はお世話になりました」
叔父はそう言って父に対して頭を下げた。父はそれに「いえいえ」と返すと母に視線を送った。そこには『僕は何もしていません』という意味が含まれているように感じる。
「まぁ……。こうして無事開店にこぎ着けられたようで何よりです」
父は歯切れ悪く言うと不器用な笑みを浮かべた。父はいつもこうだ。困ると眉間に皺を寄せて苦笑い。そんな顔ばかりしている気がする。
「丈治くん! 美也の隣に並んで並んで! 写真撮るから」
そうこうしていると母が叔父を呼んだ。今日は鹿の蔵のオープン日。だから蔵田夫妻の記念撮影をするらしい。
「んー。美也ちょっと左ズレて。あ、丈治さん前髪乱れてるよ」
母はそう言って携帯を構えた。叔母はそれに対して「お姉ちゃんって仕切りたがりだよね」と皮肉を言った。母はその皮肉を「そう?」と軽く聞き流す。
それから母は携帯と一眼レフカメラを使って何枚も写真を撮った。そして店外での撮影が一通り終わると「内装も撮らせて」と言って店の中に入っていった。まるで自分の店みたいに我が物顔。そんな風に見える。
「義姉さん張り切ってるね」
叔父は苦笑気味にそう呟くと小さくため息を吐いた。叔母もそれに乗っかるように「お姉ちゃんっていつもこう」とぼやいた。気持ちは分かる。母は仕切りたがり屋なのだ。独善的で自分勝手で優しくてパワフル。よく言えば天真爛漫。悪く言えば……。傍若無人な人だと思う。
「元気な人ね」
不意に出雲さんがそう言って叔父に笑いかけた。そして出雲さんは「察するよ」と小声で続けた。もう叔母の姿はない。どうやら叔母は母に引きずられて店内撮影の手伝いに入ったようだ。
「ありがとうございます。でもまぁ……。美也の店作れたのはお義姉さんのお陰なんで俺は何も言えないですよ」
叔父は非常にありがた迷惑な顔で言うと「本当にそう思います」と続けた。それに対して出雲さんは「本当に察するよ」と叔父の肩を軽くポンと叩いた。おそらくこの二人の間には余計な言葉はいらないのだ。出雲さんはある意味叔母よりも叔父のことを深く理解しているのだろう。
そうこうしていると店内から叔母の「ご飯にするよー」という声が聞こえた。私はその声に「はーい」と返事すると弥生ちゃんの手を引いて店の中に入った――。
そこで私の夢を途切れた。そして目が覚めると布団の感触が妙に温かく感じた。顔が冷たい。どうやら今朝はだいぶ冷え込んでいるようだ。
反射的に机の上のデジタル時計に目を遣る。そこには『5:16』という数字が薄暗い中に浮かんでいた。カーテンから差し込む日の光と消えかかった夜の気配が入り交じる。
それから私はしばらく布団の中で夢の残り香を味わっていた。まだ両親がそこまで忙しくなかった。そんな日々の淡い記憶を――。
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~
海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。
そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。
そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
Ambitious! ~The birth of Venus~
海獺屋ぼの
ライト文芸
松田大志は大学を卒業後、上京して機器メーカーに就職していた。
彼には地元にいた頃から、バンドをともしてきた仲間がいた。
ヴォーカルの裏月、幼なじみでベースの純。
彼らは都会の生活に押しつぶされながらもどうにか夢を掴むために奔走する。
そして神様はチャンスを与える……。
願うこととその対価について描いたライト青春小説。
《月の女神と夜の女王》のスピンオフ後日談です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
井の頭第三貯水池のラッコ
海獺屋ぼの
ライト文芸
井の頭第三貯水池にはラッコが住んでいた。彼は貝や魚を食べ、そして小説を書いて過ごしていた。
そんな彼の周りで人間たちは様々な日常を送っていた。
ラッコと人間の交流を描く三編のオムニバスライト文芸作品。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる