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第三章 秋川千鶴の場合

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「君の話を聞かせてよ」
 とその光の人間は言った。口調から察するに敵意はないようだ。
「いいよ。どんな話をしようか?」
「そうだね……。じゃあ君が生まれ育った冷たい海について教えて」
 光の人間はそう言うとその場に腰を下ろした。彼の座った部分にクジラの体内が反射して赤く光っている。
 それから僕は生まれ育った海について彼に話した。母親に大事に育てられたこと。そして巣立ってからは必死で魚採りをしたこと。そんな僕にとってのかつての日常の話だ。別段面白い話でもない。はっきり言って並のラッコのラッコライフでしかないと思う。
「へー。じゃあ君はシャチに襲われて逃げたところを人間に捕まったんだね?」
「たぶんね」
「たぶん? はっきりしないね」
「うん。シャチから逃げて、気がついたら人間たちに囲まれてたからね。正直、どうしてそうなったか見当もつかないんだ」
 これは本当のことだ。ヒレ三日月のシャチに襲われたときから水族館で目覚めるまでの間の記憶が全く無い。そこだけ綺麗にすっぽりと抜け落ちている。まるでヒレ三日月のシャチの口に噛まれた瞬間に水族館にワープしたような……。そんな感覚だ。
「それは……。大変だったね」
「まぁね。でもまぁ……。こんなもんだよ。あっちの海にいたときだって問題がなかったわけじゃない。どっちかって言うとあの頃の方が毎日危険だったと思うしね。……てか毎日死にかけてた」
 思い返すと水族館での生活より海での生活の方が数百倍危険だったと思う。僕を狙う天敵はごまんと居たし、仮に敵が居なくたって問題は山積みだった。食べ物のこと。あとは天気のこと。思えば問題が発生しない日がなかったとさえ思う。
「それはそうだ。命はひとつだからね。地球上で死からある程度距離を取れてる生き物は人間ぐらいじゃないかな? あいつらはずるい生き物なんだよ? 身体のつくりは僕らなんかよりずっと弱いくせに色んな道具を使うんだ。ま、その道具だって人間が生み出したんだけどね」
 彼はそう言うと苦笑いのような、ため息のような声を漏らした。相変わらず表情は読めない。
「そうかもね……。僕にはあまり関係ないけれど」
 僕は吐き捨てるように言うとその場に寝転がった。急な眠気。思い返せばここ数日寝ていなかった気がする――。

 何時間くらい寝ただろう? 僕の意識が現実に戻ってきた。
「やあ、おはよう」
 僕は目を擦りながら声のした方に目を遣った。
「おはよう。ごめん、眠っちゃったみたいだ」
「いいよ。きっと君も疲れてたんだろう」
 彼は優しい声で言うと立ち上がって僕の方へ歩み寄ってきた。
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