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第三章 秋川千鶴の場合

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 一一番ホームに来たのは久しぶりだ。中央線高尾方面のホーム。そこは私にとっては完全にアウェイな場所だ。迷宮のように入り組んだ新宿駅で酔った女を連れ歩くのは正直キツい。まぁ仕方ない。これが最後だ。さすがに水原さんを無事家に送り届けなければ夢見が悪すぎる。
「ほら! 大丈夫?」
「はぁい。すいあせん」
 呂律が機能していない。ふざけてるのかと思うほど舌足らずだ。
「もう! あなた飲み過ぎよ。気持ちは分からなくはないけど……」
「ふぁい。すいあせん」
 水原さんは同じ言葉を繰り返した。気のせいかさっきより呂律が回っていないように感じる。
 それから私は水原さんをどうにか電車に押し込んだ。時間が遅いお陰で席はガラガラだ。
「吉祥寺だったよね?」
「はぁい。そうです。駅から歩いてじゅぅうご分ぐらいです」
 少しだけ口調が落ち着いたようだ。まだまだ酔っ払っているけれど多少はアルコールが抜けてきたらしい。
「一応、水原さんの家までは連れてくから。ちゃんと道案内してね」
「はぁい……」
 水原さんはそう言うと船を漕ぐように頷いた。
 中央線に乗ったのは何年ぶりだろう? もしかしたら大学のサークルで高尾登山して以来だろうか? そんなことを思った。私にとって中央線はそれぐらい縁のない路線なのだ。
 車窓から見える景色は私を不安な気持ちにさせた。いつも見ている景色と少し違う。それだけなのに。
 このままどこか知らない場所に運ばれていくのかも知れない。そんな考えが過った。親が子供を脅すために言う「言うこと聞かないと人さらいが来るよ」に近いイメージだ。暗闇だとか鬼だと。そんな不安を具現化したイメージが思考の上を通り過ぎる。
 いい大人が何を怖がっているんだ。と私は思った。鬼や妖怪なんてまだマシじゃないか。本当に怖いのは人間。特に身近で親切な顔をした人間だと思う。
 そんな不安を余所に電車は進んでいった。アナウンスは次の駅が高円寺だと告げていた。

 高円寺で私と水原さん以外の乗客は全員降りた。閑散とする車内に水原さんと二人きりになるととても寂しい気持ちになった。それはまるで銀河鉄道の夜でサザンクロス駅を通り越したジョバンニとカンパネルラみたいな気分だと思う。まぁ、私たちはあんなに純真な友情を持ち合わせてはいないのだけれど。
 そんな私の思いとは裏腹に中央線は機械的に吉祥寺へ向かって走り続けた。残酷なくらい真っ直ぐに。
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