上 下
53 / 70
第三章 秋川千鶴の場合

24

しおりを挟む
 水原さんの送別会は慎ましく行われた。これは社内の暗黙のルールによるものだ。入社一年以上の社員には必ず送別会を行う。それがいかなる理由による退職であったとしてもだ。
 最初、水原さんは送別会を頑なに拒否していたけれど部長の説得でなんとか折れた。部長も必死なのだ。この慣例が消えると色々と都合が悪い。(詳しい事情は知らないけれど福利厚生の関係でやらないとまずいことになるらしい)
 新宿駅前の居酒屋。部の人間だけを集めた大部屋。送別会はそんな場所で開催された。会費は一人五〇〇〇円。まぁ、これもいつも通りだ。役員の送別会でもないと一〇〇〇〇円は掛からない。
「えぇ……。皆さん今日は私のためにこんな会を開いていただきありがとうございます……」
 水原さんは慣れない調子で挨拶していた。私たちは黙って彼女のスピーチを眺める。
「皆さんには本当にお世話になりました。退社後もこの経験を生かせるように頑張っていきたいと思います」
 水原さんはそう言うと頭を下げた。定型文のようなスピーチ。私たちも定型文のように拍手を返す。
 送別会は終始和やかな空気の中で進行していった。いつもはあれほど避けていたはずのみんなが水原さんにとてもフレンドリーに接している。水原さんもまんざらでもないように笑っていた。普段からこうだったら良かったのに……。そんなことを思った。
 覆水盆に返らず。零れた水は戻らない。ただただ地面に染みるか、雑巾に吸われるだけだ。
 みんなに酔いが回った頃、私は時計に目を遣った。時間はもうすぐ終電の時間に差し掛かろうとしていた――。

「きょおはみなさんありがどぉございました」
 解散時間。水原さんは完全にできあがっていた。絵に描いたような千鳥足でどうしようもないくらい酔っ払っている。
「おいおい大丈夫?」
 課長が水原さんを支えるように抱きかかえた。
「だいじょぶれすよ」
 水原さんは欠片も大丈夫ではない返答をした。これはまずい。下手したり駅のホームに落下するレベルだ。
「これは……。大丈夫じゃないね……」
 課長は苦笑いを浮かべながら水原さんを近くのベンチに座らせた。
「あの……。私が連れて帰ります。さすがにこのまま一人で帰すわけにはいかないんで」
 私がそう言うと課長が少し驚いた顔をした。そして「本当に?」と信じられないように言った。余程意外だったのだろう。他の社員たちも私の顔を奇異の目で見ている。
「大丈夫ですよ……。ちゃんと連れて帰りますから」
「そう? まぁ……。秋川さんがそう言うなら」
 課長は少し不安そうに言うと「うん」と呟いた。まぁ、普段の私と水原さんの関係を見ていれば当然の反応だろう。もしかしたら帰りがけに水原さんを事故に見せかけて殺すと思われたのかもしれない。
「ほら、水原さん帰るよ」
 そう言って私は水原さんを抱き起こした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*

gaction9969
ライト文芸
 ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!  ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!  そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!

パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない

セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。 しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。 高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。 パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。 ※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。

隣の家の幼馴染は学園一の美少女だが、ぼっちの僕が好きらしい

四乃森ゆいな
ライト文芸
『この感情は、幼馴染としての感情か。それとも……親友以上の感情だろうか──。』  孤独な読書家《凪宮晴斗》には、いわゆる『幼馴染』という者が存在する。それが、クラスは愚か学校中からも注目を集める才色兼備の美少女《一之瀬渚》である。  しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。  ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、 「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。  この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。  他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。  だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。  更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。  親友以上恋人未満。  これはそんな曖昧な関係性の幼馴染たちが、本当の恋人となるまでの“一年間”を描く青春ラブコメである。

雨音

宮ノ上りよ
ライト文芸
夫を亡くし息子とふたり肩を寄せ合って生きていた祐子を日々支え力づけてくれたのは、息子と同い年の隣家の一人娘とその父・宏の存在だった。子ども達の成長と共に親ふたりの関係も少しずつ変化して、そして…。 ※時代設定は1980年代後半~90年代後半(最終のエピソードのみ2010年代)です。現代と異なる点が多々あります。(学校週六日制等)

処理中です...