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第三章 秋川千鶴の場合
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水原さんの送別会は慎ましく行われた。これは社内の暗黙のルールによるものだ。入社一年以上の社員には必ず送別会を行う。それがいかなる理由による退職であったとしてもだ。
最初、水原さんは送別会を頑なに拒否していたけれど部長の説得でなんとか折れた。部長も必死なのだ。この慣例が消えると色々と都合が悪い。(詳しい事情は知らないけれど福利厚生の関係でやらないとまずいことになるらしい)
新宿駅前の居酒屋。部の人間だけを集めた大部屋。送別会はそんな場所で開催された。会費は一人五〇〇〇円。まぁ、これもいつも通りだ。役員の送別会でもないと一〇〇〇〇円は掛からない。
「えぇ……。皆さん今日は私のためにこんな会を開いていただきありがとうございます……」
水原さんは慣れない調子で挨拶していた。私たちは黙って彼女のスピーチを眺める。
「皆さんには本当にお世話になりました。退社後もこの経験を生かせるように頑張っていきたいと思います」
水原さんはそう言うと頭を下げた。定型文のようなスピーチ。私たちも定型文のように拍手を返す。
送別会は終始和やかな空気の中で進行していった。いつもはあれほど避けていたはずのみんなが水原さんにとてもフレンドリーに接している。水原さんもまんざらでもないように笑っていた。普段からこうだったら良かったのに……。そんなことを思った。
覆水盆に返らず。零れた水は戻らない。ただただ地面に染みるか、雑巾に吸われるだけだ。
みんなに酔いが回った頃、私は時計に目を遣った。時間はもうすぐ終電の時間に差し掛かろうとしていた――。
「きょおはみなさんありがどぉございました」
解散時間。水原さんは完全にできあがっていた。絵に描いたような千鳥足でどうしようもないくらい酔っ払っている。
「おいおい大丈夫?」
課長が水原さんを支えるように抱きかかえた。
「だいじょぶれすよ」
水原さんは欠片も大丈夫ではない返答をした。これはまずい。下手したり駅のホームに落下するレベルだ。
「これは……。大丈夫じゃないね……」
課長は苦笑いを浮かべながら水原さんを近くのベンチに座らせた。
「あの……。私が連れて帰ります。さすがにこのまま一人で帰すわけにはいかないんで」
私がそう言うと課長が少し驚いた顔をした。そして「本当に?」と信じられないように言った。余程意外だったのだろう。他の社員たちも私の顔を奇異の目で見ている。
「大丈夫ですよ……。ちゃんと連れて帰りますから」
「そう? まぁ……。秋川さんがそう言うなら」
課長は少し不安そうに言うと「うん」と呟いた。まぁ、普段の私と水原さんの関係を見ていれば当然の反応だろう。もしかしたら帰りがけに水原さんを事故に見せかけて殺すと思われたのかもしれない。
「ほら、水原さん帰るよ」
そう言って私は水原さんを抱き起こした。
最初、水原さんは送別会を頑なに拒否していたけれど部長の説得でなんとか折れた。部長も必死なのだ。この慣例が消えると色々と都合が悪い。(詳しい事情は知らないけれど福利厚生の関係でやらないとまずいことになるらしい)
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「えぇ……。皆さん今日は私のためにこんな会を開いていただきありがとうございます……」
水原さんは慣れない調子で挨拶していた。私たちは黙って彼女のスピーチを眺める。
「皆さんには本当にお世話になりました。退社後もこの経験を生かせるように頑張っていきたいと思います」
水原さんはそう言うと頭を下げた。定型文のようなスピーチ。私たちも定型文のように拍手を返す。
送別会は終始和やかな空気の中で進行していった。いつもはあれほど避けていたはずのみんなが水原さんにとてもフレンドリーに接している。水原さんもまんざらでもないように笑っていた。普段からこうだったら良かったのに……。そんなことを思った。
覆水盆に返らず。零れた水は戻らない。ただただ地面に染みるか、雑巾に吸われるだけだ。
みんなに酔いが回った頃、私は時計に目を遣った。時間はもうすぐ終電の時間に差し掛かろうとしていた――。
「きょおはみなさんありがどぉございました」
解散時間。水原さんは完全にできあがっていた。絵に描いたような千鳥足でどうしようもないくらい酔っ払っている。
「おいおい大丈夫?」
課長が水原さんを支えるように抱きかかえた。
「だいじょぶれすよ」
水原さんは欠片も大丈夫ではない返答をした。これはまずい。下手したり駅のホームに落下するレベルだ。
「これは……。大丈夫じゃないね……」
課長は苦笑いを浮かべながら水原さんを近くのベンチに座らせた。
「あの……。私が連れて帰ります。さすがにこのまま一人で帰すわけにはいかないんで」
私がそう言うと課長が少し驚いた顔をした。そして「本当に?」と信じられないように言った。余程意外だったのだろう。他の社員たちも私の顔を奇異の目で見ている。
「大丈夫ですよ……。ちゃんと連れて帰りますから」
「そう? まぁ……。秋川さんがそう言うなら」
課長は少し不安そうに言うと「うん」と呟いた。まぁ、普段の私と水原さんの関係を見ていれば当然の反応だろう。もしかしたら帰りがけに水原さんを事故に見せかけて殺すと思われたのかもしれない。
「ほら、水原さん帰るよ」
そう言って私は水原さんを抱き起こした。
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