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第三章 秋川千鶴の場合
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水原さんはそこまで話すとポケットから辞表を取り出した。退職願ではなく退職届だ。もう相談の余地がない。
「そう。残念ね」
私は辞表を受け取ると心にも無いことを言った。反射的な言葉だ。これ以上ないくらいの嘘。
「私も残念です。もっとここに居られるって思っていたので」
水原さんは涙を拭うと「本当に残念」と付け加える。
「ねぇ? 水原さん……。あなたはどうして私に認められたかったの? 私って水原さんにとっては良い上司じゃなかったでしょ?」
私は思ったことをオブラートに包まずそのまま尋ねた。
「それは秋川さんが私のために色々してくれたからです」
「色々って?」
「本当に色々です。仕事教えることだって、私に仕事くれることだって秋川さんがいなければ誰もしなかったと思います。ほら、他の社員……。及川ちゃんとかはかなり要領いいですから。知ってますか? 他の社員はみんな器用なんですよ? 私とは違います。秋川さんとも違うと思う。アレは仕事が好きっていうよりも上手く生きてるだけって感じだと思うんです」
水原さんは饒舌に語ると深いため息を吐いた。目は腫れ上がり、ファンデーションが流れ落ちている。
「そう……」
「そうですよ。秋川さんほど一生懸命な社員なんてほとんど居ません。みんな今をやり過ごすのに必死なんです。私だって本当はそうです。ただ……。私は他の社員みたいに器用じゃなかった」
水原さんの言葉は魂の叫びのように聞こえた。単なる愚痴ではない。そこには他の社員たちへの明らかな怒りが籠もっている。見て見ぬふりをして難を逃れる連中に対する怒り。
「ねぇ水原さん。私だって自分の身は可愛いわ。保身だってしたい。でもね、保身だけでは生きている意味がないのよ。それは分かる? あなたが責めた社員たちだって頑張ってると思うわ。及川さんだって決して器用なだけじゃない。私はそう信じてる」
よくもまぁペラペラと理想論が出るな。と私は自分の口に対して思った。私自身、そんなこと欠片も思っていないのだ。実際は水原さんの言うことの方が真実だと思う。
でも……。それを認めてしまったら私はバラバラになってしまうだろう。嘘は必要なのだ。それこそ一神教徒が神を信仰するように。
「やっぱり秋川さんは強いですね……。やっぱり私とは違います」
そう話す水原さんの目には私に対する哀れみが含まれていた。
私はそれを黙って眺めることしか出来なかった――。
「そう。残念ね」
私は辞表を受け取ると心にも無いことを言った。反射的な言葉だ。これ以上ないくらいの嘘。
「私も残念です。もっとここに居られるって思っていたので」
水原さんは涙を拭うと「本当に残念」と付け加える。
「ねぇ? 水原さん……。あなたはどうして私に認められたかったの? 私って水原さんにとっては良い上司じゃなかったでしょ?」
私は思ったことをオブラートに包まずそのまま尋ねた。
「それは秋川さんが私のために色々してくれたからです」
「色々って?」
「本当に色々です。仕事教えることだって、私に仕事くれることだって秋川さんがいなければ誰もしなかったと思います。ほら、他の社員……。及川ちゃんとかはかなり要領いいですから。知ってますか? 他の社員はみんな器用なんですよ? 私とは違います。秋川さんとも違うと思う。アレは仕事が好きっていうよりも上手く生きてるだけって感じだと思うんです」
水原さんは饒舌に語ると深いため息を吐いた。目は腫れ上がり、ファンデーションが流れ落ちている。
「そう……」
「そうですよ。秋川さんほど一生懸命な社員なんてほとんど居ません。みんな今をやり過ごすのに必死なんです。私だって本当はそうです。ただ……。私は他の社員みたいに器用じゃなかった」
水原さんの言葉は魂の叫びのように聞こえた。単なる愚痴ではない。そこには他の社員たちへの明らかな怒りが籠もっている。見て見ぬふりをして難を逃れる連中に対する怒り。
「ねぇ水原さん。私だって自分の身は可愛いわ。保身だってしたい。でもね、保身だけでは生きている意味がないのよ。それは分かる? あなたが責めた社員たちだって頑張ってると思うわ。及川さんだって決して器用なだけじゃない。私はそう信じてる」
よくもまぁペラペラと理想論が出るな。と私は自分の口に対して思った。私自身、そんなこと欠片も思っていないのだ。実際は水原さんの言うことの方が真実だと思う。
でも……。それを認めてしまったら私はバラバラになってしまうだろう。嘘は必要なのだ。それこそ一神教徒が神を信仰するように。
「やっぱり秋川さんは強いですね……。やっぱり私とは違います」
そう話す水原さんの目には私に対する哀れみが含まれていた。
私はそれを黙って眺めることしか出来なかった――。
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