47 / 70
第三章 秋川千鶴の場合
18
しおりを挟む
トイレから出てから家の玄関の扉を開けるまでの間、私は日常を他人事のようにやり過ごした。決済用の判子も事務的に押した。取引先への連絡も機械のように丁寧に掛けた。とにかく何事もないように行ったのだ。あくまで表面的にはそうだったと思う。
実際の心はもう崩れていた。もし心が可視化できるなら女子トイレの個室の床に破片が散らばっていると思う。幸い、心は見えないのでそんなことはないけれど。
一体どこで間違えてしまったのだろう? 昨日まで万事順調だったのに気がつけばすっかりこの世の片隅に追いやられてしまった。私の主義主張も人間関係も。その全てが色褪せてしまった。女性の権利の確立。それが私を奮い立たせてくれたはずなのに。今はその価値観がすっかり色あせたガラクタのように思えた。昨日までの神様が今日から疫病神に成り下がった。そんな気分だ――。
仕事から帰るとすぐにシャワーを浴びた。身体中の不浄なものを洗い流す。不浄なもの。それは非常にどす黒く禍々しい。そんな何かだ。厄だとか穢れだとか、そういった類いのもの。現実的な物質としては水と化学合成されたシャンプー。そして東京都内の汚れた空気だけだとは思うけれど。
バスルームから出るとドライヤーで髪を乾かした。黒くてキューティクルも整っている。若い女の子たちだってここまで綺麗な髪はしていないと思う。
髪の乾く匂いは私の心を少しだけ軽くしてくれた。一日の終わり。そして長い夜の始まりを告げる匂いだ。
果たして今日は眠れるだろうか?
連日の黒夜夢から抜け出せるだろか?
あの逃げ回るような夢と現の間のような時間から解放されるだろうか?
――今日は疑問ばかりだ。ふとそんなことを思った。それは既に疑問を通り越して呪いに変わっている気がした。恨み辛みを募らせて相手を責める言葉に成り果てている。
広報部の勝ち誇った顔も。女子トイレでの陰口も。それ以外のすべても。
新宿の雨空が嫌いだ。エレベーターのワイヤーの音も嫌いだし、会議室の机の配置も嫌い。
嫌い嫌い嫌い。大嫌い。
どうしてみんな私を責めるんだ。私が一体何をしたっていうんだ。これほど心を砕いているというのに……。
それから私はリビングのテーブルの横で意識を失った。そして夢を見た。
冷たくて大きな海。そして巨大なシャチに追われる夢だ。
実際の心はもう崩れていた。もし心が可視化できるなら女子トイレの個室の床に破片が散らばっていると思う。幸い、心は見えないのでそんなことはないけれど。
一体どこで間違えてしまったのだろう? 昨日まで万事順調だったのに気がつけばすっかりこの世の片隅に追いやられてしまった。私の主義主張も人間関係も。その全てが色褪せてしまった。女性の権利の確立。それが私を奮い立たせてくれたはずなのに。今はその価値観がすっかり色あせたガラクタのように思えた。昨日までの神様が今日から疫病神に成り下がった。そんな気分だ――。
仕事から帰るとすぐにシャワーを浴びた。身体中の不浄なものを洗い流す。不浄なもの。それは非常にどす黒く禍々しい。そんな何かだ。厄だとか穢れだとか、そういった類いのもの。現実的な物質としては水と化学合成されたシャンプー。そして東京都内の汚れた空気だけだとは思うけれど。
バスルームから出るとドライヤーで髪を乾かした。黒くてキューティクルも整っている。若い女の子たちだってここまで綺麗な髪はしていないと思う。
髪の乾く匂いは私の心を少しだけ軽くしてくれた。一日の終わり。そして長い夜の始まりを告げる匂いだ。
果たして今日は眠れるだろうか?
連日の黒夜夢から抜け出せるだろか?
あの逃げ回るような夢と現の間のような時間から解放されるだろうか?
――今日は疑問ばかりだ。ふとそんなことを思った。それは既に疑問を通り越して呪いに変わっている気がした。恨み辛みを募らせて相手を責める言葉に成り果てている。
広報部の勝ち誇った顔も。女子トイレでの陰口も。それ以外のすべても。
新宿の雨空が嫌いだ。エレベーターのワイヤーの音も嫌いだし、会議室の机の配置も嫌い。
嫌い嫌い嫌い。大嫌い。
どうしてみんな私を責めるんだ。私が一体何をしたっていうんだ。これほど心を砕いているというのに……。
それから私はリビングのテーブルの横で意識を失った。そして夢を見た。
冷たくて大きな海。そして巨大なシャチに追われる夢だ。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
【1】胃の中の君彦【完結】
ホズミロザスケ
ライト文芸
喜志芸術大学・文芸学科一回生の神楽小路君彦は、教室に忘れた筆箱を渡されたのをきっかけに、同じ学科の同級生、佐野真綾に出会う。
ある日、人と関わることを嫌う神楽小路に、佐野は一緒に課題制作をしようと持ちかける。最初は断るも、しつこく誘ってくる佐野に折れた神楽小路は彼女と一緒に食堂のメニュー調査を始める。
佐野や同級生との交流を通じ、閉鎖的だった神楽小路の日常は少しずつ変わっていく。
「いずれ、キミに繋がる物語」シリーズ一作目。
※完結済。全三十六話。(トラブルがあり、完結後に編集し直しましたため、他サイトより話数は少なくなってますが、内容量は同じです)
※当作品は「カクヨム」「小説家になろう」にも同時掲載しております。(過去に「エブリスタ」「貸し本棚」にも掲載)
来野∋31
gaction9969
ライト文芸
いまの僕は、ほんとの僕じゃあないんだッ!!(ほんとだった
何をやっても冴えない中学二年男子、来野アシタカは、双子の妹アスナとの離れる格差と近づく距離感に悩むお年頃。そんなある日、横断歩道にて車に突っ込まれた正にのその瞬間、自分の脳内のインナースペースに何故か引き込まれてしまうのでした。
そこは自分とそっくりの姿かたちをした人格たちが三十一もの頭数でいる不可思議な空間……日替わりで移行していくという摩訶不思議な多重人格たちに、有無を言わさず担ぎ上げられたその日の主人格こと「来野サーティーン」は、ひとまず友好的な八人を統合し、ひとりひとつずつ与えられた能力を発動させて現実での危機を乗り越えるものの、しかしてそれは自分の内での人格覇権を得るための闘いの幕開けに過ぎないのでした……
雨音
宮ノ上りよ
ライト文芸
夫を亡くし息子とふたり肩を寄せ合って生きていた祐子を日々支え力づけてくれたのは、息子と同い年の隣家の一人娘とその父・宏の存在だった。子ども達の成長と共に親ふたりの関係も少しずつ変化して、そして…。
※時代設定は1980年代後半~90年代後半(最終のエピソードのみ2010年代)です。現代と異なる点が多々あります。(学校週六日制等)
演じる家族
ことは
ライト文芸
永野未来(ながのみらい)、14歳。
大好きだったおばあちゃんが突然、いや、徐々に消えていった。
だが、彼女は甦った。
未来の双子の姉、春子として。
未来には、おばあちゃんがいない。
それが永野家の、ルールだ。
【表紙イラスト】ノーコピーライトガール様からお借りしました。
https://fromtheasia.com/illustration/nocopyrightgirl
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
三度目の庄司
西原衣都
ライト文芸
庄司有希の家族は複雑だ。
小学校に入学する前、両親が離婚した。
中学校に入学する前、両親が再婚した。
両親は別れたりくっついたりしている。同じ相手と再婚したのだ。
名字が大西から庄司に変わるのは二回目だ。
有希が高校三年生時、両親の関係が再びあやしくなってきた。もしかしたら、また大西になって、また庄司になるかもしれない。うんざりした有希はそんな両親に抗議すべく家出を決行した。
健全な家出だ。そこでよく知ってるのに、知らない男の子と一夏を過ごすことになった。有希はその子と話すうち、この境遇をどうでもよくなってしまった。彼も同じ境遇を引き受けた子供だったから。
神様のボートの上で
shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください”
(紹介文)
男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!
(あらすじ)
ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう
ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく
進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”
クラス委員長の”山口未明”
クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”
自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。
そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた
”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?”
”だとすればその目的とは一体何なのか?”
多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる