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第二章 菱沼浩之の場合

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 それから僕は引っ越し先の水族館に運ばれた。そして到着するとすぐに簡単な身体検査を受けた。身体測定と体温のチェック。簡易的な健康診断ってやつだと思う。
 僕の身体に異常がないと分かると飼育員は僕のことを備え付けの小さな檻に入れた。どうやらここが僕の寝床らしい。よく言えば清潔な空間だ。悪く言えばクソつまらない箱。人間的な言い方をすれば牢獄。それ以上でもそれ以下でもない。
 仕方ない。今日はここで寝よう。僕は自分にそう言い聞かせて眠りについた――。

 新しい水族館の生活は控えめに言って最悪だった。昼間は強化プラスチックで作られた岩礁と海水プールに連れて行かれて見世物にされた。そして古巣での好待遇と違ってここは本当に生きるためだけの食事を与えられた。ここでの食事はシャリシャリどころではない。カチコチなこともザラにあった。噛むとガリガリなる。氷を食っているのかイカを食っているのか分からない食事だ。
 そんな毎日を過ごしていると僕の体重はみるみる減っていった。明らかなストレス過多だ。減るのも当然だと思う。だからだろう。診察のために獣医が僕の檻に何回もやってきた。
『環境の変化によるストレスでしょう』
 獣医はそんな分かりきったことを言った。ヤブ医者。問題は原因の特定じゃない。環境の改善だろう。そうツッコみたくなる。
 気がつくとあれほどぷくぷくだった僕の頬もすっかり痩けていた。せっかく蓄えておいま皮下脂肪も目に見えて減ってしまった気がする。生命活動のための燃料が枯渇しかけている。それは僕にとって死活問題だ。
 本来、ラッコは氷点下の海でも生きていける生き物だ。でも最近の僕は常温の水でさえ冷たく感じるようになってしまった。これは本当にまずいことだ。下手したらもう二度とあの海に戻れないかも知れない。そう思うととてつもない恐怖感を覚えた。ラッコの楽園に戻れない。僕のふるさとに二度と。そんなのは嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ――。そんな言葉が脳裏を 何千回も通り過ぎていった。
 そんな地獄のような水族館生活を過ごす内に僕は逃げ出す方法を考えるようになった。そして彼女に……。チェリーに会いたい。彼女ともう一度会って話がしたい。そう思うようになった。
 そう思ってまもなく僕は逃走の好機に恵まれた。
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