22 / 70
第二章 菱沼浩之の場合
11
しおりを挟む
ラッコの話。なかなか興味深い。しかもディスカバリーチャンネルとかでやっている『ラッコの生態』みたいなものとはまるで違いそうだ。
「聞かせてください」
少し考えてから僕はそう応えた。ラッコさんは「じゃあ……」と言って話し始めた。自身の生い立ち、そしてこの小さな貯水池に流れ着いた経緯について――。
ライト文芸作家のラッコ『潮田楽尾』の話
あれはたしか西暦二〇〇〇年より前だったと思う。正確な時期はわからない。当時の僕にはカレンダーなんてなかったし、まだ言葉を持っていなかった。持っていたのは貝を割るための石と岩礁に囲まれた縄張りだけだ。
その岩礁はとても豊かな場所で潜れば様々な海の幸を手に入れることができた。ホタテにミル貝、ウニにアワビ。そんなふうによりどりみどりだ。特にホタテはお気に入りで、すいすい逃げるように泳ぐホタテを追いかけて捕まえることが僕のライフワークだった。まぁ、小難しく言ったけれど、ようは普通のラッコとして生活していたわけだ。人間諸兄が思うラッコのイメージでだいたい合っていると思う。
そんな普通のラッコライフを送っていたある日、僕はラッコライフ最大の危機に見舞われた。極端に大きくて黒い身体、背びれに入った三日月型の傷。口を開ければ大量の尖った歯。そんな海獣――。君たちの世界の分類で言うところのシャチと出会ったのだ。
シャチは僕たちの天敵だ。実を言うと友達を何人も食われている。奴らはすごいスピードでやってきてあっという間にラッコを食べてしまうのだ。
人間諸兄は僕らがただプカプカ浮いているだけだと思うかも知れない。でもその実情はかなりリスキーだった。空からはワシに狙われ、陸に上がればキツネに襲われる。海は言わずもがな。僕は会ったことがないけれどホオジロザメはシャチ以上に危険な存在らしい……。
だからあのヒレ三日月のシャチに出会ってしまったときは死を覚悟した。そして同時に何が何でも生き残りたいと思った――。
ヒレ三日月のシャチは死そのものだった。海の死神。そんな名前がぴったりだ。きっと彼らはそんな肩書き欲しくないと思う。でも僕らラッコにとって……。いや、おそらく海に住む多くの生き物にとって彼らはそういう存在だったのだ。シャチとの出会い。それ自体が死へと直結するのだから。
僕がヒレ三日月のシャチの背びれを認めたときにはすでに他のラッコたちは岩礁の上やら陸上やらに逃げていた。おそらく僕以外のラッコたちは防衛本能が高いのだと思う。(もしかしたらそれが普通のラッコの防衛本能なのかもしれないけれど)
だからヒレ三日月のシャチは僕目がけてやってきた。一直線に。何の迷いもなく。
きっとヒレ三日月のシャチは「あの馬鹿でのろまなラッコ野郎を昼飯にしてやろう」と思っていたはずだ。そこはある種の嘲笑があったと思う。
「恨むなら自分の間抜けさを恨め」そんな嘲笑。
僕はシャチに気づくと同時に岩礁へ向かって泳いだ。決して間に合わない。それぐらいは分かった。この距離とシャチのスピードを考えれば数秒後に僕の身体は彼の口の中に収まっているはずだ。もしかしたら上半身と下半身に分かれているかもしれない。でも逃げないわけにはいかなかった。生き残りたい。僕の遺伝子を引き継いだ種を残したい。まだ言葉を持たなかったけれど、僕はそんなことを考えていたと思う。
そこから記憶が飛んだ。意識が飛んだと言った方が正しいかも知れない。必死に泳いでいる間に意識がプツリと途絶えたのだ。認識出来なかったけれどそれは『死』に限りなく近い感覚だったと思う。いきなり自我が途絶える。さっきまであった道が消える。そんな感覚だ。
でも幸か不幸か、僕は意識を取りも出した。取り戻した場所は僕の知る場所ではなかったけれど……。
「聞かせてください」
少し考えてから僕はそう応えた。ラッコさんは「じゃあ……」と言って話し始めた。自身の生い立ち、そしてこの小さな貯水池に流れ着いた経緯について――。
ライト文芸作家のラッコ『潮田楽尾』の話
あれはたしか西暦二〇〇〇年より前だったと思う。正確な時期はわからない。当時の僕にはカレンダーなんてなかったし、まだ言葉を持っていなかった。持っていたのは貝を割るための石と岩礁に囲まれた縄張りだけだ。
その岩礁はとても豊かな場所で潜れば様々な海の幸を手に入れることができた。ホタテにミル貝、ウニにアワビ。そんなふうによりどりみどりだ。特にホタテはお気に入りで、すいすい逃げるように泳ぐホタテを追いかけて捕まえることが僕のライフワークだった。まぁ、小難しく言ったけれど、ようは普通のラッコとして生活していたわけだ。人間諸兄が思うラッコのイメージでだいたい合っていると思う。
そんな普通のラッコライフを送っていたある日、僕はラッコライフ最大の危機に見舞われた。極端に大きくて黒い身体、背びれに入った三日月型の傷。口を開ければ大量の尖った歯。そんな海獣――。君たちの世界の分類で言うところのシャチと出会ったのだ。
シャチは僕たちの天敵だ。実を言うと友達を何人も食われている。奴らはすごいスピードでやってきてあっという間にラッコを食べてしまうのだ。
人間諸兄は僕らがただプカプカ浮いているだけだと思うかも知れない。でもその実情はかなりリスキーだった。空からはワシに狙われ、陸に上がればキツネに襲われる。海は言わずもがな。僕は会ったことがないけれどホオジロザメはシャチ以上に危険な存在らしい……。
だからあのヒレ三日月のシャチに出会ってしまったときは死を覚悟した。そして同時に何が何でも生き残りたいと思った――。
ヒレ三日月のシャチは死そのものだった。海の死神。そんな名前がぴったりだ。きっと彼らはそんな肩書き欲しくないと思う。でも僕らラッコにとって……。いや、おそらく海に住む多くの生き物にとって彼らはそういう存在だったのだ。シャチとの出会い。それ自体が死へと直結するのだから。
僕がヒレ三日月のシャチの背びれを認めたときにはすでに他のラッコたちは岩礁の上やら陸上やらに逃げていた。おそらく僕以外のラッコたちは防衛本能が高いのだと思う。(もしかしたらそれが普通のラッコの防衛本能なのかもしれないけれど)
だからヒレ三日月のシャチは僕目がけてやってきた。一直線に。何の迷いもなく。
きっとヒレ三日月のシャチは「あの馬鹿でのろまなラッコ野郎を昼飯にしてやろう」と思っていたはずだ。そこはある種の嘲笑があったと思う。
「恨むなら自分の間抜けさを恨め」そんな嘲笑。
僕はシャチに気づくと同時に岩礁へ向かって泳いだ。決して間に合わない。それぐらいは分かった。この距離とシャチのスピードを考えれば数秒後に僕の身体は彼の口の中に収まっているはずだ。もしかしたら上半身と下半身に分かれているかもしれない。でも逃げないわけにはいかなかった。生き残りたい。僕の遺伝子を引き継いだ種を残したい。まだ言葉を持たなかったけれど、僕はそんなことを考えていたと思う。
そこから記憶が飛んだ。意識が飛んだと言った方が正しいかも知れない。必死に泳いでいる間に意識がプツリと途絶えたのだ。認識出来なかったけれどそれは『死』に限りなく近い感覚だったと思う。いきなり自我が途絶える。さっきまであった道が消える。そんな感覚だ。
でも幸か不幸か、僕は意識を取りも出した。取り戻した場所は僕の知る場所ではなかったけれど……。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
Bo★ccia!!―アィラビュー×コザィラビュー*
gaction9969
ライト文芸
ゴッドオブスポーツ=ボッチャ!!
ボッチャとはッ!! 白き的球を狙いて自らの手球を投擲し、相手よりも近づけた方が勝利を得るというッ!! 年齢人種性別、そして障害者/健常者の区別なく、この地球の重力を背負いし人間すべてに平等たる、完全なる球技なのであるッ!!
そしてこの物語はッ!! 人智を超えた究極競技「デフィニティボッチャ」に青春を捧げた、五人の青年のッ!! 愛と希望のヒューマンドラマであるッ!!
パワハラ女上司からのラッキースケベが止まらない
セカイ
ライト文芸
新入社員の『俺』草野新一は入社して半年以上の間、上司である椿原麗香からの執拗なパワハラに苦しめられていた。
しかしそんな屈辱的な時間の中で毎回発生するラッキースケベな展開が、パワハラによる苦しみを相殺させている。
高身長でスタイルのいい超美人。おまけにすごく巨乳。性格以外は最高に魅力的な美人上司が、パワハラ中に引き起こす無自覚ラッキースケベの数々。
パワハラはしんどくて嫌だけれど、ムフフが美味しすぎて堪らない。そんな彼の日常の中のとある日の物語。
※他サイト(小説家になろう・カクヨム・ノベルアッププラス)でも掲載。
憧れの青空
饕餮
ライト文芸
牛木 つぐみ、三十五歳。旧姓は藤田。航空自衛隊で働く戦闘機パイロット。乗った戦闘機はF-15とF-35と少ないけど、どれも頑張って来た。
そんな私の憧れは、父だ。父はF-4に乗っていた時にブルーインパルスのパイロットに抜擢され、ドルフィンライダーになったと聞いた。だけど私は、両親と今は亡くなった祖父母の話、そして写真や動画でしか知らない。
そして父と航空祭で見たその蒼と白の機体に、その機動に魅せられた私は、いつしか憧れた。父と同じ空を見たかった。あの、綺麗な空でスモークの模様を描くことに――
「私の彼は、空飛ぶイルカに乗っている」の二人の子どもで末っ子がドルフィンライダーとなった時の話。
隣の家の幼馴染は学園一の美少女だが、ぼっちの僕が好きらしい
四乃森ゆいな
ライト文芸
『この感情は、幼馴染としての感情か。それとも……親友以上の感情だろうか──。』
孤独な読書家《凪宮晴斗》には、いわゆる『幼馴染』という者が存在する。それが、クラスは愚か学校中からも注目を集める才色兼備の美少女《一之瀬渚》である。
しかし、学校での直接的な接触は無く、あってもメッセージのやり取りのみ。せいぜい、誰もいなくなった教室で一緒に勉強するか読書をするぐらいだった。
ところが今年の春休み──晴斗は渚から……、
「──私、ハル君のことが好きなの!」と、告白をされてしまう。
この告白を機に、二人の関係性に変化が起き始めることとなる。
他愛のないメッセージのやり取り、部室でのお昼、放課後の教室。そして、お泊まり。今までにも送ってきた『いつもの日常』が、少しずつ〝特別〟なものへと変わっていく。
だが幼馴染からの僅かな関係の変化に、晴斗達は戸惑うばかり……。
更には過去のトラウマが引っかかり、相手には迷惑をかけまいと中々本音を言い出せず、悩みが生まれてしまい──。
親友以上恋人未満。
これはそんな曖昧な関係性の幼馴染たちが、本当の恋人となるまでの“一年間”を描く青春ラブコメである。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる