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第一章 水原雪乃の場合

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 人の波に乗りながら新宿の街を進んでいく。新宿駅からの短い散歩だ。交差点を風俗情報誌の宣伝トラックがゆっくりと曲がっていった。日常的に見る光景だ。大きな目で瞳に¥マークが描かれた女の子のイラストもすっかり見慣れた気がする。
 新宿駅からはモニュメントのようにそびえ立つデザイナーの専門学校のビルが見えた。蜂の巣のような編み目のあるデザイン。宇宙船のような曲線。現代美術を象徴するかのような建物だ。もし、今この瞬間に人間が消え失せたらこの建物はきっと遺跡になると思う。
 そんな馬鹿馬鹿しいことを思いながら私は歩を進めた。新宿の朝。そのゴミの掃き溜めのような街を。
 
 自社ビルに入るとエレベーターホールで上司の秋川さんに会った。私は「おはようございます!」とできうる限り元気に声を掛ける。
「おはよう」
 彼女はチラっと私を一瞥したかと思うとすぐに視線を前に戻す。この人は毎回こうなのだ。よほど私と話したくないらしい。少しするとエレベーターが降りてきた。ピコーンという電子音が鳴り扉がゆっくりと開く。
「サッサと乗ってよ。どんくさい」
「あ、はい。すいません」
 ああ、また始まった。もし私が先に乗ったら「なんで先に入るの? 常識がないよね」っていうアレだ。一般的に言う八つ当たり。もしくはいびり。
 それから秋川さんと一緒にエレベーターで五階に向かった。企画部のある階だ。予想通り、彼女はため息以外口を利こうとはしない。
 いつからこうなったのだろう? エレベーターが昇っている間にそんなことを思った。たしか彼女も私が入社した当時は優しかったはずだ。「分からないことがあったら何でも聞いてね!」と笑顔で答えてくれたし、何よりこんなにため息を吐き散らかしてはいなかった。
 もしかしたら私、何かしたかな? と思うことはよくあるけれどどうしても思い当たることはなかった。いや、むしろ結構頑張っていると思う。始業時間よりだいぶ早く出社して掃除だってするし、言葉遣いだって気をつけているはずだ。これといって大きなミスをしているわけでもない。
 思えば幼少期からずっとこんな感じだった。養父母も姉もそうだ。学校の友達も段々私から遠ざかっていった。そう考えると問題は私にあるのもしれない。ただ、どんなに考えてもその理由が分からないだけで――。
「水原さん。ちょっと」
「はい!」
 朝礼が終わるとすぐに秋川さんに呼ばれた。
「あのね。明日新作サンプルのプレゼンあるでしょ? その準備しといてくんない?」
「はい! 分かりました」
 プレゼンの準備。ようは力仕事だ。地味で淡々とした作業。
「絶対に今日中に終わらせてね。午後から倉庫使うらしいから必ず午前中に全部荷物を出しておくこと!」
「分かりました! 午前中にマネキンとテーブル全部出しておきます」
 ああ、またお昼ご飯抜きか……。朝っぱらからそんなことを思った。
 仕方ない。いつものことだ。そう言い聞かすとすぐに倉庫に向かった。
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