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第一章 水原雪乃の場合

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 私がラッコさんと出会ったのは小学六年生のときだった。出会った当時から彼は大人だったらしく(ラッコが何歳で大人なのかは知らないけれど)知識豊富でとても雄弁だった。雄弁で博識なラッコ。毛むくじゃらで哲学的な響き。
 今考えるとラッコがなぜ日本語を話しているのか不思議だけれど、小学生の私は「そういうこともあるんだ」と普通に受け入れた。日本語を話して二足歩行するラッコだって世の中にはいる。そんな非現実的なことを疑いなく受け入れたのだ。我ながらどうかと思う。
 でもそんな風にアレな小学生だったお陰でこうしてラッコさんとは仲良しになれたわけだ。まぁ、仲良しといっても私が勝手に押しかけて世間話をする程度だけれど。
「雪乃ぉ。会社はどうよ?」
「普通かなぁ。そんなに悪くないよ。先輩たちも色々教えてくれるしね」
「そうかそうか。なら良かった。確か下着作ってる会社だったよな?」
「そうそう! 私は企画部だからデザインとかがメインだね」
「へー! 雪乃はすごいなぁ。僕は人間の下着を考えたり出来ないよ」
 そう言いながらラッコさんはお土産のアジにを頭から囓った。いつもながらの良い食いっぷりだ。
「私なんかまだまだだけどねー。ラッコさんは? 小説どう?」
「うん。今新しい話書いてるとこだよ。新刊出たら雪乃の分も貰っとくわ」
「わー! ありがとう! 楽しみだよ」
 信じがたい話だけれどラッコさんはプロの小説家だ。ペンネームは潮田楽尾(しおたらくお)。おそらくイタチ科では初めての商業作家だと思う。(そもそも人間以外の作家になんか会ったことはないけれど)
「しっかし早いなぁ。この前まで雪乃も高校生だったのに……」
 ラッコさんはアジの残りを飲み込むと感慨深げに首を横に振った。
「ほんとだよー。ラッコさんと会ってもう一〇年目だもんね」
「一〇年かぁ。早いなぁ。僕も歳を取るわけだよ」
 果たしてラッコさんは歳を取っただろうか? 正直、初めて会った頃から何も変わっていないように見える。
 貯水池の脇でこうして過ごす時間が私は好きだ。いや、それ以外の時間は嫌いと言った方がいいかもしれない。家族だって会社だって私の居場所ではないのだ。
 ただただラッコさんの横で生臭い魚を美味しそうに食べる彼を見ていたい。いつもそんな社会不適合的な考えになってしまう。生活のためにはあっち側に戻らないといけないのだけれど。
 それから私たちはとめとなく話し続けた。話題なんて何だっていいのだ。ただこの空気感とラッコさんさえ居てくれれば何もいらない。
「おっと、もう暗くなってきたな……。雪乃そろそろ帰りな」
 ラッコさんは立ち上がると沈み掛けの夕日を覗くような仕草をした。
「うん。じゃあ帰るね。今日も話聞いてくれてありがとう」
「おうおう。また話そうなぁ」
 そう言うとラッコさんは短い前足を小さく振った――。
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