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かぐや姫は月に帰りました 前編
月姫 かぐや姫は月に帰りました①
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樋山さんはまるで眠りにつくように瞳を閉じる。
そして何かを思い出すように深く肯いた。
「あれはもう二五年くらい前になるかしら……」
二五年前。
まだ平成が始まって何年も経っていなかった頃……。
私は絵本作家として少しだけ仕事を熟せるようになってきていた。
当時は今よりもずっと出版物の需要があった。
まだ少子化なんて言葉もあまり聞かない時期で児童書も売れていたのだ。
その頃の私はアシスタントを雇う事なく、外注と併せて自分なりに出版活動をしていた。
思い返せばまだ若かったんだと思う。
今よりも創作欲求は強かったし、承認欲求もあったのだ。
私は自宅を改装したアトリエで創作活動に打ち込んでいた。
夫は外で働いていたし、息子が小学校に進学してからは仕事に専念する事が出来た。
彼女が私のところを訪れたのはそんな頃だ……。
私は副業で水彩画教室を行っていた。
教室といっても実質は地元の主婦たちとお茶会のようなものだ。
デッサン指導やコンクール応募なんかもしたけれど、それはオマケでどちらかというとお茶会メインだった。
月謝としてそれなりに副収入も得られたし悪くはなかったと思う。
趣味と実益を兼ねた商売。
そんな感じの教室だった……。
彼女はそんな水彩画教室の受講生の一人だった。
「高嶺さん! あなたの色使いすごく素敵ねー」
「あ、ありがとうございます!」
高嶺恵理香。
彼女は二○歳に成り立てで、まだ少女のような幼さを残していた。
着ている服もパステルカラーの可愛らしい物が多かったと思う。
もし一五歳だと言われたら信じてしまうくらい可愛らしい女の子だった……。
「うんうん! デッサンをもう少しだけ勉強したら絵本描けるくらいのレベルよ!」
「そ、そんなー! お世辞でも嬉しいです!」
彼女は必要以上に謙虚な女の子だった。
他の受講生と比べて歳が若かったせいもあるだろう。
しかし、それを加味してもかなり控えめな女の子だったと思う。
高嶺さんの描く絵には不思議な魅力があった。
デッサン力はそこまで高くない。
彼女の持ち味は色使いだ。
彼女は風景・静物問わず本物より美しく見える色を生み出せた。
彼女の色使いは綺麗だとか上手い何て言葉では表現が出来ないほど……。
言葉にするのは勿体ないくらい美しかったのだ。
彼女は受講生同士の会話にはあまり参加していなかった。
他の受講生の側でニコニコ笑っては居たけれど、自分から積極的にコミュニケーションを取りには行かなかった。
だから、受講生の中には彼女を疎ましく思う人間も居たと思う。
それでも高嶺さんは自分のスタンスを変えようとはしなかった。
いや……。変えられなかったと言うべきかもしれない……。
良くも悪くも彼女は純粋だったのだ。
純粋すぎる彼女には下世話な世間話をする人間があまり理解できないようだった。
彼女は誰にも知られる事のない森の泉のように透き通っていた。
透明度が高すぎて普通の魚は泳ぐ事さえ憚れる……。
そんな雰囲気が彼女には備わっていた……。
私は主婦たちに絵を教えながらも高嶺さんだけは特別視していた。
彼女には才能がありこんな下世話なお茶会と併用したようなカルチャー教室に埋もれさせるには惜しい……。
だから私は理由を付けて彼女と二人きりで話をする事にした……。
彼女が受講生になって半年ほど経った頃だ。
私は他の受講生を先に帰して高嶺さんだけ残って貰った。
「ごめんなさいねー。高嶺さん忙しいのに……」
「いえいえ、大丈夫ですよ! 今日は仕事もお休みなので時間はたっぷりあります」
他の受講生が居ない為か高嶺さんはいつもよりリラックスしている。
「そう……。ならよかったわ。確か高嶺さん一人暮らしだったわね?」
「そうですよー。家に帰っても一人ぼっちなので今日はお誘い頂いてすごく嬉しいです」
「そうよねー。私も昼間は一人だからみんなが来てくれて助かるのよ……。最近はうちの子も友達と遊ぶのに忙しくてすぐに帰ってこないしねー……」
高嶺さんは私のそんな他愛のない話にも「そうですよねー」と素直に返事しながら聞いてくれた。
彼女は本当に素直で世間の垢がまるで付いていない。
良い意味で世間知らずのようだ。
「じゃあちょっとお茶用意するわね」
私がお茶を煎れようと立ち上がると、彼女も「手伝います!」と言って私の後ろから付いて来てくれた。
「そこのケトル使ってちょうだい。高嶺さんは紅茶? コーヒー?」
「えーと……。紅茶でお願いします」
高嶺さんは流しでケトルに水を入れるとガスコンロに置いて火に掛けた。
ティーポットとティーカップも慣れた調子で準備してくれる。
彼女の所作は無駄がなかった。
普段きちんと炊事を行っている事が目に見えて分かる。
「慣れてるわねー」
私が感心するように言うと高嶺さんは照れ笑いを浮かべた。
「実は実家が旅館やっていて、小さい頃からお手伝いしてきたんですよー。だから料理とか配膳は得意なんです」
「へー! そうだったのね。じゃあ高嶺さん将来は女将さんになるのね!」
何の気なしに掛けた私の言葉に彼女は一瞬手を止めた。
「……。それは……。ないですね……」
彼女は苦笑いを浮かべて首をゆっくりと横に振る。
「あら? そうなのね……。まぁ旅館だからって後を継ぐとは限らないものね……」
高嶺さんは「ええ……」とだけ言って、それ以上何も言おうとはしなかった。
私もそれ以上の詮索はしない。
立ち入られたくない領域は誰にだってある。
お湯が沸くと彼女はティーカップとティーポットに熱湯を注いで容器を温めてくれた。
「ありがとー。助かるわー」
彼女は普段から紅茶を煎れているのだろう。
茶葉の蒸らし方も良く理解しているようだ。
「紅茶煎れるのが趣味なんですよ……。コーヒーも飲みますけど、苦いのは苦手な方なのでミルクと砂糖をいっぱい入れちゃうんですよねー」
「フフフ、そうよねー。私も若い頃はコーヒー苦手だったのよ。今は眠気覚ましに飲むけど、普段は紅茶が多いわね」
高嶺さんは自分の好きな物にはとことん打ち込む性格のようだ。
それが長所であり短所なのだろうと思う。
好き嫌いがはっきりし過ぎている。
仕事でも人間関係でもそうなのだろう。
実際、彼女は下世話な世間話は嫌いだし、細かな作業は苦手なようだった。
「よし! 準備できました!」
高嶺さんは温めたカップに紅茶を注いでくれた。
お茶会の再開。
彼女は自身の話を色々と聞かせてくれた。
普段やっている仕事や趣味について。
彼女は普段、輸入雑貨の店で販売員をしているようだ。
確かに彼女の趣味を考えると合っている仕事だと思う。
「ねえ高嶺さん? 来週の日曜日なんだけど暇かしら?」
「えーと……。仕事の予定次第ですけど……。何か?」
「実は来週の日曜日、私の新刊のサイン会があるのよ。もし良かったら手伝って貰えないかしら……。担当編集さんは来てくれるんだけど、ちょっと不安なのよね……」
その当時、私は絵本を年に数冊のペースで出版していた。
担当編集の話だと売れ行きも良く、だからファンイベントを開催する事になったのだ。
「え! 私なんかがお手伝いを?」
「そう! ……というよりもあなただからやってほしいたいのよ……。高嶺さんは素直で良い子だし、あなただからお願いしたいの」
「とても光栄です……。でも私なんかに出来るんでしょうか……?」
高嶺さんは嬉しそうにしている反面、不安な表情を浮かべていた。
「大丈夫よ! ちゃんと日当は払うからお願い! あなたが来てくれたらすごく嬉しい」
高嶺さんはしばらく考えているようだったけれど最終的に「わかりました」と元気よく答えてくれた。
「ありがとう! 高嶺さんが来てくれたら百人力ね!」
私がそう言うと彼女はとても嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた――。
そして何かを思い出すように深く肯いた。
「あれはもう二五年くらい前になるかしら……」
二五年前。
まだ平成が始まって何年も経っていなかった頃……。
私は絵本作家として少しだけ仕事を熟せるようになってきていた。
当時は今よりもずっと出版物の需要があった。
まだ少子化なんて言葉もあまり聞かない時期で児童書も売れていたのだ。
その頃の私はアシスタントを雇う事なく、外注と併せて自分なりに出版活動をしていた。
思い返せばまだ若かったんだと思う。
今よりも創作欲求は強かったし、承認欲求もあったのだ。
私は自宅を改装したアトリエで創作活動に打ち込んでいた。
夫は外で働いていたし、息子が小学校に進学してからは仕事に専念する事が出来た。
彼女が私のところを訪れたのはそんな頃だ……。
私は副業で水彩画教室を行っていた。
教室といっても実質は地元の主婦たちとお茶会のようなものだ。
デッサン指導やコンクール応募なんかもしたけれど、それはオマケでどちらかというとお茶会メインだった。
月謝としてそれなりに副収入も得られたし悪くはなかったと思う。
趣味と実益を兼ねた商売。
そんな感じの教室だった……。
彼女はそんな水彩画教室の受講生の一人だった。
「高嶺さん! あなたの色使いすごく素敵ねー」
「あ、ありがとうございます!」
高嶺恵理香。
彼女は二○歳に成り立てで、まだ少女のような幼さを残していた。
着ている服もパステルカラーの可愛らしい物が多かったと思う。
もし一五歳だと言われたら信じてしまうくらい可愛らしい女の子だった……。
「うんうん! デッサンをもう少しだけ勉強したら絵本描けるくらいのレベルよ!」
「そ、そんなー! お世辞でも嬉しいです!」
彼女は必要以上に謙虚な女の子だった。
他の受講生と比べて歳が若かったせいもあるだろう。
しかし、それを加味してもかなり控えめな女の子だったと思う。
高嶺さんの描く絵には不思議な魅力があった。
デッサン力はそこまで高くない。
彼女の持ち味は色使いだ。
彼女は風景・静物問わず本物より美しく見える色を生み出せた。
彼女の色使いは綺麗だとか上手い何て言葉では表現が出来ないほど……。
言葉にするのは勿体ないくらい美しかったのだ。
彼女は受講生同士の会話にはあまり参加していなかった。
他の受講生の側でニコニコ笑っては居たけれど、自分から積極的にコミュニケーションを取りには行かなかった。
だから、受講生の中には彼女を疎ましく思う人間も居たと思う。
それでも高嶺さんは自分のスタンスを変えようとはしなかった。
いや……。変えられなかったと言うべきかもしれない……。
良くも悪くも彼女は純粋だったのだ。
純粋すぎる彼女には下世話な世間話をする人間があまり理解できないようだった。
彼女は誰にも知られる事のない森の泉のように透き通っていた。
透明度が高すぎて普通の魚は泳ぐ事さえ憚れる……。
そんな雰囲気が彼女には備わっていた……。
私は主婦たちに絵を教えながらも高嶺さんだけは特別視していた。
彼女には才能がありこんな下世話なお茶会と併用したようなカルチャー教室に埋もれさせるには惜しい……。
だから私は理由を付けて彼女と二人きりで話をする事にした……。
彼女が受講生になって半年ほど経った頃だ。
私は他の受講生を先に帰して高嶺さんだけ残って貰った。
「ごめんなさいねー。高嶺さん忙しいのに……」
「いえいえ、大丈夫ですよ! 今日は仕事もお休みなので時間はたっぷりあります」
他の受講生が居ない為か高嶺さんはいつもよりリラックスしている。
「そう……。ならよかったわ。確か高嶺さん一人暮らしだったわね?」
「そうですよー。家に帰っても一人ぼっちなので今日はお誘い頂いてすごく嬉しいです」
「そうよねー。私も昼間は一人だからみんなが来てくれて助かるのよ……。最近はうちの子も友達と遊ぶのに忙しくてすぐに帰ってこないしねー……」
高嶺さんは私のそんな他愛のない話にも「そうですよねー」と素直に返事しながら聞いてくれた。
彼女は本当に素直で世間の垢がまるで付いていない。
良い意味で世間知らずのようだ。
「じゃあちょっとお茶用意するわね」
私がお茶を煎れようと立ち上がると、彼女も「手伝います!」と言って私の後ろから付いて来てくれた。
「そこのケトル使ってちょうだい。高嶺さんは紅茶? コーヒー?」
「えーと……。紅茶でお願いします」
高嶺さんは流しでケトルに水を入れるとガスコンロに置いて火に掛けた。
ティーポットとティーカップも慣れた調子で準備してくれる。
彼女の所作は無駄がなかった。
普段きちんと炊事を行っている事が目に見えて分かる。
「慣れてるわねー」
私が感心するように言うと高嶺さんは照れ笑いを浮かべた。
「実は実家が旅館やっていて、小さい頃からお手伝いしてきたんですよー。だから料理とか配膳は得意なんです」
「へー! そうだったのね。じゃあ高嶺さん将来は女将さんになるのね!」
何の気なしに掛けた私の言葉に彼女は一瞬手を止めた。
「……。それは……。ないですね……」
彼女は苦笑いを浮かべて首をゆっくりと横に振る。
「あら? そうなのね……。まぁ旅館だからって後を継ぐとは限らないものね……」
高嶺さんは「ええ……」とだけ言って、それ以上何も言おうとはしなかった。
私もそれ以上の詮索はしない。
立ち入られたくない領域は誰にだってある。
お湯が沸くと彼女はティーカップとティーポットに熱湯を注いで容器を温めてくれた。
「ありがとー。助かるわー」
彼女は普段から紅茶を煎れているのだろう。
茶葉の蒸らし方も良く理解しているようだ。
「紅茶煎れるのが趣味なんですよ……。コーヒーも飲みますけど、苦いのは苦手な方なのでミルクと砂糖をいっぱい入れちゃうんですよねー」
「フフフ、そうよねー。私も若い頃はコーヒー苦手だったのよ。今は眠気覚ましに飲むけど、普段は紅茶が多いわね」
高嶺さんは自分の好きな物にはとことん打ち込む性格のようだ。
それが長所であり短所なのだろうと思う。
好き嫌いがはっきりし過ぎている。
仕事でも人間関係でもそうなのだろう。
実際、彼女は下世話な世間話は嫌いだし、細かな作業は苦手なようだった。
「よし! 準備できました!」
高嶺さんは温めたカップに紅茶を注いでくれた。
お茶会の再開。
彼女は自身の話を色々と聞かせてくれた。
普段やっている仕事や趣味について。
彼女は普段、輸入雑貨の店で販売員をしているようだ。
確かに彼女の趣味を考えると合っている仕事だと思う。
「ねえ高嶺さん? 来週の日曜日なんだけど暇かしら?」
「えーと……。仕事の予定次第ですけど……。何か?」
「実は来週の日曜日、私の新刊のサイン会があるのよ。もし良かったら手伝って貰えないかしら……。担当編集さんは来てくれるんだけど、ちょっと不安なのよね……」
その当時、私は絵本を年に数冊のペースで出版していた。
担当編集の話だと売れ行きも良く、だからファンイベントを開催する事になったのだ。
「え! 私なんかがお手伝いを?」
「そう! ……というよりもあなただからやってほしいたいのよ……。高嶺さんは素直で良い子だし、あなただからお願いしたいの」
「とても光栄です……。でも私なんかに出来るんでしょうか……?」
高嶺さんは嬉しそうにしている反面、不安な表情を浮かべていた。
「大丈夫よ! ちゃんと日当は払うからお願い! あなたが来てくれたらすごく嬉しい」
高嶺さんはしばらく考えているようだったけれど最終的に「わかりました」と元気よく答えてくれた。
「ありがとう! 高嶺さんが来てくれたら百人力ね!」
私がそう言うと彼女はとても嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた――。
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