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第四章 京都1992

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 お盆が明けると秋の足音が聞こえ始めた。少しずつ鈴虫の声が多くなり、気温も三〇度を下回る日が増えた。
 結局、私はのど自慢大会に申し込んだ。どうせやることも他にないし、丁度良いだろう。
 母はいささか顔をしかめていたけれど、私は気にしないことにした。
 文句を言いたいのは母の自由だけれど、参加するのは私の自由だと思う。
 予選会も無事終わり、どうやら私は本戦に出場できるらしい。
 予選通過の話をすると母以外の家族はとても喜んでくれた。特に祖母は大喜びで、近所の友人に自慢して回っていた。ありがたいような恥ずかしいような気分だ。
 出場が決まると私は栞に手紙を書いた。
 夏休みこんなことがあったとか、健次は元気だとかそんな内容だ。
 栞は今どうしているのだろう? 元気しているだろうか?
 彼女の姿を想像しようとしたけれど、栞の像はぼやけていて上手く思い浮かばなかった。
 おそらくは栞は相変わらずだと思う。いつも本にかじりつき、夜には原稿用紙に向かって物語を綴っているはずだ。
 私も負けてはいられないと思った。栞は着実に前に進んでいる。私もまずは一歩踏み出さないと……。
 のど自慢大会の一週間前。私は健次と一緒に喫茶店で夏休みの宿題をしていた。もっとも、私の宿題は八月の頭には終わっていたので健次が丸写ししているだけだけれど。
 注文したクリームソーダの緑色が鮮やかで、見ているだけで涼しくなる。
「ケンちゃん! ウチ今度のど自慢大会出んねん!」
 私はノートにかじりつく健次に声を掛けた。彼は一瞬固まると視線を上げた。
「のど自慢? じゃあ府民ホールで歌うんか?」
「そやで! えーやろ! なぁ……。ケンちゃんも来てくれるやろ?」
「んー。来週やろ……。まぁ行けないこともないなー……」
 健次は面倒くさそうに頭を掻くと大きなため息を吐いた。
「ちょっとケンちゃん! ウチがせっかく歌うのに来てくれへんの?」
「正直面倒くさいなー。見たい気もするけどなぁ……。年寄りばっかやろ? きっと」
「そんなことないって! ウチが予選会行ったときは結構若い人もおったで! だからお願い! 来てな!」
 来て貰わなくては困る。と私は思った。あまり認めたくはないけれど、今回参加を決めた理由は健次に聴いてもらいたいからだ。恋慕……。であるのは間違いない。もう使い古されて、滲みだらけの恋心だけれど。
「ま……。ええやろ。行ったるわ」
「ほんま! ありがとう! ウチめっちゃ頑張るからな!」
 心の底から嬉しかった。今更だけれど、健次に認めて貰えた気がした。
 栞がいなくなってから私は昔のように健次と接していた。恋人同士ではないけれど、親友以上の存在だった。健次自身は私を姉か妹のように思っているのかもしれないけれど……。
 それでも私はいつか健次に私を認めてほしいと思っていた。単なる幼なじみではなく、女として。
 中学生ながらに私は彼の身体を求めていた。彼の匂い、肌の質感、少しだけ高い声、針のように尖った髪の毛……。その全てが愛おしかった。
 プラトニックでいることがとても不自然に思えたし、健次にも私の身体を求めて欲しかった。
 彼と一つになりたい……。早く一つに。私は欲望のままにそう思った。
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