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「兄貴のことなんですが」
 京介は少し躊躇する素振りを見せてから話し始めた。
「惣介のこと?」
 私はそれだけ言って続きを促した。この語り口じゃ長丁場になりそうだ。本能的にそう感じる。
「ええ……」
 京介はそう返すと少し間を置いて深呼吸した。そして話を続ける。
「ウチの父は……。何というか厳しい人なんです。割と潔癖症だし、礼儀なんかにもかなり喧しいと思います。僕がまだ小さい頃はいつもそれで怒られてました。箸の持ち方とか話し方とか……。正直それが嫌で嫌で溜まらなかったんですよね。まぁ今は躾けてもらったことに感謝もしていますが」
「うん」
 私は必要最低限に相づちを打つ。
「そんな父なので母の浮気が許せなかったんですよね。おかしく聞こえるかも知れませんが父は本気で母を愛していたんだと思います。父の古い友人からの又聞きですが最初は父から母を口説いたそうです。……今となっては信じがたい話ですけどね」
 京介はそこまで話すと照れたような笑みを浮かべた。笑った顔がどことなく惣介に似ている。
「ともかく。昔はそんなおしどり夫婦だったようです……。まぁ、母はそう思っていなかったようですけどね」
「そうみたいね……」
 私はてきとうな相づちを打ちながら以前に見た惣介の母親について思い出していた。茶髪のセミロング。黒目がちで大きな瞳。小顔で色白で身体の小さい女性……。そんな印象だ。まぁ、月並みな言い方だけれど普通に美人だと思う。大半の男はあの手の女性に弱いのではないだろうか。
 ただ……。それと同時に私は彼らの母親に対して良くない感情を抱いていた。根拠はない。あくまで第六感。もしくは女の勘という奴だ。
 おそらく彼女はそうとうな悪女なのだと思う。狡猾で利己的で自身の美貌を利用して男から搾取する……。そんな女だ。それはまるで水生昆虫の体液を吸い出して生きているタガメのようだと思う。
「……そんな人ですが僕にとっては大切な母なんです」
 私がタガメの想像をしていると京介がそんなことを言った。彼の顔を見ると真っ直ぐな目をしている。
「だから今回は兄に内緒で母も食事会に誘いたいんです。それでどうにか和解して欲しい……」
「……。気持ちは分からなくはないけど……。それは」
 ああ、この子はなんて純粋なのだろう。あの悪辣な女の息子だと言うのに。私は一歳しか歳が変わらないその青年を見ながらそんなことを思った。ある種の達観。ある種の諦めが私にそう思わせた。
「分かってます。たぶん食事会は荒れるでしょう。でも……。それでも僕は」
 京介はそう言いながら悲しそうな笑みを浮かべた。
 可哀想に。すぐ目の前が断崖でもこの子は進むしかないのだ。そう思うと私まで悲しい気持ちになった。
「で? 私に頼みたいことって?」
 私は気持ちを切り替えるように本題を切り出した。それが私を大きな面倒ごとに巻き込むとも知らずに……。
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