月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第四章 月の墓標

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 鈴木さんが帰ってから程なくして私もニンヒアに戻った。本当はもう少し月音さんと話がしたかったけれど致し方ない。今は家族だけの時間が必要なのだ。部外者の私がいても邪魔になるだけだろう――。

 ニンヒアに戻ると西浦さんに今日のことを報告した。そして今後の予定についても軽く打ち合わせした。まだ先は見えない。でも何もしないよりもマシだと思う。
「あとは鍵山さん次第ですが……。一ヶ月中にどうにか曲を貰えればギリギリ間に合うと思います」
「そう、分かったわ。……春川さん、本当にお疲れ様」
 彼女はそう言うと机の中からセブンスターを取りだした。そして口にくわえて火をつける。
「じゃあ先方の迷惑にならない程度に様子を見に行ってね。それでもし鍵山さんが動けないようならコンピレーションは一五曲で行くようにするわ」
「はい、それがいいですね。私は極力鍵山さんのサポートに当たります」
 これで種蒔きは完了。あとは芽が出ることを祈るだけだ。正直上手くいくかは五分五分。だからこれは私にとってニンヒア入社以来最大の賭けになると思う。
 思えば今までもそれなりに危ない橋を渡ってきた。ときには法令スレスレなことだってやったし他社を追い落とすような真似もしてきた。もしかしたらフェアではなかったかも知れない。恨みだって買ったかも知れない。二〇代の私はそんな綱渡りのような仕事をしてきたのだ。
 でもそんなコンプライアンス的にグレーな仕事より今回の件は何倍もやっかいに思えた。本当の意味で状況を自分ではコントロールできないのだ。私にできることなんて本当に些細なことだけ。楽器を提供したり、励ましたり。そんな焼け石に水みたいなことだけだと思う。
 西浦さんはそんな私の思いを知ってか知らずか天井を眺めていた。そして「落ち着いたら話があるわ」と言った。
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