月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第四章 月の墓標

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 海月さんとの話し合いが終わると西浦さんに彼女を駅まで送っていくように指示された。
「じゃあ春川さんお願いね。私は今から社長と話してくるから」
「分かりました」
 西浦さんはそう言うと左手を挙げてエレベーターに乗り込んだ。おそらく今後のクリエイター発掘部のことも話すのだろう――。

「本当に月音は春川さんには感謝してたんですよ」
 会社の自動ドアを抜けると海月さんは呟くみたいにポツリと言った。
「いえいえ。お世話になったのはこちらの方ですので……。ご一緒にお仕事できて私も京極も楽しかったです」
「ありがとう。そう言っていただけると……。あの子も報われる気がします。本当……。京極さんにも随分と世話になったみたいで」
 そんな話をしながら私たちは西新宿の街を新宿駅方面に向かって歩いた。少し日が傾いたせいか日差しが目に染みる。
 歩く人たちは皆暑くなり始めた東京の街に辟易しているように見えた。これからもっと暑くなるであろう酷暑を憂いているような……。そんな表情が見て取れる。
「月音はね。ずっと引っ込み思案な子供だったんです」
 海月さんは額の汗を拭いながら続ける。
「私も……。あの子を養うために必死でした。正直母親らしいことは全然できていないけれど、それでもあの子のためにピアニストとして活動はしてきたつもりです。まぁ……。私がしたことなんてある程度生活しやすいようにバリアフリーの家を建ててあげたことぐらいでしたけどね」
「あの……。娘さんとはご一緒に住まないんですか?」
「……そうね。一緒に住みたい……。とは思ってます。ただ、東京の私たち夫婦の家にあの子をひとりぼっち置いておくのは嫌だったんです。だから実家のある甲府の両親の家の近くにあの家を建てたわけで……」
 海月さんはそこまで話すと言葉に詰まった。おそらく他人の私が口を挟むにはいささか込み入った事情があるのだろう。
 正直に言えば海月さんに『そこまで大切に思っているなら一緒に暮らすべきなんじゃないですか?』と言いたかった。でも私はそのことを胸の中だけに止めた。きっと今の形に落ち着いたのには彼らなりの妥協と合理的な決断があったはずなのだ。それを赤の他人が口出しすべきではないと思う。
「でも……。海音がこうなったからにはあの子を東京に来させるしかないかもしれません。流石に雅ちゃんに……。立川さんにこれ以上負担を強いるわけにもいきませんからね」
 海月さんは寂しそうに話すとゆっくりと首を横に振った――。

 そうこう話しているうちに私たちはJR新宿駅に到着した。
「ここで大丈夫です」
 彼女はそう言うと精一杯の笑顔を私に向けた。
「はい、今日はありがとうござ……」
 私がそう言いかけた瞬間、見知った顔が海月さん越しに見えた。私の未来の義母。浦井透子の姿が。
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