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第四章 月の墓標
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翌朝。朝食を食べていると西浦さんから連絡が入った。
『おはよう。ごめんなさいね。出社前に』
西浦さんはそう前置きすると『今日は直行直帰でいいから冬木さんのところ行ってきてくれない? 歌詞が全て書き上がったみたいなの』と言った。
「はい、わかりました。……あの、鍵山さんの件は何か連絡ありました?」
『……今のところはないわ。とりえあず今日まではこちらからの連絡はしないでおきましょう。もし今日も音沙汰ないようなら京極さんに連絡して貰うから』
「そうですか……。了解しました。では何かあったら連絡よろしくお願いします」
そう言って電話を切る。はたして遠藤さんの容態はどうなったのだろう……。そんなことを思った。まぁ、結局は指をくわえてあちらからの連絡を待つ以外に選択しなんてないのだけれど――。
午前八時。私は下高井戸駅に到着した。通勤客は多いけれど新宿よりはだいぶ空いている。約束の時間は一〇時。流石に早く着きすぎたかも知れない。
時間まで何をしよう。一応ノートPCは持ってきたしどこかのカフェなり喫茶店で仕事しようかな……。改札の電光掲示板を眺めながらそんなことを思った。我ながら悪い癖なのだ。時間に余裕を持たせすぎる。
そんなことを考えていると、ふと母の顔が思い浮かんだ。口うるさいほど私に礼儀をたたき込んだ厳しい母……。思えばかれこれ半年近く連絡していない気がする。
だから私は『たまには連絡してもいいかも』と思った。基本的に社会人になってからはお盆と年末年始の帰省以外でゆっくり話さないけれどたまにはいきなり電話するのも悪くない。幸い今はちょうど暇だしタイミングとしては悪くないだろう。
それから私は駅から少し離れた公園のベンチに腰掛けて実家の母に電話を掛けた。ツーコールほど呼び出すと電話口から『はい、春川食堂です』と聞こえた。(言い忘れていたけれど父は脱サラしてから食堂を始めたのだ)
「もしもし、陽子だけど」
『あら? 珍しい。どうしたの? 何かあった?』
母はさっきまでの営業ボイスから一気に声のトーンを落とした。当然だろう。母も身内には客相手みたいな声色にはならないのだ。
「いや、特になんもないよ。ただお母さんどうしてるかなぁって思ってさ……」
『……急に変なこと言うのね。こっちは変わらないよ。ってか陽子! あんた京介さんとはうまくやってるの? 正月来たときは結婚するって言ってたけど』
「うん。まぁぼちぼち結婚に向けて交際中って感じかな。まずまず仲良くやってるよ」
『そう。まぁそれならいいけど。あなたももう三十なんだからそろそろ考えなくちゃダメよ』
そうぼやく母の後ろからシャッターが開く音が聞こえた。どうやら父が店のシャッターを開けたらしい。
「お父さんは? 元気?」
『元気……? うーん、そうね。この前の健康診断で血圧高いって言われた以外は元気かな? あ、ちょっとお父さん! 陽子から電話よ! え? 違うよ。結婚の報告じゃないって。ほら、変わってあげなって。……あ、陽子! 今お父さんにも変わるからね』
母は私に話しているのか父に話しているのか分からない調子で言うと父と電話を代わった。
『もしもし? 陽子?』
「やっほーお父さん。そっちは変わらない?」
『ああ、変わらないよ』
「なら良かったよ。……でも血圧高いなら気をつけた方が良いよー。あんまり美味しいものばっかり食べてると身体に悪いんだからね」
『ハハハ、そうだよなぁ。まぁお前も身体は大事にしろな?』
「うん。あんがと」
「……んじゃ、母さんに代わるから」
父はそう言って受話器を母に戻した。昔から父は口下手なのだ。特に娘の私にはどう接して良いのか分からないらしい。
『そろそろ仕込みあるから切るよ』
「うん。急がしいのにごめんね。今度京介と食べに行くから」
『ああ、うん。わかった。来る前には連絡しなさいね。京介さんには美味しいもの作らないとだからね』
母はそう言って笑うと名残惜しそうに電話を切った――。
母との通話を終えると少しだけ気持ちが軽くなった。離れていてもやっぱり両親は家族なのだと思う。私の帰るべきもう一つの場所。きっと今でもそうなのだ。
それから私は京介に『今度私の実家にご飯食べに行こう』とLINEを送った。すぐに京介から『うん。行こう』と返信が返ってきた。
『おはよう。ごめんなさいね。出社前に』
西浦さんはそう前置きすると『今日は直行直帰でいいから冬木さんのところ行ってきてくれない? 歌詞が全て書き上がったみたいなの』と言った。
「はい、わかりました。……あの、鍵山さんの件は何か連絡ありました?」
『……今のところはないわ。とりえあず今日まではこちらからの連絡はしないでおきましょう。もし今日も音沙汰ないようなら京極さんに連絡して貰うから』
「そうですか……。了解しました。では何かあったら連絡よろしくお願いします」
そう言って電話を切る。はたして遠藤さんの容態はどうなったのだろう……。そんなことを思った。まぁ、結局は指をくわえてあちらからの連絡を待つ以外に選択しなんてないのだけれど――。
午前八時。私は下高井戸駅に到着した。通勤客は多いけれど新宿よりはだいぶ空いている。約束の時間は一〇時。流石に早く着きすぎたかも知れない。
時間まで何をしよう。一応ノートPCは持ってきたしどこかのカフェなり喫茶店で仕事しようかな……。改札の電光掲示板を眺めながらそんなことを思った。我ながら悪い癖なのだ。時間に余裕を持たせすぎる。
そんなことを考えていると、ふと母の顔が思い浮かんだ。口うるさいほど私に礼儀をたたき込んだ厳しい母……。思えばかれこれ半年近く連絡していない気がする。
だから私は『たまには連絡してもいいかも』と思った。基本的に社会人になってからはお盆と年末年始の帰省以外でゆっくり話さないけれどたまにはいきなり電話するのも悪くない。幸い今はちょうど暇だしタイミングとしては悪くないだろう。
それから私は駅から少し離れた公園のベンチに腰掛けて実家の母に電話を掛けた。ツーコールほど呼び出すと電話口から『はい、春川食堂です』と聞こえた。(言い忘れていたけれど父は脱サラしてから食堂を始めたのだ)
「もしもし、陽子だけど」
『あら? 珍しい。どうしたの? 何かあった?』
母はさっきまでの営業ボイスから一気に声のトーンを落とした。当然だろう。母も身内には客相手みたいな声色にはならないのだ。
「いや、特になんもないよ。ただお母さんどうしてるかなぁって思ってさ……」
『……急に変なこと言うのね。こっちは変わらないよ。ってか陽子! あんた京介さんとはうまくやってるの? 正月来たときは結婚するって言ってたけど』
「うん。まぁぼちぼち結婚に向けて交際中って感じかな。まずまず仲良くやってるよ」
『そう。まぁそれならいいけど。あなたももう三十なんだからそろそろ考えなくちゃダメよ』
そうぼやく母の後ろからシャッターが開く音が聞こえた。どうやら父が店のシャッターを開けたらしい。
「お父さんは? 元気?」
『元気……? うーん、そうね。この前の健康診断で血圧高いって言われた以外は元気かな? あ、ちょっとお父さん! 陽子から電話よ! え? 違うよ。結婚の報告じゃないって。ほら、変わってあげなって。……あ、陽子! 今お父さんにも変わるからね』
母は私に話しているのか父に話しているのか分からない調子で言うと父と電話を代わった。
『もしもし? 陽子?』
「やっほーお父さん。そっちは変わらない?」
『ああ、変わらないよ』
「なら良かったよ。……でも血圧高いなら気をつけた方が良いよー。あんまり美味しいものばっかり食べてると身体に悪いんだからね」
『ハハハ、そうだよなぁ。まぁお前も身体は大事にしろな?』
「うん。あんがと」
「……んじゃ、母さんに代わるから」
父はそう言って受話器を母に戻した。昔から父は口下手なのだ。特に娘の私にはどう接して良いのか分からないらしい。
『そろそろ仕込みあるから切るよ』
「うん。急がしいのにごめんね。今度京介と食べに行くから」
『ああ、うん。わかった。来る前には連絡しなさいね。京介さんには美味しいもの作らないとだからね』
母はそう言って笑うと名残惜しそうに電話を切った――。
母との通話を終えると少しだけ気持ちが軽くなった。離れていてもやっぱり両親は家族なのだと思う。私の帰るべきもう一つの場所。きっと今でもそうなのだ。
それから私は京介に『今度私の実家にご飯食べに行こう』とLINEを送った。すぐに京介から『うん。行こう』と返信が返ってきた。
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