月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第三章 月不知のセレネー

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 冬木さんの家を出る頃にはすっかり辺りは暗くなっていた。どうやら思いのほか長い時間話し込んでしまったらしい。
「今日は直帰で良いんだよね?」
「うん。戻ってもやることないしね。それに今日は役員会議だから西浦さんも忙しいと思うよ。メールは送っておいたから具体的な報告は明日にしよう」
「了解っす! んじゃ解散する?」
「そうね……。ねぇ柏木くん。もしこの後予定空いてるなら飲み行かない? ほら、君が入ってから歓迎会っぽいこともしてないしさ」
「え!? マジで!? 行く行く!」
「じゃあ決まりね。……とりあえず新宿戻ろうか。駅前で静かに飲める店知ってるんだ」
 私はそこまで話すとスマホを取り出して行きつけの居酒屋に電話を掛けた。
「――はい、二名です。――ええ、個室で。――はい! はい! 一時間以内には行けると思いますので。――はい! ではよろしくお願いいたします」
「予約できた?」
「うん。大丈夫みたい。んじゃ、行きますか」
「うっす!」
 柏木くんは予約ができたと聞くと目に見えてテンションが上がったようだ。どうやら彼は意外とノリが良いらしい――。

 新宿に着くとすぐに居酒屋に向かった。下高井戸を出た頃はまだ茜色だった空もすっかり深い青に染まっている。その青さはこれから訪れる夜を迎え入れるためのカーテンのように見えた。ネオンに包まれ、色と欲で溢れかえる街を隠すための。そんな暗幕のように。
 それから私たちは新宿駅を南口から出た。そして甲州街道を初台方面に向かって少し歩いた。すれ違う人たちは皆一様に足早でこれから訪れる夜から逃げるように歩を進めていた。ホスト風の男性やら無精髭のサラリーマンやら新卒でまだ会社に馴染み切れていないスーツ姿の女性やらとすれ違うたび、『この街はいつも変わらないな』と思った。新宿は一年を通してこんな感じなのだ。人は流動するけれど、人の種類は流動しない。そんな街なのだと思う。
 そう考えるとこの街が精巧に作り込まれたあ舞台装置のように思えた。演者だけがローテーションで変わるだけの。そんな舞台のように。
 そして初台方面に五分ほど歩くと目的の居酒屋に到着した。
「俺ここ初めてだなぁ」
「だろうね。てかニンヒアでここ使うのは私とあかりぐらいだと思うよ? ほら、普通はみんな西口近くの店にするからね」
「ま、だろうね。普通は初台の方には行かないよね」
 そう。ニンヒアで働いているなら普通は南口の居酒屋には行かないのだ。だいたいの社員はもっとニンヒアの近くの店を利用するし、何ならみんなが利用する店はほぼ同じだと思う。
「なんで陽子ちゃんこんな遠くの店選んでるの?」
「うーん……。そうね。やっぱりニンヒアの近くだと会社の連中とバッティングしやすいからかな……。ほら、アフターまで部長たちと顔合わせたくないじゃん?」
「あ! それめっちゃ分かる。俺も仕事終わりまで付き合いとかしたくないんだよねぇ。……あ! 陽子ちゃんは別だよ。普通に誘ってもらえて嬉しかったっす」
「ハハハ、ありがと。んじゃ店入ろうか」
 それから私たちはその店に入った。久しぶりのアフターファイブ飲み会だ。
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