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第三章 月不知のセレネー
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冬木紫苑の話
その日、私は初めて鍵山さんにスカイプで連絡した。
「鍵山さんにスカイプして」
私はそう言ってスマートデバイスに声を掛けた。するとデバイスから『はい、わかりました』と返ってきた。声だけで操作できるのは本当にありがたい。
三〇秒ほど呼び出し音が流れる。私はその間に最初になんて言おうかもう一度考えた。「お世話になっております」が良いだろうか? それとも「先日は素敵な演奏ありがとうございました」が良いだろうか? 考えれば考えるほど分からなくなる。
『はーい。お待たせしました鍵山ですー』
そうこうしているとスピーカーから鍵山さんの声が聞こえた。私は考えていたことを無駄にするように「こ、こんにちは」とだけ返す。我ながら対人間相手だと急に語彙力が小学生並になると思う。
『こんにちは! この前はどうもでした。久しぶりにショパン弾けて楽しかったですー』
鍵山さんは嬉しそうに言うと『フフッ』と可愛らしく鼻を鳴らした。その声はこの前の演奏と違って非常に子供っぽく聞こえる。やはり彼女も年相応の少女なのだろう。
「本当に素敵な演奏でした。実は『別れの曲』を生で聞いたの初めてだったんですよ。やっぱりCD音源よりずっと良いですね」
『フフフ、そう言っていただけると演奏した甲斐がありますね。良かったらまた聴きに来てください。クラシックならだいたいできるので』
だいたいできる。鍵山さんは軽い調子で言ったけれどそれは希有なことだと思う。少なくとも私にはできないし、プロのピアニストだってそこまでは言える人間は少数派だと思う。きっと鍵山月音のピアノはもう弾ける弾けないの次元ではないのだ。もっと先。それこそ世界を目指すぐらいの。
「ありがとうございます。それで今日は歌詞のことでご相談がありまして……」
『はいはい、何でしょう?』
「はい、とりあえず仮の歌詞を書いてみたんです。なので良ければご意見いただければと思いまして……」
『わー! すごい! 仕事が早いですー』
鍵山さんは驚いたように言うと再びあの可愛らしい『フフッ』という声を漏らした。どうやら彼女はテンションが上がると鼻を鳴らす癖があるらしい。
「いえいえ、歌詞を書いた経験はあまりなかったので時間が掛かっちゃって……。作詞って難しいんですねぇ」
私はそう言ってから「すいません。愚痴っちゃって」と付け加えた。実際、作詞は小説の執筆より難しいのだ。あの短い文字数の中にストーリー性と語幹を入れ込むのは至難の業だと思う。
『そっかぁ。そうですよねぇ。私も歌詞は書けないので気持ちは分かります』
「そうなんですよね……。いや、本当に。……ということは『インビジブルムーン』の作詞は遠藤さんが?」
『はい、そうなんです。一応は私が作詞もやってるってことになってますが……。実際はほぼ海音ちゃん頼りです。私がしてることなんて思いついた風景を適当に彼に伝えてるだけですからね』
彼女はそう言うと少しばつが悪そうに『情けない話ですが』と少し語尾を濁した――。
「遠藤さんってとてもロマンチストなんですね」
気がつくと私はそんなことを口走っていた。
『え!? 何で分かるんですか?』
「あ、ああ。すいません。歌詞を聴いてそう感じました。なんて言うか……。言葉選びがとても情熱的なんですよね。それでいて情緒的だと思いました。きっと遠藤さんは作家向きなんだと思います」
『ふへぇー! そうなんだ……。やっぱり海音ちゃんってすごい』
電話越しに鍵山さんのそんな声がこだまする。
「そうですね……。私も作家の端くれなので思うのですがきっと彼はとても優しい方なんだと思います。それで……。失礼を承知で言わさせていただければ」
私はそこで一旦言葉を句切った。そして続ける。
「優しすぎるんですよね。彼の言葉選びにはそんな雰囲気がある気がします」
『……そう、ですね。確かに海音ちゃんは優しすぎるかも……』
鍵山さんはそう言うと嬉しそうにため息を吐いた。そ
「ごめんなさいね。ちょっと変な言い方してしまって」
『いえいえ! 悪口とかじゃないですもん! 大丈夫です。うん! 大丈夫』
鍵山さんは自分に言い聞かせるように言うともう一度『大丈夫だよね』と呟いた。そこには遠藤さんへの気持ちがにじみ出ているように感じる。
それから私たちは互いのことを色々と話した。どうやってクリエイターになったかだとか、視覚障害ならではのあるある話だとか。そんな話だ。
『冬木さんお辛かったですよね……。お兄さんは本当に残念でした……』
「まぁ、そうですね……。でももう大丈夫ですよ。兄が亡くなった当時は落ち込みましたがもうすっかり元気になりました。……なかなか作家業に完全復帰ってわけにもいかないんですけどね」
『そうですか……。半井さんとは付き合い長いんですか?』
「半井先生とは……。そうですね。もうかれこれ四年近くの付き合いになりますね。あの人にもすっかり助けて貰っちゃって」
私はそう答えながらここ四年のことを思い返した。私と半井先生の出会い。それはきっと運命的な出来事だったのだと思う。彼女がいなければとっくに作家なんて廃業していたし、こうして鍵山さんと話す機会も持てなかったはずだ。そう考えると改めて縁の不思議さに感じる。
鍵山さんと話していると自然と優しい気持ちになれた。妹なんて持ったことないけれど、本物の妹みたいに可愛く思えた。鍵山さんの歳は半井先生と大して変わらないのにそう感じるのだ。もしかしたら鍵山さんとの出会いも運命なのかも知れない。私は殊勝にもそう思った。
その日、私は初めて鍵山さんにスカイプで連絡した。
「鍵山さんにスカイプして」
私はそう言ってスマートデバイスに声を掛けた。するとデバイスから『はい、わかりました』と返ってきた。声だけで操作できるのは本当にありがたい。
三〇秒ほど呼び出し音が流れる。私はその間に最初になんて言おうかもう一度考えた。「お世話になっております」が良いだろうか? それとも「先日は素敵な演奏ありがとうございました」が良いだろうか? 考えれば考えるほど分からなくなる。
『はーい。お待たせしました鍵山ですー』
そうこうしているとスピーカーから鍵山さんの声が聞こえた。私は考えていたことを無駄にするように「こ、こんにちは」とだけ返す。我ながら対人間相手だと急に語彙力が小学生並になると思う。
『こんにちは! この前はどうもでした。久しぶりにショパン弾けて楽しかったですー』
鍵山さんは嬉しそうに言うと『フフッ』と可愛らしく鼻を鳴らした。その声はこの前の演奏と違って非常に子供っぽく聞こえる。やはり彼女も年相応の少女なのだろう。
「本当に素敵な演奏でした。実は『別れの曲』を生で聞いたの初めてだったんですよ。やっぱりCD音源よりずっと良いですね」
『フフフ、そう言っていただけると演奏した甲斐がありますね。良かったらまた聴きに来てください。クラシックならだいたいできるので』
だいたいできる。鍵山さんは軽い調子で言ったけれどそれは希有なことだと思う。少なくとも私にはできないし、プロのピアニストだってそこまでは言える人間は少数派だと思う。きっと鍵山月音のピアノはもう弾ける弾けないの次元ではないのだ。もっと先。それこそ世界を目指すぐらいの。
「ありがとうございます。それで今日は歌詞のことでご相談がありまして……」
『はいはい、何でしょう?』
「はい、とりあえず仮の歌詞を書いてみたんです。なので良ければご意見いただければと思いまして……」
『わー! すごい! 仕事が早いですー』
鍵山さんは驚いたように言うと再びあの可愛らしい『フフッ』という声を漏らした。どうやら彼女はテンションが上がると鼻を鳴らす癖があるらしい。
「いえいえ、歌詞を書いた経験はあまりなかったので時間が掛かっちゃって……。作詞って難しいんですねぇ」
私はそう言ってから「すいません。愚痴っちゃって」と付け加えた。実際、作詞は小説の執筆より難しいのだ。あの短い文字数の中にストーリー性と語幹を入れ込むのは至難の業だと思う。
『そっかぁ。そうですよねぇ。私も歌詞は書けないので気持ちは分かります』
「そうなんですよね……。いや、本当に。……ということは『インビジブルムーン』の作詞は遠藤さんが?」
『はい、そうなんです。一応は私が作詞もやってるってことになってますが……。実際はほぼ海音ちゃん頼りです。私がしてることなんて思いついた風景を適当に彼に伝えてるだけですからね』
彼女はそう言うと少しばつが悪そうに『情けない話ですが』と少し語尾を濁した――。
「遠藤さんってとてもロマンチストなんですね」
気がつくと私はそんなことを口走っていた。
『え!? 何で分かるんですか?』
「あ、ああ。すいません。歌詞を聴いてそう感じました。なんて言うか……。言葉選びがとても情熱的なんですよね。それでいて情緒的だと思いました。きっと遠藤さんは作家向きなんだと思います」
『ふへぇー! そうなんだ……。やっぱり海音ちゃんってすごい』
電話越しに鍵山さんのそんな声がこだまする。
「そうですね……。私も作家の端くれなので思うのですがきっと彼はとても優しい方なんだと思います。それで……。失礼を承知で言わさせていただければ」
私はそこで一旦言葉を句切った。そして続ける。
「優しすぎるんですよね。彼の言葉選びにはそんな雰囲気がある気がします」
『……そう、ですね。確かに海音ちゃんは優しすぎるかも……』
鍵山さんはそう言うと嬉しそうにため息を吐いた。そ
「ごめんなさいね。ちょっと変な言い方してしまって」
『いえいえ! 悪口とかじゃないですもん! 大丈夫です。うん! 大丈夫』
鍵山さんは自分に言い聞かせるように言うともう一度『大丈夫だよね』と呟いた。そこには遠藤さんへの気持ちがにじみ出ているように感じる。
それから私たちは互いのことを色々と話した。どうやってクリエイターになったかだとか、視覚障害ならではのあるある話だとか。そんな話だ。
『冬木さんお辛かったですよね……。お兄さんは本当に残念でした……』
「まぁ、そうですね……。でももう大丈夫ですよ。兄が亡くなった当時は落ち込みましたがもうすっかり元気になりました。……なかなか作家業に完全復帰ってわけにもいかないんですけどね」
『そうですか……。半井さんとは付き合い長いんですか?』
「半井先生とは……。そうですね。もうかれこれ四年近くの付き合いになりますね。あの人にもすっかり助けて貰っちゃって」
私はそう答えながらここ四年のことを思い返した。私と半井先生の出会い。それはきっと運命的な出来事だったのだと思う。彼女がいなければとっくに作家なんて廃業していたし、こうして鍵山さんと話す機会も持てなかったはずだ。そう考えると改めて縁の不思議さに感じる。
鍵山さんと話していると自然と優しい気持ちになれた。妹なんて持ったことないけれど、本物の妹みたいに可愛く思えた。鍵山さんの歳は半井先生と大して変わらないのにそう感じるのだ。もしかしたら鍵山さんとの出会いも運命なのかも知れない。私は殊勝にもそう思った。
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