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第三章 月不知のセレネー
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冬木さんの部屋はその団地の一階にあった。ドアにはローマ字で『SHIMURA』と書かれている。
「じゃあ行くよ」
私は柏木くんに確認するように言うと冬木さんの家のインターフォンを押した。そして少し間を置いて『ピンポーン』とう音が返ってきた。昔ながらのドアチャイム。そんな風に聞こえる。
「はーい」
少し待つと中から女性の声が返ってきた。インターフォン越しではなく直で。もしかしたら通話機能はついていないのかも知れない。
「はーい。あら? こんにちは」
そう言ってやや肩幅の広い女性が顔を覗かせた。彼女の額には綺麗に年を重ねたような皺が寄っている。
「こんにちは。お世話になっております。私、株式会社ニンヒアの春川と申します。あの……。御苑さんご在宅でしょうか?」
「はいはい、いますよ! まぁとりあえず上がってください。話は聞いてますから」
彼女は気さくな感じに言うと私たちはリビングに案内してくれた。
「こんにちは春川さん」
リビングに通されるとそこには冬木さんと茅野さんの姿があった。茅野さんには会うのは久しぶりな気がする。
「こんにちは冬木さん、茅野さん。お世話になっております」
「お世話になってますー。えっと……。狭いと思いますけど座ってください」
冬木さんはそう言うと誰かを探すように左右を見渡した。
「そこの座布団に座ってくださいな。今お茶いれますねー」
冬木さんの代わりにさっき案内してくれた女性が私たちにそう促してくれた。雰囲気から察するに彼女は冬木さんの母親らしい。
それから私は柏木くんを彼らに紹介した。柏木くんはまるで借りてきた猫みたいに大人しい。文字通り猫を被っているのだろう。
「『異世界奇譚』見ました! とても良かったですねぇ。少し原作イメージとは違うところもまた魅力的だったと思います」
柏木くんは自己紹介を終えるなりそう言って冬木さんの作品の感想を口にした。単刀直入な物言い。おそらくこれが彼の営業スタイルなのだろう。
「ありがとうございます! そうなんですよねぇ。私も自分の書いた話に比べてだいぶ明るいイメージに仕上がったと思ってました」
「ええ、本当にそうですね。ダークファンタジーな原作に比べて非常にポップな作品になったと僕も思います。おそらく今の『文くら系』はあのトーンのアニメがウケるんですよね。まぁ……。僕としてはもっと陰鬱な雰囲気の方が好みではありますが」
「わかります! 私もそう思ったんですよね。私が書いた『異世界奇譚』はもっと重苦しくて鬱な展開なので……。だからもし劇場版作る機会があればもっと原作の雰囲気を押し出してほしいですね」
「おぉー。いいですね。是非、劇場版やってほしいです」
二人はそう言って盛り上がっていた。完全に私は置いてけぼり。どうやらガチオタク同士は気が合うらしい。(冬木さんがオタクかどうかは判断に迷うところだけれど)
茅野さんもそんな二人の会話を黙って聞いていた。特に口を挟もうとはしない。思えば私自身、彼が話している姿を見たことはほとんどない気がする。
「あらあら、御苑楽しそうね」
そうこうしていると冬木さんのお母さんが麦茶とクラッカーをお盆に乗せてリビングに戻ってきた。ごく普通な中年女性。彼女はそんな雰囲気だ。
「うん」
冬木さんは元気よく答えると手を伸ばして麦茶を受け取る。
「皆さん、御苑と仲良くしてくれてありがとうございます。この子引っ込み思案でしょ? だからお友達を連れてくるの珍しいのよ」
彼女はそう言うと皺の寄った顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。
「ハハハ、そうだよね。私こんなだから友達少ないしね」
冬木さんは自重ぎみに言うと人差し指で頬をなぞった――。
それから私は今回の企画のために彼女書いた歌詞を見せてもらった。紙媒体に印刷されたそれはまるで小説のように綺麗に綴られていた。おそらくこれに校正を掛けたのは半井さんだと思う。そのことは文章の組み方とフォントからなんとなく分かる気がする。
「どうでしょうか?」
冬木さんはそう言って私の方をを上目遣いに見た。
「うーん……。ちょっと直しがいるかもしれないですが雰囲気はバッチリだと思います」
「そ、そうですか……」
心なしか冬木さんはシュンとした。おそらく自信作だったのだと思う。
「えーと。悪いわけじゃないんですよ? ただ、曲をつけるとなると少し手直しが必要なもので……。まずは弊社のアーティストに見せて仮で歌ってもらいます。それで語幹のチェックしますんで」
私はできうる限り彼女の気分を害さないような言葉を選んでそう伝えた。まぁ、控えめに言って私の言葉選びなんて中の下だとは思うけれど。
「あの……。この歌詞のタイトルはなんて読むんですか? 『つきふちのセレネー?』ですか?」
私が冬木さんに言い訳していると横から柏木くんが割って入った。
「ああ、それは『ツキシラズ』って読むんです。上野公園に不忍池ってあるでしょ? あれと同じです。『不』を付けると非定形になるのでそう書かせていただきました」
「なるほど……。勉強になります」
柏木くんは本当に関心したみたいに言うとその『月不知のセレネー』の歌詞をまじまじと眺める。
「実はこの前に鍵山さんとお話したときにこのタイトルで歌詞を書こうって話になりまして」
「そうだったんですね……。鍵山さんとはよく連絡取り合ってるんですか?」
「ええ。この前甲府お邪魔したときにスカイプ交換したんです。それからはよく話すようになりました」
それは知らなかったよ。いつ交換してたの? と私は思った。もはや脳内ツッコミにも慣れた気がする。まぁ……。実際に口から出た言葉は「それはいいですね。クリエイター同士で交流していただけると私どもとしても助かります」だけれど。
「本当に連絡先交換できて良かったです。実は京極さんが帰りがけに段取ってくださったんですよ。あの方とても親切なんですよね。高木さんと一緒によく相談乗ってくれますし」
それを訊いて私は『ああやっぱり』と心の中で納得した。あの子は変なところに気が回るのだ。私にそのことを伝えなかったこと以外はファインプレーだと思う。
「『月不知のセレネー』って……。ちょっと変わったタイトルですね」
「ええ、私も彼女の話を聞かなかったら思いつかなかったと思います。鍵山さんってすごいですよね。とても独創的な感性を持ってるみたいですし」
冬木さんはそこまで話すとことの経緯を教えてくれた――。
「じゃあ行くよ」
私は柏木くんに確認するように言うと冬木さんの家のインターフォンを押した。そして少し間を置いて『ピンポーン』とう音が返ってきた。昔ながらのドアチャイム。そんな風に聞こえる。
「はーい」
少し待つと中から女性の声が返ってきた。インターフォン越しではなく直で。もしかしたら通話機能はついていないのかも知れない。
「はーい。あら? こんにちは」
そう言ってやや肩幅の広い女性が顔を覗かせた。彼女の額には綺麗に年を重ねたような皺が寄っている。
「こんにちは。お世話になっております。私、株式会社ニンヒアの春川と申します。あの……。御苑さんご在宅でしょうか?」
「はいはい、いますよ! まぁとりあえず上がってください。話は聞いてますから」
彼女は気さくな感じに言うと私たちはリビングに案内してくれた。
「こんにちは春川さん」
リビングに通されるとそこには冬木さんと茅野さんの姿があった。茅野さんには会うのは久しぶりな気がする。
「こんにちは冬木さん、茅野さん。お世話になっております」
「お世話になってますー。えっと……。狭いと思いますけど座ってください」
冬木さんはそう言うと誰かを探すように左右を見渡した。
「そこの座布団に座ってくださいな。今お茶いれますねー」
冬木さんの代わりにさっき案内してくれた女性が私たちにそう促してくれた。雰囲気から察するに彼女は冬木さんの母親らしい。
それから私は柏木くんを彼らに紹介した。柏木くんはまるで借りてきた猫みたいに大人しい。文字通り猫を被っているのだろう。
「『異世界奇譚』見ました! とても良かったですねぇ。少し原作イメージとは違うところもまた魅力的だったと思います」
柏木くんは自己紹介を終えるなりそう言って冬木さんの作品の感想を口にした。単刀直入な物言い。おそらくこれが彼の営業スタイルなのだろう。
「ありがとうございます! そうなんですよねぇ。私も自分の書いた話に比べてだいぶ明るいイメージに仕上がったと思ってました」
「ええ、本当にそうですね。ダークファンタジーな原作に比べて非常にポップな作品になったと僕も思います。おそらく今の『文くら系』はあのトーンのアニメがウケるんですよね。まぁ……。僕としてはもっと陰鬱な雰囲気の方が好みではありますが」
「わかります! 私もそう思ったんですよね。私が書いた『異世界奇譚』はもっと重苦しくて鬱な展開なので……。だからもし劇場版作る機会があればもっと原作の雰囲気を押し出してほしいですね」
「おぉー。いいですね。是非、劇場版やってほしいです」
二人はそう言って盛り上がっていた。完全に私は置いてけぼり。どうやらガチオタク同士は気が合うらしい。(冬木さんがオタクかどうかは判断に迷うところだけれど)
茅野さんもそんな二人の会話を黙って聞いていた。特に口を挟もうとはしない。思えば私自身、彼が話している姿を見たことはほとんどない気がする。
「あらあら、御苑楽しそうね」
そうこうしていると冬木さんのお母さんが麦茶とクラッカーをお盆に乗せてリビングに戻ってきた。ごく普通な中年女性。彼女はそんな雰囲気だ。
「うん」
冬木さんは元気よく答えると手を伸ばして麦茶を受け取る。
「皆さん、御苑と仲良くしてくれてありがとうございます。この子引っ込み思案でしょ? だからお友達を連れてくるの珍しいのよ」
彼女はそう言うと皺の寄った顔をさらにくしゃくしゃにして笑った。
「ハハハ、そうだよね。私こんなだから友達少ないしね」
冬木さんは自重ぎみに言うと人差し指で頬をなぞった――。
それから私は今回の企画のために彼女書いた歌詞を見せてもらった。紙媒体に印刷されたそれはまるで小説のように綺麗に綴られていた。おそらくこれに校正を掛けたのは半井さんだと思う。そのことは文章の組み方とフォントからなんとなく分かる気がする。
「どうでしょうか?」
冬木さんはそう言って私の方をを上目遣いに見た。
「うーん……。ちょっと直しがいるかもしれないですが雰囲気はバッチリだと思います」
「そ、そうですか……」
心なしか冬木さんはシュンとした。おそらく自信作だったのだと思う。
「えーと。悪いわけじゃないんですよ? ただ、曲をつけるとなると少し手直しが必要なもので……。まずは弊社のアーティストに見せて仮で歌ってもらいます。それで語幹のチェックしますんで」
私はできうる限り彼女の気分を害さないような言葉を選んでそう伝えた。まぁ、控えめに言って私の言葉選びなんて中の下だとは思うけれど。
「あの……。この歌詞のタイトルはなんて読むんですか? 『つきふちのセレネー?』ですか?」
私が冬木さんに言い訳していると横から柏木くんが割って入った。
「ああ、それは『ツキシラズ』って読むんです。上野公園に不忍池ってあるでしょ? あれと同じです。『不』を付けると非定形になるのでそう書かせていただきました」
「なるほど……。勉強になります」
柏木くんは本当に関心したみたいに言うとその『月不知のセレネー』の歌詞をまじまじと眺める。
「実はこの前に鍵山さんとお話したときにこのタイトルで歌詞を書こうって話になりまして」
「そうだったんですね……。鍵山さんとはよく連絡取り合ってるんですか?」
「ええ。この前甲府お邪魔したときにスカイプ交換したんです。それからはよく話すようになりました」
それは知らなかったよ。いつ交換してたの? と私は思った。もはや脳内ツッコミにも慣れた気がする。まぁ……。実際に口から出た言葉は「それはいいですね。クリエイター同士で交流していただけると私どもとしても助かります」だけれど。
「本当に連絡先交換できて良かったです。実は京極さんが帰りがけに段取ってくださったんですよ。あの方とても親切なんですよね。高木さんと一緒によく相談乗ってくれますし」
それを訊いて私は『ああやっぱり』と心の中で納得した。あの子は変なところに気が回るのだ。私にそのことを伝えなかったこと以外はファインプレーだと思う。
「『月不知のセレネー』って……。ちょっと変わったタイトルですね」
「ええ、私も彼女の話を聞かなかったら思いつかなかったと思います。鍵山さんってすごいですよね。とても独創的な感性を持ってるみたいですし」
冬木さんはそこまで話すとことの経緯を教えてくれた――。
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