月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第三章 月不知のセレネー

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「ただいま」
「おかえり。コンサートどうだった?」
 家に帰ると京介が出迎えてくれた。良妻賢母みたいな口調に思わず口元が緩む。
「良かったよ! あの子すごいねー! ちょっとウルッときちゃったもん」
「なら良かったよ。兄貴とは? 大丈夫だった?」
「大丈夫。まぁ普通よ普通」
 私はそう話ながらコートをハンガーに掛けた。
「そう、夕飯にしちゃっていいかな?」
「うん。お願い」
 それから京介は用意していた夕食をテーブルに並べてくれた。ポークシチューとサラダとバケット。やたら朝食みたいな夕食。
「ごめんね。兄貴と食べてくると思ったから軽めにしか作らなかったんだ」
「大丈夫だよぉ。むしろ京介のポークシチュー好きだしありがたいよ」
 京介の作るポークシチューは絶品なのだ。お世辞抜きにファミレスなんかよりずっと味が良いと思う。
 それから私は無我夢中で遅い晩ご飯を食べた。至福の時間だ。今日一日の緊張と疲労がほどけていく。
「兄貴と喧嘩にならなくて良かったよ」
 私のシチュー皿が空くと同時に京介はそう言って安堵のため息を吐いた。そして「正直心配してたんだ」と付け加える。
「そうだよね。ごめんね。心配させちゃって」
「いや、何事もなかったなら良かったんだけどさ。……でも意外だったね。まさか兄貴からコンサートに誘うなんてさ」
「本当だよね。まったく……。まぁ惣介らしいって言えばらしいけどさ」
 惣介らしい。思わずそんな言葉が口からこぼれた。別れてから一〇年になるというのにまだ私の中には当時の名残があるらしい――。

 翌日。私は本社に出社せずに直接山梨県に向かっていた。運転はジュンくん、助手席には京極さん。リアシートには私と冬木さんと半井さん。そんな感じで車内は女子率八〇パーセントだ。
「しっかし今日は随分と大所帯だね」
 京極さんはそう言って後ろを振り向きながら私たち三人の顔を品定めでもするみたいに見渡した。
「ちょっと京極さん。シートベルトしなさいよ。高速なんだから危ないでしょ!」
「チッ。はーい、先生分かりましたー」
 京極さんはまるで小学校の遠足で注意される子供みたいにふて腐れるとシートベルトを締めた。そして「はーい先生! シートベルトできましたー」とウザったらしく続ける。
「京極さん。あんまり春川さんを困らせちゃダメだよ」
 彼女の悪ふざけが目に余ったのか、ジュンくんが京極さんをそう諫めた。
「分かったよ。静かにすっから」
「うん、そうして。ごめんねー、二人とも。京極さんちょっとお調子者なとこあるからさ」
 ジュンくんはバックミラー越しにこちらに笑顔を向ける。見るからに爽やか好青年だ。あくまで表面上はだけれど。
「いえ……。とても楽しいです」
 冬木さんはそう言って笑うと半井さんに「ね?」と同意を求めた。半井さんは「そうですね!」と語彙力皆無に答える。どうやら冬木さんより半井さんの方が数倍緊張しているらしい。
「ジュン! 次のSA寄って。ヤニ吸いたい」
「りょうかい……。じゃあそろそろトイレ休憩にしようか」
 それから程なくして車はSAに停車した。鍵山邸まであと半分だ。
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