月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第二章 フユシオン

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 その日の夜。私と京介は近所の定食屋に出掛けた。久しぶりに二人での外食だ。まぁロマンチックさの欠片もない場所だけれど。
「とりあえず今日もお疲れ様」
 京介はそう言ってから私のグラスにビールを注いでくれた。やはり京介は女子力が高いのだ。
「ありがとう。いやぁ、マジで今日は疲れたわ」
 私はそのままビールを喉に流し込む。最高に美味い。オッサン連中が「このために生きてる」って言うのも分かる気がする。
「それで? 冬木さんとはどうだったの?」
「んーとね。今後はジュンくんと二人三脚でやってもらうつもりだよ。まぁ、冬木さんもジュンくんも子供じゃないから大丈夫でしょ」
 そう。彼らは子供じゃないのだ。もしかしたら私なんかよりずっとしっかりとした展望を持っているかも知れない。
「なら良かったよ。じゃあこれでとりあえずは一段落かな?」
「そうね。作詞部門の方はこのまま進めれば問題ないと思う。どっちかって言うと……。作曲の方が心配かな」
「ああ……。たしか担当は京極さんだったもんね」
 京介は何か察したように肯いた。京極さんのことをよく知っている京介なら当然の反応だと思う。
「うん。それもある。でもそれだけじゃないんだ」
「と言うと?」
「今回ばっかりは鍵山さんのが心配かなぁ……。なんて言うと私の面倒事センサーがそう言ってるんだよね」
 面倒事センサー。私のトラブル予防探知の直感みたいなものだ。残念ながら的中率は九割強。本当に最悪だと思う。
「それは……。やっかいだね」
 京介はそれだけ言うと「うーん」と唸った。
「まぁ、ただの直感だから外れるかもだけどね。鍵山さん自身はいい子だし、京極さんとだって相性は悪くないと思うんだ」
 そこまで話して私はため息を吐いた。そう。これは問題因子がはっきりしない不安なのだ。私の経験上この手の不安が一番厄介ごとに繋がると思う。
「とりあえず警戒はしといた方がいいね。ほら、陽子の女の勘はかなり正確だからさ」
「そうね……」
 そんな話をしているとテーブルに料理が運ばれてきた。麻婆丼とラーメンと餃子と春巻。ザ・中華って感じのメニュー。
「じゃあ食べようか」
「うん」
 それから私たちは高カロリーな夕食を堪能した。センスの良いレストランもいいけれど、やはり私にはこんな感じの庶民的な料理の方が好きなのだ。最近は多忙過ぎて痩せ気味だったし、ちょっとぐらい食べても問題はないだろう。
「そうそう! 今日からウチの部署に異動になった人がいるんだ」
「そうなんだ。企画部からの助っ人?」
「いんや。営業部から来た人。なんかボカロとか小説とかが得意なんだってさ」
「そっか。……たぶんその人も予期せぬ異動だったんだろうね」
 京介はまるで見てきたみたいに言うと小皿に醤油を垂らした。

 餃子が口に運ばれる。続いて酒も。それは本当に庶民的な夕食だった。店内は会社帰りのサラリーマンやら家族連れやらで賑わっていた。床はベトベトする。でも不思議と嫌な感じはしなかった。適度に汚れていること。それが私たちにとってはスタンダードなのだと思う。
「マジで西浦さんの考えることは分からないよ」
「だろうね。僕も彼女の真意は分かりかねるよ」
 そう言って京介は箸を置くと店員を呼んでお冷やを貰った。飛んできた店員がやっつけ仕事にコップに水を注ぐ。
「僕もボカロについては少し調べてみたんだ。アレってかなり特殊な音楽だよね」
「そうね。まぁ一応私みたいに音楽業界に居りゃ多少は知識あるけどね……。正直アレなんだよね。ウチのアーティストとは相性が悪いからさ」
 ニンヒアのアーティストとボーカロイド。それは考えるまでもなく相性最悪だと思う。ウチの会社はハードコアやらパンクのアーティストばかり抱えているのだ。もちろんボカロ曲にはそういった類いの音楽もあるにはあるけれど、それにしたって食い合わせは悪いと思う。
「一応、西浦さんの考えが分からなくはないよ? ほら、最近陽子の会社のアーティストって興業芳しくないみたいだしさ。ベタな言い方だけど流行を取り入れたいんじゃないかなぁ。てこ入れは大事だからね」
「うん。それは分かる。つーかそれが建前みたいなもんだからね」
 そう。京介の言うことがまさに西浦さんの言い分だった。
 
『時勢を読み、新しいニーズに対応すべく様々なクリエイターを取り入れて日本の音楽をリードしていく』
 
 そんなどうしようもないくらいの言い分。実に企業的だと思う。
「陽子的にはもっと違う意図があると思うの?」
「あると……。思う。それが何なのかはサッパリだけど」
「そうか……」
「うんとね。なんて言うかきな臭いんだよ。西浦さんってニンヒアでは敵も多いからさ。少なくとも企画部は西浦さんを敵視してる節があるしね」
「きな臭いねぇ……。まぁともかく気を付けなよ! 陽子だって今は責任ある立場なんだからさ。とばっちりで怪我するかもだしね」
 京介はそう言って心配そうに私の顔を見つめた――。
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