月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第二章 フユシオン

18

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 二子玉川駅に到着した。これから待ち合わせ場所に向かう。兄の話だと『喫茶 木菟』は駅から割と近くにあるらしい。
 それにしても地下鉄での移動は予想以上にきつかった。渋谷駅で感じたあの嫌な空気の何倍もねっとりした車内。それは確実に私の気持ちを萎えさせた。せっかく半井先生に会えるのにこれじゃあ……。そんな気持ちになる。
「約束の時間には間に合いそうだね」
 兄はスマホで時間を確認すると優しく私の手を握ってくれた。兄の手のぬくもりで少し気持ちが軽くなる。
「良かったぁ。……半井先生ってどんな人かな?」
「うーん。どんな人だろうね? 一四歳の女の子ってこと以外何も分からないんだよね」
 十四歳の女の子。兄の口から出たその言葉の響きに胸がうずいた。そして同時に自身の一四歳の頃を思い返した。
 ハッキリとは覚えていないけれど、一四歳の私は半井先生のような執筆は出来ていなかったはずだ。というよりも執筆自体していなかった気がする。当時の私はまだまだ子供で物語を空想こそすれ、文章をまとめる能力は皆無だったと思う。散文的に言葉を練るだけ練ってあとはほったらかし。そんな感じだった。
 だからだろう。私は半井先生に対しては尊敬すると同時に嫉妬していた。彼女は本当に『すごい』のだ。『すごい』なんて言葉で片付けてはいけないくらいのすごさが彼女にはあると思う。
 そんな尊敬と嫉妬がごちゃ混ぜになった状態で彼女に会う。それを思うと自分が酷く情けない人間のように思えた。ただただ執筆を毎日するだけのオンボロな機械みたいな気持ちになった。廃棄寸前のライティングマシン。そんなチープで意味不明な肩書きが頭に浮かぶほどに。
 駅から少し歩くとムクドリのさえずりが聞こえた。どうやらたくさんのムクドリたちが街路樹にとまっているらしい。兄はそのことに気づいていないのか私の手を握って真っ直ぐ進むだけだった。おそらく光のある世界の人間には鳥の声など取るに足らないことなのだろう。
 こういう些細なことで私は毎回寂しい気持ちになる。別に兄は悪くない。それは分かっている。それでもどうしても辛くなるのだ。自分の目が見えないこと自体が辛いのではない。目が見えないことで兄との間に溝ができることが辛かった。理解ではどうしても埋められない。それは無意識の領域で生まれた溝なのだと思う。
 そんな私の思いを知ってか知らずか兄は楽しげに私に語りかけ続けた。純朴で素直な声で――。

「着いたね」
 しばらく歩くと兄は立ち止まった。どうやら『喫茶 木菟』に到着したようだ。
「……緊張するね」
「うん」
 私は兄の手を強く握りしめた。お互いの手に汗が滲んでいるのを感じる。
「じゃあ入るよ」
 兄はそう言うと『喫茶 木菟』の扉を押し開けた。重たい木製の扉が開く音が聞こえた。
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