月不知のセレネー

海獺屋ぼの

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第一章 二つの鍵盤

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 彼女の家のつくりは非常に実用的なものだった。盲目な家主のための家。パッと見ただけでそれが分かる気がする。
 まず家全体を通して段差らしい段差がほとんどない。平屋とはいえここまで平らな家は逆に珍しいと思う。さらに玄関と勝手口以外の扉は全てスライド式で廊下には長い手すりが設けられていた。完全なるバリアフリー住居……。その手の話に疎い私でさえそう感じる。
 ただし、彼女自身の部屋だけはその限りではなかった。つまらない感想を言えば、ごく一般的な音楽クリエイターの部屋だと思う。向かって左の壁際にはパソコンと録音機材。右側にはベッドとチェスト。中央にはテーブルとソファー。家具の色は全体的に暖色系が多い。おそらくは木目の壁に合わせて選んだのだろう。女性的な家具や化粧品の類いはない。まぁ、これは彼女の視覚障害によるものだと思うけれど。
「粗茶ですが」
 私がそうやって下世話に部屋を物色していると男性がお茶を出してくれた。香りの強い紅茶。それもとびきり高級な。京極さんの言葉を借りれば『ブルジョワ』なのだろう。
「ありがとうございます」
 私は反射的に頭を下げた。彼はそのまま京極さんの前にもティーカップを置く。
「お、いいすね。私コーヒー党だけど最近紅茶も好きなんすよ!」
「ハハハ、それは良かったです。ちょうどいい茶葉があったので」
「ありがとうございます! いやぁ。しっかしお兄さんめっちゃカッコいいっすね」
 京極さんはまるでナンパでもするみたいにその男性に絡んだ。本当にやめて欲しい。こっちまで恥ずかしくなる。
「ちょっと……。京極さん」
「ん? ああ、ごめんごめん。いやぁ……。お兄さんめっちゃ良い人そうだからさぁ。あ、すいません。初対面でこんなこと言って」
 この子は何を考えてやがるんだ!? と内心思った。これがあるから京極さんは面倒なのだ。
「ま、まぁ。温かいウチにどうぞ」
 彼は困ったように言うと苦笑いを浮かべた。そして月音さんの隣に腰掛ける。
「えーと……。改めまして。本日はこんな山奥までありがとうございます」
 彼はそう言うと名刺を私たちに差し出した。そこにはには『遠藤海音』と書かれている。字面がとても女性っぽい名前だ。
「あの……。失礼ですが遠藤さん。これは本名ですか?」
「ええ、本名です。海の音と書いて『みおん』と読みます」
 『えんどうみおん』。実に可愛らしい名前だ。『かぎやませれねー』と大差ないくらいのキラキラネームだと思う。考えてみれば部屋にいる人間は私以外全員キラキラネームなのだ。まぁ……。一番おかしいのは『きょうごくへかてー』だと思うけれど。
 私と遠藤さんがそんな話をしていると「あのぉ。失礼ですがお二人はどういったご関係なんすか?」と『きょうごくへかてー』が話に割り込んできた。空気を読まない女。そろそろ本気で叱った方が良いかもしれない。
「ああ、そうですね……。僕らは」
 遠藤さんはそう言いかけてから月音さんに一瞬目を遣った。そして続ける。
「関係性で言えば僕は月音の叔父です。この子の母親が僕の実姉なので」
「なーるほど! それでお二人よく似てたんすね!」
 京極さんは妙に納得したように頷いた。そして「似てるよねー」と私に同意を求める。
「そうですね……」
 もういい加減にして。遊びじゃないんだ。と心の中で叫んだ。頼むからこれ以上余計なこと言わないで! とも……。京極さんはそんな私の思いを余所に続ける。
「いいっすねぇ。えーと、なんでお二人は一緒に音楽活動されてるんです? あ、言いたくなかったらいいっすよ。ちょっと興味があるだけなんで」
「ちょっと、京極さん。失礼でしょ」
 私は少し強めに京極さんを窘めた。これで聞いてくれなかったら部屋から連れ出してどつくしかない。語尾にそんなニュアンスを込める。
「ハハハ、大丈夫ですよ。じゃあ……。私がお話しします」
 そう言うと月音さんは二人で音楽活動を始めたの経緯を話してくれた――。
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