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横浜町田~大和

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 あのときの彼女の行動については、あれから何度も考えた。仮説ならいくらでも立てることができる。それこそ彼女が自ら語ったとおり、銀河政府に造られた人工生命体なのかもしれなかったし、あるいは誰とでも寝るような女だったのかもしれない。しかし前者はやはり常識に反するし、後者であればもっと上手いやり方があった気がする。根拠のないいくつもの仮説の中で、私が最もあり得るように感じるのは、次のようなものだ。

 おそらく彼女は人生においてなんらかの問題を抱えていた。それは受験のことかもしれないし、家族やそれ以外の人間関係についてかもしれない。あるいはそれらとはまた別の問題があったのかもしれない。
 彼女は当時としてはファッションも少し変わっていたし、話をしてもエキセントリックな部分はあった。それらが周囲との軋轢を生んだのかもしれないし、あるいは軋轢の中で自分を曲げないための鎧がツインテールとニーソックスだったのかもしれない。
 その問題は命を絶つべきか迷うほどの大きな問題だったかもしれないし、誰か話し相手がいれば解決する程度だったかもしれない。……曖昧すぎてこれでは結局なにもわからないが、とにかく何らかの問題があったのだろう。そこに関しては推測を重ねても仕方ないし、話を先に進めよう。
 そんなとき彼女は、予備校の夏期講習の帰りに、同じ講座を受けている男子に話しかけられた。多少戸惑いはしたけれど、なんとなく感覚は合い、心惹かれる部分もあった。外見だってイケメンというつもりはないが、そこまで悪くはなかったはずだ。
 とはいえ、彼女には自分のことを話せない事情があった。それは本当に話せないようなひどい話だったのかもしれないし、初対面の相手に軽々しく話すのはためらわれる程度だったのかもしれない。
 いずれにせよ彼女は、自分について真実を語る代わりに、銀河政府に造られた人工生命体という設定を思いついた。私が信じると思ったわけではなく、真実を語らずに済ませるための嘘と、会話を楽しむためのジョークという側面があったはずだ。はたして私は彼女の期待に応え、その話につき合ってくれた。
 私と別れて家、あるいは寝泊まりする場所に戻った彼女は、話の続きを考え、とあるアイデアを思いついた。それが自転車もしくはバイクで相模湾まで行くという計画だ。
 忘れたい現実を忘れ、嘘ともジョークともつかない設定を演じながら、多少なりとも魅力を感じる異性と、夜の街を駆ける。それを素晴らしいアイデアだと思ったのは、私だけではないはずだ。
 彼女の自殺願望については、私は自分の希望的観測を排除できない。とはいえ、たまたま自殺しようと考えていたときに私が声をかけたというのは、いささか出来すぎた話だ。逆に私が声をかけたことでそれが明確な形を持ってしまったというのも、さすがにないはずだ……。

 横浜青葉辺りまでの道のりを、彼女は思った以上に楽しんだ。最初は自分を取り巻く世界への不満を覗かせながらも、夜の冒険は心を躍らせ、私の人生のちっぽけな物語にも、きっと彼女は好感を持ったのだろう。
 特別なドラマがなくても、相手を知るだけで好感度は上がる。夏の夜の開放感の中で私はいろいろな話をしたし、彼女が恋人に感じるような親しみを覚えたとしても不思議ではない。
 コンビニでビールを買ったときにどこまで考えていたのかは、わからない。
 最初からそれを言いわけにホテルに誘うつもりだったのか、勇気を出すためだったのか、あるいは単純に背伸びをしてみたくて、少しアルコールが入ったことでより開放的になり、大胆な行動に出たのか。
 いずれにせよ、彼女はおそらく横浜町田のラブホテル街のことを知っていて、そこを目的地に定めたのだろう。
 経験があったのかもわからないが、豊富ということはなかったはずだ。少し疲れたという言葉と、無言で回された腕が精一杯だったのだから。彼女がおそらく相当な勇気を振り絞ったのだと思うと、今でも申し訳ない気持ちで胸が痛む。
 ただやはりわからないのは、それがなんのためだったのか。

 未経験で、早く大人になりたかったのか。

 何らかの問題を抱えたなかで、大きな一歩を踏み出すことで自分を変えたかったのか。

 あるいはそうすることで私ともっと仲良くなれると思ったのか。

 私との今後の関係を決めようとしたのか。

 ことが終わった後で真実を告げるつもりだったのか。

 純粋に私のことが欲しかったのか。

 それとも、誰かに愛されたかったのか。

 一つに限定することもできないのだろう。様々な欲望と打算が混じり合い、かすかな酔いと開放感の中で彼女が選んだのが、あの言葉と腰に回された腕だったのだろう。
 どのレベルで実現させたかったのかもわからない。絶対にそうしたかったのか、できればそうしたかったのか、そうなったらいいなというレベルだったのか。無意識にそうなることを期待していたという可能性もあり得る。
 ただ、その後の彼女の言動を考えると、私が勇気を出さなかったことに失望したのは確かだろう。いつだって女の子は、ナイーブな男たちが足踏みしている間に、軽々と飛び立ってしまおうとする。
 しかしまあ、失望されるだけなら構わない。考えられるなかで最悪の想定は、彼女が私に抱かれるかどうか、自分の中で賭けをしていたことだ。

 つまり、抱かれたら全てを明かして生きる。
 抱かれなければそのまま別れ、命を絶つ。

 しかしそれはいくらなんでも考えすぎだろう。さすがにそんな馬鹿な賭けはない。その後の彼女の言動も含め、何度も何度も分析して検証したのだから、それだけはないはずだ。

 もちろんこれらは全て仮説だ。なにも証明することはできないし、証明する手段は永遠に失われた。
 もしかしたら彼女は自分で言っていたとおり宇宙に行ってしまったのかもしれないし、あるいは全ては私の考えすぎで、彼女は横浜町田のラブホテル街も知らず、言葉通り疲れていただけで、私に寄りかかっただけだったのかもしれない。

 そのときの私は、むしろその確率が高いと思っていた。つまり、彼女が疲れていただけという可能性だ。
 当時の私はまだ、女の子からそんなに明確な欲望を向けられたことがなかった。だからそれは仕方ないことだった。……いや、もうこれ以上の言いわけはやめよう。話を先に進めよう。
 私は自転車を漕ぎ、その交差点から遠ざかっていった。彼女は黙ったまま、右手で左の肘を、左手で右の肘を掴み、腕全体で私の体をしっかりと抱き締め、体重を私に預けていた。背中全体に熱を感じ、Tシャツ越しに二つの膨らみが潰れているのを感じた。首の下に感じる息はさらに熱かった。以前からだったのか、彼女が身を寄せてきてからなのか、背中は汗でぐっしょりだった。
 しかし私が感じていたのは、興奮よりも混乱と緊張だった。どうすべきかわからないなかで私は、きっと彼女は本当に疲れているのだろうと考えた。
 それでも私が望むならホテルに行くこともできる気がした。一方で、このような状況で勢いで関係を持つべきではないという奇妙な倫理観もあった。今にして思えば完全な間違いだ。他に相手もいなかったのだから、関係は勢いで持つべきだった。そうしないことには男女の関係など進展しないし、人類は絶滅してしまう。

 自転車は横浜町田インターから離れていった。
 高架下の空き地を取り囲むフェンスが途切れ、高架の底面が接地する。
 本線のガードが下りてきて、それも途切れる。
 アスファルトの坂道はついに側道と同じ高さになり、本線と側道が合流した。
「……そのうちどっかにファミレスとかあるよ」
 私は交差点の前で言ったことと同じようなことを言った。
 彼女は黙っていた。
 歩道橋が見え、そこに繋がる階段の壁に、見事なユニコーンのレリーフが刻まれていた。処女を好み男を憎むという、獰猛で邪悪な獣だ。
 彼女はまだ黙っていた。
「大丈夫?」
「……はい。大丈夫です」
 彼女はやっとそれだけ答えて、私は少しホッとした。本当はホッとしている場合ではなかったのだろう。
 道はやや下りで、自転車は勝手にスピードを上げていく。煌々と灯るガソリンスタンドの明かりが通り過ぎていく。
 周囲には高い建物もなく、青黒い空がやけに広い。夜の積乱雲は消えることなく、さらに膨らんでいた。その上に月が出ている。
 左側は畑になり、だんだん道との高低差が開いていく。やがて畑はフェンスに囲まれた果樹園になった。ブルーベリー園という表示がちらりと見えた。
「ブルーベリー園だって」
 私は言った。なんでもいいから話したかった。
「ブルーベリー狩りとかできるのかな。葡萄狩りみたいに。まあこんな時間じゃやってないけど」
「……楽しそうですね」
「いつ頃やってるのかな」
「どうでしょうね?」
「葡萄狩りならこれからシーズンなんだけどね」
 今度行こうよ、とは言えなかった。私はまだ彼女の設定を無視することはできなかったのだ。そしてまた会話は途切れた。

 大きなマンション群が右手に見えてきて、道はまた本線と側道に分かれる。本線は上り坂だったし、ファミレスとか休める場所を探すなら地上の方がいい。そう思い、私は側道を選択した。
 しかしなかなかファミレスは見つからなかった。ファストフードやラーメン屋でも良かったが、こんな時間に開いている店はやはりあまりないようだ。倉庫や閉まっているアウトドアショップの脇を抜け、再び本線と合流し、セメント工場の建物を左手に見ながら、小さな橋を越える。そしてまた倉庫、倉庫。
 次の分岐では、本線は地下に入っていくようだった。再び側道を進むと、本線のトンネルの上で道は四六七号と合流する。ストリートビューで見たとおりだ。
「もうすぐ大和市街だし、そろそろなんかあるよ」
 地図を思い浮かべながら私は言った。
 本線のトンネルは上部が開いているのか、高速道路のガードの上端のようなものが、右手の植え込みの向こうに見える。
「……はい、おなかも空きました」
 そのときには彼女の声は少し、以前の調子に戻っていた気がする。
「国道沿いになにもなかったら駅の方に行ってもいいかもね」
「そうですね」
 右手のガードは途切れ、二四六の本線は再び完全に地下に潜る。そして地上の道も大きな分岐に差しかかった。
 さらば二四六。
 ここから四六七を南下すれば、藤沢、そして江ノ島だ。
 私たちの旅は、着実に終わりに向かっていた。
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