聖霊の祝福をあなたに

itoma

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第2章:学友

第9話:イータ族と霊

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「ここがウチ! 怪しい店じゃないから安心して」
「うん……」
 
 アカデミーから徒歩10分。首都の外れに佇む2階建ての木造建築は、お世辞にも立派だとは言えなかった。
 外壁の塗装は所々剥がれていて、放置された蔦が2階の出窓にまで伸びている。「占いの館スカーレット」と書かれた看板は少し傾いていて文字もかすれているが、その独特のフォントが一層怪しい雰囲気を醸し出していた。
 ドアを開けると、古びた木の扉がきしむ音が響く。外観とは裏腹に、室内はきちんと整理されていて掃除も行き届いていた。壁には色とりどりの布製のタペストリーが飾られ、可愛らしい雰囲気だった。

「いらっしゃい」
「友達のフィオナよ」
「初めまして。お邪魔します」
「カリンよ。娘と仲良くしてくれてありがとう」

 リサの母は笑顔で出迎えてくれた。赤茶色の髪にぱっちりとしたつり目はリサとそっくりだった。
 
「イータ族について知りたいんだって」
「へー、物好きねぇ。知りたいのはイータ族のことというより、霊についてかしら?」
「は、はい」
「座って。紅茶淹れてくるね!」

 リサに促されてダイニングチェアに座ると小さく木の軋む音が聞こえた。
 部屋の中にある家具はほとんどが家を買った時についてきたもので、素朴で年季が入っている。正直、とても貴族が住むような家には見えなかった。

「一応子爵の爵位は残したけど、屋敷も家具も夫が死んでから全部売り払ったの。汚くてごめんね」
「そんなことないです」

 父親はリサが6歳の時に亡くなっている。遺言により全ての財産を相続したカリンは屋敷を手放し、この小さな家で娘と暮らしていくことにした。
 貴族でもない、ましてや迫害されてきたイータ族であるカリンには、こうする他に選択肢がなかったのだ。

「リサは小さい頃から霊に対してアレルギーがあってね」
「アレルギー?」
「猫に触るとくしゃみとか蕁麻疹が出る人がいるでしょ? それと同じよ」
「そうなんですね……」
「せっかく頑張って勉強してアカデミーに入学したのに、霊が多いせいで毎日蕁麻疹つくって帰ってきてね……この間まで熱出して寝込んでたのよ」

 フィオナが入学してきた時、リサがいなかったのは霊が原因で体調を崩していたからだった。
 明るくて快活な印象を受けたリサも、霊によって苦しんできたんだと思うとフィオナは心苦しくなった。霊による弊害はフィオナが一番よくわかっていたからだ。
 
「カリンさんも視えるんですか?」
「まあ……ぼんやりね。悪霊か聖霊か判別できるくらいよ」
「悪霊か聖霊……?」
「じゃあそこからお話しましょうか」
「どうぞ。ローズヒップティーだよ」
「ありがとう」

 リサが用意してくれたティーカップから、甘酸っぱい香りが漂ってきた。早速一口飲んでみると、口の中にフルーティーな味わいが広がり、フィオナの心を落ち着かせた。

「この世に未練を残して死んだ者の魂……それが霊」

 肩の力が抜けたフィオナを確認して、カリンが話し始めた。

「強い憎しみを残して死んだ者は悪霊に、誰かを護りたいと強く願って死んだ者は聖霊になる。まあ、簡単に言うと悪い霊か良い霊か、ね」
(悪霊と聖霊……)

 悪霊や聖霊といった名前は知らなくても、人に害を与える霊とそうでない霊がいることは今までの経験でよくわかっていた。
 例えば母の傍にいたラウルや、セルベーニュ公国の宿で見かけたスキンヘッドの霊は聖霊に、デリックを恨んで死んだコーディは悪霊に分類されるんだろう。

「フィオナはどのくらい視えるの?」
「生きている人間と同じように視えます」
「!」
「マジ……?」

 カリンの質問に何気なく答えると、二人の目が見開かれた。その反応から、フィオナのように霊の姿がはっきり視える人物はごく稀だということが窺えた。

「そう……辛いことも多かったでしょう」
「……はい。でも大丈夫です」

 カリンはフィオナのこれまでの人生を想像して眉を下げた。

「私はイータ族なんでしょうか……?」
「どうだろうね。迫害されていろんな地域に逃げたから……混ざってる可能性はあるかもね」

 イータ族が大々的に迫害を受けたのは100年以上も前のこと。フィオナの父も母もイータ族ではなかったが、その系譜のどこかで血が交じった可能性は考えられる。
 
「あと……"祝福"って、何ですか?」
「! 祝福を受けたの?」
「おそらく……」

 フィオナは一番聞きたかったことを尋ねてみた。
 
「祝福は……聖霊が人間を護るために与える力のことよ。その能力は様々で、例えば運がよくなったり、病気に強くなったりすることもあるわ。フィオナはどんな祝福を受けたの?」
「霊の声が聞けるようになりました」
「「……」」

 リサとカリンは言葉を失った。
 霊の姿がはっきり視えて、さらには声まで聞けるなんて、それは普通の少女が背負うにはあまりにも特異な能力だった。

「祝福を受けたということは、あなたがその霊に愛されていたということ……それは間違いないわ」
「……はい。ありがとうございます」

 ただ、"祝福"というものは力のある聖霊が特別に想っている人間にしか施すことができない。
 実際にフィオナの人生がどう左右されるかはさておき、ラウルがフィオナの幸せを願って力を授けたことは間違いなかった。フィオナもそれは理解していた。
 
「祝福を与えた霊はどうなるんですか?」
「……消滅するわ」
「!」

 今日までの6年間一切姿を見なかったのだから予想はしていたが、いざはっきりと告られるとフィオナは一瞬凍りついたように動けなくなった。

「ついでに霊が消滅する条件を教えてあげる。フィオナは知っておいた方がいいと思うの」

 カリンは、フィオナが霊に対抗する術を知るべきだと思った。
 おそらくフィオナはこれからも霊と関わって生きていくことになる。姿が視えて声も聞けるとなると、自分の未練を晴らすために彼女を利用しようと近づく霊もいるだろう。
 先日のコーディの一件でもそうだったように、霊の事情に深入りすることでフィオナ自身が事件に巻き込まれることだってある。カリンはそれを心配していた。

「さっき言ったように人間に祝福を与えた時が一つ。あとは、この世に遺した未練がなくなった時ね」

 霊はこの世に未練を遺した死者の魂である。ということは、その未練が無くなればこの世に留まる理由はなくなるのだ。
 まさにコーディがそうだった。彼はデリックに対する憎しみを抱いて死んだ結果霊となり、その恨みを浄化できた後、砂のようにサラサラと消えていった。

「それから……名前を呼んで『還れ』と命令した時」
「それは……」
「そう。霊を殺すも同然よ」

 最後の方法は強制的な力を持つ、残酷に思えるものだった。

「普通霊の名前なんて知り得ないんだけど……視えて聞けるフィオナなら可能でしょう」
「……」
「もちろんあなたの心に負担がかかることだから、そうしろと言ってるわけじゃないわ。ただ、頭の片隅に置いといてほしいの」
「……はい」

 コーディのように理性があって話が通じる霊ばかりではない。彼女の大切な人達が天秤にかけられた時は決断しなきゃいけない時が来るかもしれない。
 カリンの言いたいことは伝わっていたが、その覚悟は持てないままフィオナは頷いた。

「ねえ、ルイスは知ってるの?」
「ううん。レナルドは知ってる」
「銀髪の留学生ね……フィオナ、これからは私のことも頼ってね」
「!」
「私にできることは少ないかもしれないけど……気持ちを分かち合うことはできるはずよ」
「……ありがとう、リサ」

 リサは両手でフィオナの手を握った。霊の存在を知る者として、フィオナが抱える心の重物を少しでも軽くしてあげたいと思ったのだ。
 
「さ、知りたいことは知れたかしら?」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあ次は私が知りたいことを教えてもらうわよ……」

 しんみりとした雰囲気の中、カリンが明るく手を叩いた。パン、と乾いた音が部屋に響く。

「あんた達、好きな人はできたの??」
「へっ」
「もー、ママったら……」
 
 フィオナは、半分残ったローズヒップティーのカップに口をつける。鼻に抜ける薔薇の香りは、初めてロイフォード王国を訪れた日のことを思い出させた。
 ずっと伯爵邸で過ごしてきたフィオナにとって、アカデミーで過ごす日々は目まぐるしく、そして輝かしくも思えた。

(お母さん……私、友達ができたよ)

 もし母が生きていたとして、アカデミーで友達ができたと伝えたら喜んでくれただろうか。フィオナはそんなことを思いながら、少し冷めた紅茶を飲み干した。


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