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《十話》みやびの杞憂
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火曜日の朝、みやびが出社すると、室内はざわめいていた。
「おはようございます」
と声を掛けて入室すれば、しかめっ面したメイコが、みやびに対してこちらへ来るようへと招いてきた。
みやびはカバンを自席に置く前に、自分の隣に空間ができているのを不思議に思いながら、すぐにメイコの机の前へと向かった。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。昨日、社長から話を聞いたと思うけれど、大行司さんが今日からうちの部に配属になった」
「はい」
「それで、机を準備しようとしたんだが……」
そう言って、メイコはみやびの机の横へ視線を向けた。
みやびの隣には、資料などが入った大きなラックが置いてあったのだが、それが綺麗さっぱりなくなっていた。あんな大きなラックがなくなっていることにみやびは驚いたのだが、メイコの言葉にさらに驚愕した。
「今日の朝五時に社長に叩き起こされて、六時出勤、それでようやくラックが片付いたところなんだ」
「えっ」
「で、そこの空いたところに、今から机を入れるそうだ。ラックはそこに移動させた」
メイコが指さした先を見て、見覚えのあるラックが移動していた。さらには、微妙に室内の様子が違って見えた。
「ラックを入れるのに、軽く模様替えしたから」
「……お疲れさまです」
みやびにはそうとしか言えなかった。
「……まあ、ちょうど良かったんじゃないかな……片付いて……」
かなり眠たそうなメイコはそう言うと、大きくあくびをした。
「机の搬入はすぐに始まるそうだから、騒がしくなる。秋尾は資料室で仕事をすればいい」
「はい、そうさせてもらいます」
みやびはメイコに軽くお辞儀をして、席へと戻った。校正紙と筆記具に資料などを持ち、ホワイトボードに資料室と書いてから、向かった。
資料室というのは、エダス出版が今まで出版してきたものや、それこそ、雑誌を作るために必要な資料などが置かれた部屋だ。
ほぼ正方形の形の室内の壁には、天井まで届く本棚が据え置かれていて、そこにぎっしりと本が詰められている。
念のためにノックをしてから入室すれば、部屋には誰もいなかった。みやびは真ん中に置かれたテーブルに荷物を置くと、校正紙を広げた。
昨日、煮詰まっていたページを開いたけれど、日が変わり、場所が変わったところでなにかいいアイデアが出てくるかと思ったが、むしろ、落ち着かなくて、内容が頭に入ってこなかった。
せっかく資料室にいるのだから、他の雑誌を見て活路を見いだそうとみやびは立ち上がった。本棚に近寄って、適当に手に取ったのは、エダス出版の看板雑誌である月刊釣り誌『エダス』だった。
エダスという言葉を見る度、みやびは入社式の時の社長の言葉を思い出す。
エダスとは、釣り用語の一つであり、幹糸(みきいと)から針をつけた枝状の糸のことを言う。釣りでエダスの結び方が悪ければ、せっかく釣った魚も逃してしまうから、しっかりとした下準備と確かな繋がりが必要であり、それは仕事も同じだ、と言われたのだ。
みやびは入社式で言われた言葉を心の片隅に置いて、いつも仕事をしている。
編集というのは、読者と執筆者や商品、お店を誌面を通して繋ぐ仕事だと思っている。
今のように行き詰まっているときは、特にこの言葉を思い出す。
みやびは言葉の意味を噛みしめながら、『エダス』を開いた。
みやびの作っている雑誌は全ページフルカラーで、かなりの厚みがあるが、『エダス』は巻頭の数ページはカラーだが、後の残りは二色刷りだ。判型もプレインはA4であるのに対して、『エダス』はB5だ。本を持ったときの重みも違うけれど、どうしてだろう、『エダス』の方が重たく感じるのは、歴史の積み重ねのせいなのだろうか。
そんなことを思いながら、みやびはページをめくった。
表紙の裏を表2というが、そこには釣り用品のお店の広告が印刷されていた。隣のページを見ると、日に焼けた見知った顔が満面の笑みで、大きな魚を手にして、写っていた。ご機嫌なその笑みを見て、みやびは思わずくすりと笑ってしまった。
そこに写っていたのは、今は同じ編集部で働いている水無瀬麦だった。麦はプレイン編集部に来る前はエダス編集部にいたと聞いている。
左下にキャプションがついていて、体長九十センチで、重量は十キログラムとある。みやびには知識があまりないけれど、かなり大きいのではないだろうか。
さらにキャプションには、『期待の新人・編集部の水無瀬麦が初めて釣ったのは、こんな大物だった。将来に期待!』と続いていた。
たまたま手に取った雑誌に麦が載っていたことにみやびは少し動揺したけれど、土曜日のことを思い出して、心がほっこりと温まった。
みやびはパラパラと雑誌をめくり、『エダス』を見た。
読者層が上のせいか、プレインよりも文字が大きいが、文字数は多めだ。文章を読んでみたが、釣りの専門用語が多すぎて、みやびには難しかったけれど、読みやすい文章であるのは分かった。あとは、図解が多いのも特徴かもしれない。
そうやってみやびは何冊か『エダス』を読んだ後、行き詰まっている誌面へと戻った。
他の誌面を見たことで、少し新鮮に読み直せるようになり、みやびは赤ペンを握りしめると、修正箇所にかき込んでいった。
そうしていると、お昼になった。
だれも来なくて、しかも仕事がはかどったため、休憩を一度も入れていないことに気がついた。
みやびは大きく伸びをすると、荷物をまとめた。
さすがに荷物の搬入は終わっているだろう。それよりきになったのは、だれも呼びに来ないことだ。内線もあるのに、鳴らなかった。
疑問に思いながら、編集部に戻ると、みやびの予想どおり、机の搬入は終わっていた。のだが。
「ただいま戻りました」
「あぁ、おかえり」
「あの……この机」
「そこに大行司さんが座るそうだ」
机と椅子は、まるで社長室にあるかのような豪華な造りで、編集部にそれがあることに違和感を覚えるほどだ。
そして、その席に座るはずの撫子の姿は見当たらない。
「大行司さんは……?」
「まだ来ていないよ」
「そうなんですね」
いるだけでいいとは聞いていたけれど、就業時間も関係がないらしい。
お金持ちのお嬢さまのお遊びに付き合わされるような気がして、みやびは内心、気を悪くした。
とはいえ、社長直々に言われたため、撫子の面倒はみやびが見なければならない。この様子だとわがままお嬢さまのような気がして、気が滅入ったけれど、これも仕事の内だ。仕方がないと言い聞かせて、みやびは荷物を自分の机に置くと、財布を手に持った。
「メイコさん、お昼に行って来ますね」
「ゆっくりしてくるといい」
メイコのその一言は、まるで死刑宣告のようで、ますます気が重くなったけれど、それでもみやびは笑みを浮かべて、お昼へと出掛けることにした。
「おはようございます」
と声を掛けて入室すれば、しかめっ面したメイコが、みやびに対してこちらへ来るようへと招いてきた。
みやびはカバンを自席に置く前に、自分の隣に空間ができているのを不思議に思いながら、すぐにメイコの机の前へと向かった。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。昨日、社長から話を聞いたと思うけれど、大行司さんが今日からうちの部に配属になった」
「はい」
「それで、机を準備しようとしたんだが……」
そう言って、メイコはみやびの机の横へ視線を向けた。
みやびの隣には、資料などが入った大きなラックが置いてあったのだが、それが綺麗さっぱりなくなっていた。あんな大きなラックがなくなっていることにみやびは驚いたのだが、メイコの言葉にさらに驚愕した。
「今日の朝五時に社長に叩き起こされて、六時出勤、それでようやくラックが片付いたところなんだ」
「えっ」
「で、そこの空いたところに、今から机を入れるそうだ。ラックはそこに移動させた」
メイコが指さした先を見て、見覚えのあるラックが移動していた。さらには、微妙に室内の様子が違って見えた。
「ラックを入れるのに、軽く模様替えしたから」
「……お疲れさまです」
みやびにはそうとしか言えなかった。
「……まあ、ちょうど良かったんじゃないかな……片付いて……」
かなり眠たそうなメイコはそう言うと、大きくあくびをした。
「机の搬入はすぐに始まるそうだから、騒がしくなる。秋尾は資料室で仕事をすればいい」
「はい、そうさせてもらいます」
みやびはメイコに軽くお辞儀をして、席へと戻った。校正紙と筆記具に資料などを持ち、ホワイトボードに資料室と書いてから、向かった。
資料室というのは、エダス出版が今まで出版してきたものや、それこそ、雑誌を作るために必要な資料などが置かれた部屋だ。
ほぼ正方形の形の室内の壁には、天井まで届く本棚が据え置かれていて、そこにぎっしりと本が詰められている。
念のためにノックをしてから入室すれば、部屋には誰もいなかった。みやびは真ん中に置かれたテーブルに荷物を置くと、校正紙を広げた。
昨日、煮詰まっていたページを開いたけれど、日が変わり、場所が変わったところでなにかいいアイデアが出てくるかと思ったが、むしろ、落ち着かなくて、内容が頭に入ってこなかった。
せっかく資料室にいるのだから、他の雑誌を見て活路を見いだそうとみやびは立ち上がった。本棚に近寄って、適当に手に取ったのは、エダス出版の看板雑誌である月刊釣り誌『エダス』だった。
エダスという言葉を見る度、みやびは入社式の時の社長の言葉を思い出す。
エダスとは、釣り用語の一つであり、幹糸(みきいと)から針をつけた枝状の糸のことを言う。釣りでエダスの結び方が悪ければ、せっかく釣った魚も逃してしまうから、しっかりとした下準備と確かな繋がりが必要であり、それは仕事も同じだ、と言われたのだ。
みやびは入社式で言われた言葉を心の片隅に置いて、いつも仕事をしている。
編集というのは、読者と執筆者や商品、お店を誌面を通して繋ぐ仕事だと思っている。
今のように行き詰まっているときは、特にこの言葉を思い出す。
みやびは言葉の意味を噛みしめながら、『エダス』を開いた。
みやびの作っている雑誌は全ページフルカラーで、かなりの厚みがあるが、『エダス』は巻頭の数ページはカラーだが、後の残りは二色刷りだ。判型もプレインはA4であるのに対して、『エダス』はB5だ。本を持ったときの重みも違うけれど、どうしてだろう、『エダス』の方が重たく感じるのは、歴史の積み重ねのせいなのだろうか。
そんなことを思いながら、みやびはページをめくった。
表紙の裏を表2というが、そこには釣り用品のお店の広告が印刷されていた。隣のページを見ると、日に焼けた見知った顔が満面の笑みで、大きな魚を手にして、写っていた。ご機嫌なその笑みを見て、みやびは思わずくすりと笑ってしまった。
そこに写っていたのは、今は同じ編集部で働いている水無瀬麦だった。麦はプレイン編集部に来る前はエダス編集部にいたと聞いている。
左下にキャプションがついていて、体長九十センチで、重量は十キログラムとある。みやびには知識があまりないけれど、かなり大きいのではないだろうか。
さらにキャプションには、『期待の新人・編集部の水無瀬麦が初めて釣ったのは、こんな大物だった。将来に期待!』と続いていた。
たまたま手に取った雑誌に麦が載っていたことにみやびは少し動揺したけれど、土曜日のことを思い出して、心がほっこりと温まった。
みやびはパラパラと雑誌をめくり、『エダス』を見た。
読者層が上のせいか、プレインよりも文字が大きいが、文字数は多めだ。文章を読んでみたが、釣りの専門用語が多すぎて、みやびには難しかったけれど、読みやすい文章であるのは分かった。あとは、図解が多いのも特徴かもしれない。
そうやってみやびは何冊か『エダス』を読んだ後、行き詰まっている誌面へと戻った。
他の誌面を見たことで、少し新鮮に読み直せるようになり、みやびは赤ペンを握りしめると、修正箇所にかき込んでいった。
そうしていると、お昼になった。
だれも来なくて、しかも仕事がはかどったため、休憩を一度も入れていないことに気がついた。
みやびは大きく伸びをすると、荷物をまとめた。
さすがに荷物の搬入は終わっているだろう。それよりきになったのは、だれも呼びに来ないことだ。内線もあるのに、鳴らなかった。
疑問に思いながら、編集部に戻ると、みやびの予想どおり、机の搬入は終わっていた。のだが。
「ただいま戻りました」
「あぁ、おかえり」
「あの……この机」
「そこに大行司さんが座るそうだ」
机と椅子は、まるで社長室にあるかのような豪華な造りで、編集部にそれがあることに違和感を覚えるほどだ。
そして、その席に座るはずの撫子の姿は見当たらない。
「大行司さんは……?」
「まだ来ていないよ」
「そうなんですね」
いるだけでいいとは聞いていたけれど、就業時間も関係がないらしい。
お金持ちのお嬢さまのお遊びに付き合わされるような気がして、みやびは内心、気を悪くした。
とはいえ、社長直々に言われたため、撫子の面倒はみやびが見なければならない。この様子だとわがままお嬢さまのような気がして、気が滅入ったけれど、これも仕事の内だ。仕方がないと言い聞かせて、みやびは荷物を自分の机に置くと、財布を手に持った。
「メイコさん、お昼に行って来ますね」
「ゆっくりしてくるといい」
メイコのその一言は、まるで死刑宣告のようで、ますます気が重くなったけれど、それでもみやびは笑みを浮かべて、お昼へと出掛けることにした。
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