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新しい年が明け、短かった冬休みが終わると、日常がまた動き始める。明日夏も子供たちもそれぞれがそれぞれの社会の中に舞い戻ると、陽生はひとり家の中を掃除していた。そして一通り仕事を終えるとソファに座り、暇つぶしに図書館で借りてきた郷土史に手を伸ばすが、読むわけでもなくパラパラとページをめくった。……そして、大きな波となるであろう小さなうねりが刻一刻と陽生に近づいて来る。
最後のページをめくり終えると、あくびを一つ掻いて本をテーブルに放り投げる。と同時にダイニングテーブルに置かれた陽生のスマホが大きな声を上げた。
”お前と話したいヤツがいるぞ!”と言わんばかりの大声で陽生に向かって叫び声を上げた。
陽生は歩み寄ってスマホを掴むと画面を見つめた。
「……ん? 何だこの番号。知らない番号だな。……誰だろ。……はい、もしもしィ」
「ええと、二賀斗さんのケータイでよろしかったでしょうか」
通話口の向こうからは話すことに手慣れた感じの、男性の声が聞こえてきた。
「はぁ。えーっとォ、どちらさまで……」
「ああ、どうも初めまして。私、菩提寺と申します。お手紙ありがとうございました」
「……あッ! せ、先生ですか! ど、どうも初めまして!」
陽生は背筋を伸ばしてその声に返答した。
「いやどうも、返事が遅れまして申し訳ございませんでしたぁ」
「い、いえッ。お返事が頂けるなんて思ってもいなかったものですから、恐縮です!」
「ははは。んーっとォ、それでですね。頂いたお手紙に対して電話で済ますっていうのもなんでしょうから、どうですかね? ご足労ですが、一度私の研究室にお越しいただくっていうのは。まぁ、本来なら私の方がそちらに出向いて行きたいんですが、そちらに持って行けない資料もあるもんですからぁ」
「そ、それはもう、さしつかえなければいつでも、本当にすぐにでも!」
陽生は棒立ちしたまま、右の耳にしっかりとスマホを押し当て、熱意を込めた言葉を通話口に送った。
「はははッ。そうですねェ。それじゃあ……明後日の午後一時でいかがでしょう」
「わかりました! よろしくお願いします!」
深々とお辞儀をして陽生は通話を切った。
「……ふぅ。なんてこった。まさか、電話がもらえるなんて。忘れかけてたよ、手紙出したことすら。まぁ取りあえず、何でも出してみるもんだわ。ハハハハッ。でも……でもこれで、何か手掛かりが掴めるかもしれない」
興奮冷めやらぬ表情で陽生はソワソワと辺りをうろつくが、少しすると腕を組んで右手の親指の爪を軽く噛んだ。
「大丈夫……かなぁ。あの手紙には葉奈の事も、収友の事も、結愛の事もやたら事細かく書いちまったけど……。もし、変に騒がれちまったら……」
急に不安が頭を過ぎり出した。陽生はダイニングテーブルに着座すると、険しい表情でテーブルの上を見つめた。
「でも……今はすがるしかないよ、すがるしか。……俺なんかじゃもう、この先には到底進めないんだから」
陽生はそのまま首をうな垂れた。

「……行ってきます」
「おう、いってらっしゃい」
それから二日後。最後に残っていた収友を玄関から手を振って見送ると、陽生は身支度を整えて家を後にした。そこから歩いて駅まで向かうと、やって来た上り電車に乗り込む。通勤通学の時間帯をほんの少し避けたただけだが電車の中はもう、十分過ぎるほどの隙間が確保されていた。
陽生は吊革に掴まりながら賑やかになってゆく風景をぼんやりと見つめる。
電車のぎこちない揺れに身を任せること約一時間。陽生は電車を降りると、溢れかえる人の波に流されるまま乗り換えのホームに移動し、そこで次の電車を待つ。程なくやってきた輸送機に押し込められるような形で乗り込むと、再びぎくしゃくとした電車の揺れに身体を揺らされながら終着駅へと向かった。

「なんだよ。随分とまぁ、……ローカルっぽい駅だな」
改札口を出て辺りを見回すと、思わず口から言葉が漏れた。
目の前に小さなロータリーがあるぐらいで、他はほとんど住宅しか見えない。都心から揺られること四十分。たどり着いたのは遠く離れた郊外の学園都市。ここは陽生の向かうI大学の他にいくつかの大学や高校があちらこちらにその城を築いている。
陽生は左手に巻かれた腕時計に目をやる。時刻は午前十一時を少し回った頃。
「まだこんな時間か。……とりあえず、大学の場所だけでも確認しておくか」
そう言うと、スマホを片手に大学へと歩を進めた。

雲一つない透明な青空に、乾いた風。如何にも冬らしい、そんな風景を見上げながら住宅街を歩く。行けども行けども住宅地。たまに野菜の苗を植える準備をしている小さな畑に出くわすが、すぐにまた民家が顔を出す。
「……何だか、住宅ばっかだなぁ。こんなところに本当にあんなデカい大学があんのかね」
不安な顔つきで呟きながらしばらく住宅街の網目のような生活道路を進んでいたが、突如目の前に広大な林が姿を現した。
「おおっ。林が出てきたよ。えっとォ……どこだ? この辺りか?」
スマホを見ながら前に進む。すると、広い通りに出てきた。
「これが学園通りってやつか……」
その大通りを南に向かって歩く。陽生の右手に見える木々は進路のずっと先まで果てしなく連なっている。
「すっごいな……。なんていうか、森みたいだよ。向こう側が全然見えないし」
歩くこと十数分。生い茂る木々の果てに着くと、そこから西の方に向かって学生が吸い込まれるように入ってゆくのが見える。
「あそこが入り口かな」
右手に鎮座する巨大な木々を横目に陽生も西に向かって歩む。そのまま数百メートル進むとロータリーが現れた。
「はぁ……。こりゃ、すごいや」
陽生はため息をついた。ロータリーから北に向かって一直線に伸びる歩道。そして桜の裸木がその歩道の両脇を荘厳に固めている。静順とした時期にあっても見るものを掴んで離さない情景が目の前に飾られていた。
「……ふぅ」
突如、陽生の脳裏に小さな不安が芽を出した。
「ここまで来て、余計なこと考えるな」
首を小さく振り回すと、下を向いて腕時計の文字盤を見る。
「まだ時間があるな。……取りあえずこの辺りをぶらついているか」
そう言うと、情緒纏綿な風景を背にして再び当てもなく歩き出した。
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