暁の山羊

春野 サクラ

文字の大きさ
上 下
15 / 26

15

しおりを挟む
 翌年、二月初めの厳寒の候。澄み渡った青空には、ひときわ陽の光が眩しく煌めいていた。
 「葉奈ちゃん、準備はできた? そろそろ出ますよ」
 「はーい」
 今日は、葉奈が受験をした中学の合格発表の日。気忙しく動く母の姿をよそに、葉奈は悠然と靴を履き、玄関を出る。
 「発表の時間には間に合うわね。……はぁー、緊張しちゃうわ。……じゃあ行きましょう」
 「うん」
 二人は歩いて駅に向かった。

 午後一時過ぎ。自家用車の中でサンドイッチをかじる二賀斗のスマホが鳴る。
 「モグモグ。飯食う時間もねえのかよ」
 助手席に置かれたスマホを覗く。
 「ムグ、……明日夏か」
 二賀斗は、ペットボトルのお茶を口に含めると、急いで飲み込んだ。
 「はーい、もしもし」
 「あー、ニーさん。今大丈夫?」
 軽やかな明日夏の声が聞こえる。
 「うん、どした? 何だか声が弾んでるなァ。もしかして宝くじでも当たったか?」
 「うーん。当たらずとも遠からずね」
 「ええっ! いくら当たったの!」
 「あはは、当選者は葉奈よ。中学、合格したって」
 その言葉を聞くなり二賀斗は思わず声を上げた。
 「おおーっ! そっかァ! 良かった! 良かったよ! 偏差値だって結構、高いんだろ? すごいね。とうとう明日夏の後輩になるんだ」
 「……そうねぇ。あの子、あそこに通うのね。あ、そうそう。今日空いてる? ささやかだけどお祝いしてやろうと思ってるの」
 「用があったって行くよ! 何かプレゼント買っていきたいな。何がいいんだろ」
 急かすように二賀斗は明日夏に尋ねた。
 「えーっ? なにがいいんだろね。……難しいなぁ。でも、思春期の女の子だから、そこだけは気をつけてよね」
 「あ、ああ。……ケーキでも買っていこうかな」
 「あーっ、ダメ。お母さんが買ってくるわ。たぶん」
 「そっか。じゃあ、何か買えたら買ってくるよ」
 「そうね、じゃあ、いつもの時間にお越しください」
 丁寧な言葉遣いをして明日夏からの通話は切れた。二賀斗はハンドルに手を置くと、フロントガラス越しに乾いた青空を見上げた。
 「よーし、さっさと食って仕事終わして買い物に行くか!」
 二賀斗は食べかけのサンドイッチを急いで頬張り始めた。

 午後七時過ぎ。日は沈み、空は深い藍色に塗り潰されていた。地上では冬風が元気に駆け回り、明日夏宅の前に停めた車から降りる二賀斗の髪にも執拗にじゃれついていた。
 「ニーィさん!」
 門扉のドアホンを押そうとした二賀斗の背中に声が降りかかる。慌てて二賀斗は後ろを振り返った。
 「おおッ。……明日夏ァ。……今帰り?」
 「うん。早く上がらせてもらっちゃった」
 サンドベージュ色のウインドブレーカーを着た明日夏がリュックを背負って丁度、自宅に到着したところだった。
 「上がって。……ところで、何買ってきたの?」
 「ああ、まあ。大したものが無くってね。後のお楽しみってことで」
 「ふふっ。ニーさんのセンスがわかるってものね」
 「ええ? まずいなぁ、大したもんじゃないから……」
 頭を掻きながら二賀斗は、前を歩く明日夏の後姿を何気に見つめた。
 〈……髪ボサボサだなぁ。明日夏って、ほんと着飾んないね。あんなに似合ってた髪もいつの間にかまたショートになっちゃってるし。まぁ、俺も人のことを言えた義理じゃないけどな……〉
 明日夏が不意に後ろを振り返った。
 「ん? どうかした?」
 二賀斗はドキッとした。
 「あ、ああ。いや。……あの髪形、似合ってたのになぁ、って思っちゃったよ」
 少し寂しそうに二賀斗は口角を上げた。
 「えっ? ……ああ、これね。ふふっ、よく見てますこと」
 左の人差し指と親指で襟元の短い髪をコネながら、吹っ切れたような笑顔で明日夏は答えた。
 「……やっぱり、見てくれる人がいないとさぼっちゃうのよね。……これじゃ、だめよね」
 「俺は、……み、見ているつもりなんだけどな」
 二賀斗は恥ずかしそうに伏し目がちにそう言った。
 「んー。……そうみたいね。でも、しっかりとした言葉がほしいかなー。……そっか! ニーさんって別に鈍感って訳じゃないのよね。単に口に出さないだけなのかもね」
 明日夏は、名探偵がする決めポーズのような腕の組み方をして二賀斗を見つめた。
 「な、なに。口に出さないって……」
 二賀斗はポカンとした顔つきで、明日夏が話すであろう回答を待った。
 「自分の気持ちよ。好きとか、かわいいとか、自分の気持ちを乗せて相手に伝えるの苦手でしょ、ニーさん。……どお?」
 「ええっ? そんなことは……」
 二賀斗は、決まりの悪い顔をするとそのまま下を向いたり、横を向いた。
 「でも、こうやって見ていてくれる人がいるんなら、また頑張ろうかな。……そういう言葉って、幸せな気持ちにしてくれるんだろうね、言う方にも言われる方にも。……ニーさん、ありがと」
 明日夏は二賀斗に背を向けると、玄関の扉を開いた。そして再び振り向いて笑顔で二賀斗に声をかける。
 「どうぞ、ニーさん。ようこそおいで下さいました」
 二賀斗は顔を上げて明日夏を見る。そして言葉を出した。
 「お、お招きいただき、ありがとうございます」

 いつものように二賀斗を入れて五人がテーブルを囲む。豪快に笑う鐡哉。それをたしなめる容子。そして少し大人びてきた葉奈。
 「それでね、提出する書類が結構あって、明日夏の時もこんな感じだったのかなってねぇ」
 珍しく容子が饒舌に話していた。
 「いや、しかし、姉妹そろって同じ学校に行けるとはなあ、面白いもんだ!」
 鐡哉も上機嫌で話す。
 「いっぱい勉強したんでしょ、葉奈ちゃんは」
 二賀斗は気持ちを込めて葉奈に話しかける。
 「んー、まあ。……ぼちぼち」
 葉奈は少し照れ笑いしながら、そう答えた。
 「あんなテレビばっかり見てても受かっちゃうんだから、ほんと才能よねえ」
 明日夏は、皮肉交じりに葉奈の返答に味付けをした。
 「お姉ちゃんが見てるから、釣られて見ちゃったんじゃん」
 葉奈も目を細めて反撃する。
 「ぁあ、そうだ! 葉奈ちゃんにプレゼント買って来たんだよ!」
 姉妹の交戦の中を二賀斗が割って入った。
 「えっ! なになに。何買ってきたの? なに?」
 「陽生さん、そんなことしちゃダメですよ」
 「そうだ、ヒロ。招待したのにそれじゃあ……」
 「あ、いやぁ。ホント安いものですから」
 そう言うと、上着の中からリボンに包まれた小さな箱を取り出した。
 「葉奈ちゃん、おめでとうございます」
 「あ、ありがとうございます」
 葉奈は、言い慣れない言葉をぎこちなく口に出した。
 「開けていい? ニーちゃん」
 「どうぞォ」
 葉奈はリボンを外して、包装紙を丁寧に開いた。
 「わっ。……電子手帳?」
 「へー。ニーさん、考えたね」
 明日夏は頬杖をつきながら感心した。
 「まあ、こんな高いもの! ダメよぉ、陽生さん」
 容子は感嘆した声を出した。
 「いや、ほんとに、高いものじゃなくて申し訳ないです」
 「うん、すごいよこれ。英語に力入れたかったから、これいいかも。ニーちゃんありがと!」
 「葉奈ちゃん、これもプレゼントするよ」
 二賀斗はズボンのポケットから取り出すと、葉奈の席の前に置いた。
 「……ん? なにこれ」
 「めずらしいドングリなんだよ」
 明日夏の目つきが変わった。
 「えぇ? いらないよ、こんなの」
 葉奈はそう言うと、電子辞書を夢中でいじくり出した。
 「……そっか。……興味は、ないか」
 二賀斗は、栗皮色した小さな木の実を親指と人差し指でつまんで一見すると、そのまま静かに元のポケットにしまい込んだ。

 「ほんと、ごちそうさまでした」
 「陽生さん、ありがとうございましたね」
 「ヒロ、気ィ使わせちまったなあ」
 「ニーちゃん、ありがとね」
 葉奈は、プレゼントを大事そうに持っていた。
 「おう、いっぱい使ってくれよ」
 「ニーさん、見送るわ」
 明日夏は、靴を履いて二賀斗と一緒に外に出た。
 「ぅおっ。寒うー」
 漆黒の夜空を仰ぎながら、二賀斗はダウンジャケットの襟を手で絞めた。数時間前まで飛び跳ねていた冬風も、今はその姿を見ない。
 「……ニーさん」
 二賀斗の背後から明日夏が声をかける。
 「ん?」
 二賀斗は振り向いた。
 「……ううん」
 明日夏は寂しそうな顔をすると、下を向いた。
 「ちょっと、唐突だったかな。……あの森で生ったドングリだけどさ、見せれば何かあるのかなって思ってつい見せちゃったけど」
 「……うん」
 沈んだ顔で明日夏は相づちを打つ。
 「葉奈もさァ、相当顔がきれいになったよな」
 「うん。……そうね。この辺りじゃちょっとした評判になってるわ」
 気弱な口調で明日夏は答えた。
 「どしたんだよ、明日夏がそんな落ち込んだ顔する必要ないじゃないか」
 「……うん。でも、期待しちゃうよね。なにかあるかもって、期待しちゃうよね。だって、出来過ぎじゃない。あの森で出会って、しかも女の子で、それであんな綺麗な顔になって。期待するなって言うほうがおかしいわよ」
 明日夏は眉間に皺を刻んで言った。
 「ふふっ。……明日夏にそこまで言われたんじゃ、俺が言うこともう無くなっちゃったよ。でもまぁ、これからも葉奈をよろしくね。お姉ちゃん」
 二賀斗は優しく微笑んだ。
 「……生意気な妹だけどね」
 明日夏は顔を上げて笑みを浮かべる。
 「女同士の諍いの方が激しいって聞くけど、あれじゃおじさんも大変だろ。少し同情しちゃったよ。ふっふっふ」
 二賀斗は、したり顔で明日夏を見た。
 「ひっどーい。そーやってみんなして葉奈の肩を持つのね。どーせ私が大人げないんですよぉ。……ふん!」
 明日夏は、その小さい口をつぐんでふて腐れた。
 「いやいやいや、別に葉奈の肩なんか持ってないよ。明日夏の家族で男はおじさん一人だから、肩身が狭いだろォなーって思っただけだよ。……それにしても、明日夏はそのォ、なんてゆうか、その……顔が整っているから怒っても迫力ないんだよなぁ」
 二賀斗は頭を掻きながら横を向いてそう言った。
 明日夏は、その言葉を聞くなり思わず吹き出した。
 「ぷッ。あはははっ! ……ニーさん、そんな文語体で褒められたって、褒められた感がしないわよ」
 「……悪かったね」
 拗ねた顔で二賀斗は下を向いた。
 「あははっ。まぁ、とりあえずお互いめげずに葉奈を見守りましょ」
 「あ、ああ。……うん、そうだね」
 二賀斗は車に乗り込むと、運転席から明日夏に手を振る。明日夏も手を振り応える。
 そして車のバックライトが遠ざかってゆく。……静まり返った凍える街に星が燦然と輝く。
 明日夏は顔を上げて夜空を一瞥すると、一呼吸してそのまま家に戻って行った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

最後の山羊

春野 サクラ
ライト文芸
「その人にどうしても会いたいの!」  明日夏は涙声で哀訴した。  山間にある小さな温泉旅館で或る日、大火事が起きた。多くの宿泊客が逃げ惑う中、ある若い女性が炎渦巻くその旅館に吸い込まれるように入っていくと、瞬く間に炎が消えてしまった……。  そしてその出来事から何十年かの月日を経て、代書屋をしている二賀斗陽生は、大学の後輩である如月明日夏から連絡をもらい待ち合わせをする。その席で二賀斗は明日夏から「その女性」の行方を調べてほしいと懇願される。  僅かばかりの情報を携えて二賀斗は東奔西走する。代書屋としての知識と経験を駆使しながら「その女性」を探し求めていく。そして二賀斗は、一人の少女にたどり着く。彼女と出会ったことで、決して交わることのないはずの二賀斗・明日夏・少女の未来が一つに収斂されてゆく。  

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

アルバートの屈辱

プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。 『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

悪役令嬢にはブラック企業で働いてもらいます。

ガイア
ライト文芸
ライヴァ王国の令嬢、マスカレイド・ライヴァは最低最悪の悪役令嬢だった。 嫌われすぎて町人や使用人達から恨みの刻印を胸に刻まれ、ブラック企業で前世の償いをさせられる事に!?

さつきの花が咲く夜に

橘 弥久莉
ライト文芸
国立大学の教務課で働く桜井満留は、病床 に臥す母親を抱えながらひとり、鬱々とした 日々を過ごしていた。余命幾ばくもない母の ため、大学と同一敷地内に隣接する国立病院 に泊まり込みで看病をしていた満留は、ある 夜、お化けが出ると噂のある中庭で一人の 少年と出会う。半年前に亡くなった祖母を 想いながらこの中庭によく足を運ぶのだと話 をしてくれた少年、満に、自分と同じ孤独を 垣間見た満留はひと時の癒しを求め中庭で会 うように。 一方、大学でタイムマシンの原理を研究し ているという風変わりな准教授、妹崎紫暢 ともある出来事をきっかけに距離が縮まり、 意識するようになって……。 誰とでも仲良くなれるけれど「会いたい」 「寂しい」と、自分から手を伸ばすことが 出来ない満留はいつもゆるい孤独の中を 生きてきた。けれど、母の手紙に背中を 押された満留は大切な人たちとの繋がり を失わぬよう、大きな一歩を踏み出す。 勇気を出して手を伸ばした満留が知る 真実とは?  母娘の絆と別れ。親子のすれ違いと再生。 異なる種類の孤独を胸に抱えながらもそれ を乗り越え、心を通わせてゆくヒューマン・ ラブストーリー。 ※エブリスタ新作セレクション選出作品。 2022.7.28 ※この物語は一部、実話を交えています。 主人公の母、芳子は四十九歳の若さで他界 した作者の祖母の名であり、職業こそ違う ものの祖母の人生を投影しています. ※この物語はフィクションです。 ※表紙の画像はミカスケ様のフリーイラスト からお借りしています。 ※作中の画像はフリー画像サイトpixabayから お借りしています。 ※作中に病気に関する描写がありますが、 あくまで作者の経験と主観によるものです。 ===== 参考文献・参考サイト ・Newtonライト3.0 相対性理論 ゼロからわかる相対性理論入門書 ・タイムマシン、空想じゃない 時空の謎に迫る研究者 https://www.asahi.com/articles/ ASNDS2VNWND2PISC011.html ・日本物理学会 https://www.jps.or.jp/books/gakkaishi/ files/71-09_70fushigi.pdf ・メンタル心理そらくも https://sorakumo.jp/report/archives/125

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

世界で一番ママが好き! パパは二番目!

京衛武百十
ライト文芸
ママは、私が小学校に上がる前に亡くなった。ガンだった。 当時の私はまだそれがよく分かってなかったと思う。ひどく泣いたり寂しがった覚えはない。 だけど、それ以降、治らないものがある。 一つはおねしょ。 もう一つは、夜、一人でいられないこと。お風呂も一人で入れない。 でも、今はおおむね幸せかな。 だって、お父さんがいてくれるから!。

処理中です...