暁の山羊

春野 サクラ

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 玄関を通り、ダイニングに通じるドアを開けると、キッチンには明日夏の母親が、リビングのソファには明日夏の父親が居た。
 「おまたせー」
 明日夏は、小声でそう言うと、両親に赤ん坊を見せた。
 「あらあらあらー、赤ちゃんだわ。寝てるの?」
 母親の容子が、小走りで明日夏に寄ってきた。
 「あらー、かわいい。随分とまつ毛が長いのね。将来美人になるわよ、この子」
 容子は目尻を下げて赤ん坊を見つめた。
 「どれどれ」
 父親の鐡哉もソファから立ち上がり、明日夏の方に歩み寄って来た。
 「ほおー、いい顔だ。こりゃ美人になるぞ。どっちだ?」
 父親に尋ねられて、明日夏は答えた。
 「うん、女の子だって」
 「そうか。モテモテだぞー。お前」
 鐡哉も、無精ひげの生えた顔をほころばせて笑った。
 「……あの、お邪魔します」
 二賀斗は、そっと両親に挨拶をした。
 「おおー、ヒロ。話は聞いたぞ。大変だったなぁ」
 鐡哉は笑顔で二賀斗に声をかけた。
 明日夏の父親の鐡哉も、二賀斗と同じ大学を卒業しており、今は亡き二賀斗の親友の伊槻収を通じて二人は知り合った。鐡哉自身、面倒見の良い親分肌を多少なりとも持っており、二賀斗もそんな鐡哉に父親の情を感じていた。今では明日夏が家に居なくても遊びに来るほどの間柄となっていた。
 二賀斗はうつむいて、思いつめた表情をしていた。
 「ねぇ、明日夏ちゃん。ちょっと抱っこさせて」
 「そっとね。起きちゃうかな」
 明日夏は、そっと赤ん坊を母親に渡した。
 「ああー、懐かしいわねぇ。明日夏ちゃんにもこんな時があったのよねぇ」
 容子はそう言うと、赤ん坊を抱えたままゆらりゆらりと身体を揺らし始めた。
 「ヒロ、まあこっちきて座れよ」
 鐡哉は二賀斗をソファに呼んだ。
 「……はい」
 鐡哉はシングルソファに、二賀斗と明日夏はストレートソファに腰を下ろした。
 「どっから連れてきたんだあ? あんな美人を。はっはは」
 鐡哉は、腰を深くソファに沈めて微笑んだ。
 「……はい。あの、実は。……明日夏、始めから話してもいいかい?」
 二賀斗は、思いつめたような顔で隣に座っている明日夏を見た。
 「……うん」
 明日夏は二賀斗を見ると、うなずいた。
 「もう、一年以上前の話になります……」
 二賀斗は、眉をひそめながら事の顛末を事細かく鐡哉に話した。……親友の収の死。明日夏のおじいさんの体験した不思議な出来事。明日夏からの人探しの依頼。色々な人を経由して葉奈という一人の女の子に辿り着いたこと。葉奈と生活を共にしていたこと。葉奈が胸に秘めていた自分の家族と自身の生い立ちの苦悩。
 ……そして、葉奈の死とその死によって誕生した奇跡のこと。
 二賀斗は、唇を振るわせながら時に声を詰まらせ、時に涙声になりながらも話し続けた。
 「……そして、今日もその小屋に行ったら、……あの子が桜の木の根元に居たんです」
 二賀斗は、いつの間にかうつむいて目を赤く腫らしていた。
 鐡哉は、肘掛けに肘を置きながら、あっけにとられた表情で二賀斗の話を聞いていた。
 「そういやぁ、なんかテレビで木がうんぬんとか、そんなことやってたなぁ。……ありゃ、本当の話なのか? ……それに親父のやつ、俺にそんな旅館の話なんぞ一度もしてくれなかったぞ。明日夏、旅館の話も森の話も本当の話なのかい」
 明日夏は、父の顔を見ると口角を上げながらも真剣な眼差しをしてこう言った。
 「……信じられないわよね。私だっていまだに信じられないわ。でも全部ほんとのこと。おじいちゃんのことも、葉奈ちゃんのことも、森のことも。……私の額の傷も、その時の思い出よ」
 鐡哉は、娘の明日夏の額に視線を向けると、すぐに床に視線を落とし首をひねった。
 「……ニーさん。あの子、どうしようか」
 明日夏は、うつむいた二賀斗の横顔を見つめて、静かに尋ねた。
 「まぁ何にしても、状況的に遺棄された子どもってことになるだろうから、とりあえず警察に連絡しておかないとだめだな」
 鐡哉は腰を上げようとした。
 「おじさん!」
 二賀斗は突然立ち上がると、その場に膝をついて勢いよく頭を床に押し付けた。
 「ちょ、ニーさん?」
 明日夏は目を丸くして、驚きの表情をした。
 「お、おいヒロ。どうした」
 鐡哉は、ソファに座り直した。
 「おじさんッ! ひ、非常識なのを承知でお願いします! あの子の、……あの子の父親になってもらえませんかッ!」
 「えッ!」
 明日夏も鐡哉も驚きの声を出した。
 容子は、未だ眠りについている赤ん坊を抱きかかえながら不安な顔をした。
 二賀斗は、床に手をつき、頭を押し付けながら言葉を絞り出した。
 「も、もしかしたら……あの子は、葉奈かもしれないんです。葉奈は最後に言ってくれました。“また会おうね”って。……だから、あの子がもし葉奈の生まれ変わりだったら絶対離したくないし、離れたくないんです! でも独り身の俺じゃ、あの子を養子に取れないんです。だからお願いします! どうかお願いします! ううッ……あああ」
 二賀斗は、むせび泣く声を必死で押さえながら鐡哉に懇願した。明日夏は、震える二賀斗の背中を見つめながら唇を噛みしめた。
 鐡哉は肘掛けに腕を置きつつ、厳しい表情をしていた。
 明日夏は、おもむろに立ち上がると二賀斗の隣で同じく膝をつき、同じく床に頭を押し付けた。
 「お父さん、私からもお願いします。あの子のお父さんになってください。どうか……お願いします!」
 「あ、明日夏ちゃん……」
 容子が思わず声を漏らした。
 鐡哉は、座ったまま眉をしかめた。
 「……明日夏。お前、子どもを育てるってゆうことがどういうことかわかって言ってるのか?」
 明日夏は顔を上げると、真っ直ぐに父の目を見た。……瞬きもせずじっと父の目を見て、こう言った。
 「正直、私にはわからないわ。だって、子どもなんて育てたことないもの。……でもね、もし私がニーさんの立場だったら間違いなく私あの子を連れて来てそのまま育てちゃうと思う。たとえ隠れてでも。だって、あの子のこと離したくないもの! 離れたくないもの! 大好きな人の生まれ変わりだとしたら絶対離したくない! 今の仕事なんか全部捨てたっていい! あの子と何処へでも行って一緒に暮らすわッ!」
 明日夏の大きな瞳からは、いくつもの涙が頬を伝って流れていた。
 「……でもね、お父さん。ニーさんは律儀な人なのよ。いつもお父さんとバカな話してるけど、本当は真っ直ぐな人なのよ。私みたいなことをすれば、あの子が日陰の生き方しかできなくなるのが分かってるから、隠さずにこうやって頼んでいるのよ! あの子にきちんと戸籍なりを持たせて、他の子と同じような生き方をさせたいと思っているから……。でも、今のニーさんにはそれができないの。……だからお父さんにお願いするしかないのよ。……これがどれだけ非常識なお願いなのかなんて、私もニーさんも当然承知のことです。その上で……お願いしますッ!」
 明日夏は頭を床に押し当てて、父親に懇願した。
 「明日夏……ごめん。……ごめん」
 二賀斗は、床に頭を押しつけながら涙声で明日夏に謝った。
 鐡哉は、肘置きから腕を離すと胸の前で腕を組んだ。そして丸まった二賀斗の背中をしばらく見つめていた。
 「……ヒロ」
 「……はい」
 二賀斗は、床に頭を押し付けたまま震える声で答えた。
 鐡哉は目を瞑ると、右手の親指と人差し指で眉間をつまんだ。
 「……あの赤ん坊が、その葉奈って子の生まれ変わりだとして、それで年ごろになったら自分のものにしたいとでも、考えてるのか? お前は」
 二賀斗は、頭を床に落としたまま黙っていたが、おもむろに身を起こした。それでも、顔はうつむいたままで視線を床に落としていた。
 鐡哉は瞼を開くと、じっと二賀斗のうつむいた顔を見ていた。
二賀斗の唇は、まるでかじかんだ様な動きをしていたが、そこから弱々しい声が漏れた。
 「お……俺の、俺の願いは……あの子が、あの子が葉奈であってほしい。……ただ、それだけです」
 床には一粒、もう一粒と滴が落ちていく。
 明日夏は顔を上げると、見守るように二賀斗を見つめた。
 二賀斗はゆっくりと顔を持ち上げ、そして鐡哉を見つめた。……泣き腫らした赤い目で。
 「……おじさん。あの場所で、あの子に出会ったのって、……やっぱり、偶然じゃない気がするんです。……生まれ変わりだなんて、そんなのあり得ない話でしょうけど」
 二賀斗は急にこぶしを握り締め、目を見開いた。
 「で、でも、でも例えあの子が葉奈であっても葉奈でなくても、……俺、あの子を見守っていきたいんです!……これは、俺がこの手で掴める……いや! この世界で生きていくためのたった一つの希望なんです!」
 鐡哉は、腕を組み直して二賀斗を睨みつけた。
 「あの子が本当の捨て子だったら、お前どうする。……その葉奈って子じゃなかったら、どうするんだ?」
 二賀斗は一途な眼差しで答えた。
 「おれは、あの子が誰であろうと、自分の一生を懸けて見守っていきます!」
 鐡哉も二賀斗をまじろがずに見つめた。
 「……ヒロ。お前も職業柄、当然知ってだろうが、あの年齢の子を養子にするとなると、特別養子縁組をすることになるんだぞ。……そうなるとあの子は法律上、俺の娘になるんだ。お前の勝手になんぞならなくなるぞ!」
 二賀斗は、鐡哉を一心に見つめ、こう言った。
 「……あの子の成長する姿を、遠くからでもどうか、見守らせてください!」
 鐡哉は、明日夏に視線を移した。
 「明日夏。……これって、お前が土下座してまで頼むことなのか?」
 「……私ね、ニーさんの気持ちすごいわかるの。……だって、私もニーさんも、同じ傷を持ってるから」
 明日夏は目を潤ませ、寂しそうに微笑んだ。
 「大切な人を失って、それでも前を向いて生きていくには……やっぱり、何かしらの希望が必要なのよ。ニーさんの希望は、あの子だと思う。……私は、ニーさんが羨ましいわ」
 明日夏のその言葉を耳にすると、二賀斗も鐡哉も顔をうつむかせた。
 「……ふぅ」
 鐡哉は一呼吸した。
 「……そういえば、明日夏。お前が俺にお願いするなんて、初めてじゃなかったかなあ」
 明日夏は、先ほどまで見つめていた父親から視線を逸らすと、寂しそうに答える。
 「……したくても、できなかったのよ」
 赤子を抱きながら容子は表情を曇らせた。
 「毎日毎日妊婦さんに付きっ切りで、今日もお産、明日もお産。……私のことなんかでお父さん使ったら妊婦さんに申し訳ないって思ってたの」
 「……そうか」
 鐡哉は口を歪めた。
 「おじいちゃん、よく言ってたよ。“トンビがタカを産んじゃったからなぁ。明日夏には寂しい思いさせちゃったなあ”って。……わたしはどっちにもなれなかったけどね」
 明日夏は、愁いを帯びた微笑みを見せながら懐かしむように話した。
 鐡哉は、ゆっくりとソファから身を起こすと明日夏に近づき、愛おしそうに明日夏の頭を撫でた。
 「ち、ちょっと。やめてよ。もう子どもじゃないんだからァ」
 嬉しそうに明日夏は父の手を払う。
 「ハハハ!」
 鐡哉は声を上げて笑うと、容子の方に視線を向ける。
 「……母さん、どうだ。この子をウチに迎えることについて」
 容子は腕に抱いた赤子を見つめながら答える。
 「……ええ。いいですよ。それより見て、この安らかな寝顔。とってもかわいい。この子は人を引き付ける何かをもっているわね」
 嬉しそうに容子は赤子を抱っこする。
 「じゃあ、その子はうちの病院の前に遺棄されてたってことにしとこう。あと、弁護士の柊木先生のとこに連絡して一緒に警察署に行くからな。……ああ、それとその子は一旦養護施設に移されるだろうから市長にも連絡してちょこっと根回ししておくか。あと、念のために県議にも話を通しておこう」
 二賀斗は額を床に押し当てると大声で叫んだ。
 「ありがとうございますッ!」
 明日夏は立ち上がると、父に抱きついた。
 「お父さん、ありがとう!」
 「おいおい、お前らまだこの子がウチの子になったわけじゃないぞ。乗り越えるハードルはいくつもあるんだからな。最終的には家庭裁判所の許可が必要だし、時間だって一週間や二週間で結果が出る話じゃない。この子がウチに来れるかどうかは確約できん話だ。とりあえず手続きは俺のほうでやっておくから、ヒロは結果がわかるまでは自宅で待っていろ。当然、時間は掛かるからな」
 「はい! わかりました」
 「よし、母さん。とりあえずお茶にするか」
 「あの、おばさん。……本当にありがとうございます。ご迷惑かけてしまって……」
 「まあね。とりあえず今はウチの子になれるようお祈りしましょう。それからよ」
 「はい」
 四人はソファに座り歓談をする。母・容子は静かに寝入っている赤子を抱きかかえている。
 「ホント、かわいい寝顔ねぇ」
 「全くだ。整いすぎてるくらい整った顔をしてるよ、こいつは」
 鐡哉はソファから腰を上げると、容子の元に行き、膝を落として抱えられた赤子を優しい眼差しで見つめた。
 「まつ毛がこんなに長いよ、母さん」
 「ほんと。お父さん、ほら、鼻すじもこんな通ってるし」
 二人が赤子を見ながら楽しそうに話している姿をよそに、二賀斗は寂しそうな表情で床に視線を落としていた。
 明日夏は、はしゃぐ父母の方に顔を向けながらも横目で二賀斗のその姿を静かに見つめていた。

 「……おじさん、この度は本当にありがとうございました」
 玄関先で二賀斗は深々と鐡哉に頭を下げた。
 「ああ、希望は捨てるな。でも楽観はするなよ。すべては裁判所次第だ」
 「はい……。お邪魔しました」
 「お父さん、私ニーさんのこと見送るわ」
 そう言うと、明日夏は二賀斗と一緒に表に出る。
 すっかり日は暮れて空には無数の星が輝いている。冷たい風と温かい風の二層の風が絡み合いながらゆっくりと夜の世界に流れていく。
 「ニーさん見て、すごい星。……なんか、久しぶりに夜の空を見上げたって感じ」
 空を見上げている明日夏を尻目に二賀斗は物憂げにうつむいていた。
 「……明日夏、今日はありがとう。……正直、一緒にお願いしてくれるとは思わなかったよ」
 明日夏は二賀斗の方に視線を移した。
 「うん。……ニーさんの気持ち、わかるからね」
 手を後ろ手に組みながら、優しく二賀斗に微笑んだ。
 「それよりどうしたの? お父さん引き受けてくれるって言ったのに、そんな寂しそうな顔して」
 二賀斗は思わず苦笑した。
 「……この仕事をしててさ、多少なりとも世の中ってやつを知ってるって思ってたんだ。談合もある、口利きもある、犯罪をもみ消す奴もいる。……でも、実は知った気になってただけなんだよな。おじさんが、いとも簡単に実力者と連絡して事を進めるのを今日、目の当たりにして……なんか世の中のシビアさってものを実感させられたよ。……俺は何にもできない。肝心な時でも誰かに頼ることしかできない。……役立たずだよ」
 二賀斗はうつむいたまま、口を一文字に強く結んだ。
 明日夏はうつむく二賀斗を見つめると、少し口角を上げ、同じくうつむいて見せた。
 「……ニーさん。お父さんはね、あの医院を開業してから毎日毎日患者さんのお世話をしてきたの。それこそ二十四時間、三百六十五日。夜遅くても、休日でも患者さんのところに駆けつけていたわ。そんな状況だもの、外から見れば、お父さんもお母さんもいる家庭だろうけど、実は母子家庭と同じだったわ」
 二賀斗は顔を上げると、明日夏を見つめた。
 「でもね、いつしかそうやって患者さんのために頑張っているお父さんを頼って遠いところからでも患者さんがやって来るようになったの。そのうち新聞とか、テレビで何度か取り上げられるようになって、いつの間にか市の審議会の委員とかお願いされるようになって、だんだん市長さんとかと仲良くなっていったの。……でもね、だからってお父さん、それを使って横暴なことなんてしてないわよ。議員とか、市長とかに立候補してくれって今でも声がかかってるけど、“政治は政治屋に任せておけばいいんだ。俺はしがない町医者だから”って笑って断っているもの」
 明日夏は、吹く風と同じく静かな表情で二賀斗を見つめる。
 「ニーさんは収のこと、野心家とかって言ってたけど、私にはそんな野心的なこと一言も言ってなかったわ。いつも話すことは動物のことばかり。どうやって保護していくか、どうやって助けるか。いつもそんなことばかり話していたわ。……もしかしたら、収は収なりに保護するための資金作りを考えていたのかもしれない」
 明日夏はとても穏やかな口調で話していたが、二賀斗は気まずそうに顔をうつむかせた。
 「……そう、だろうな。明日夏の言ってることが正しいと思う。……俺は上っ面しか見れてなかったんだ。あいつのことだけじゃない。葉奈のことも、明日夏のことも、これっぽっちも深く考えてやれなかった」
 二賀斗はまぶたを固く閉ざし、こぶしを強く握りしめた。
 明日夏は、少しだけ眉を吊り上げると静かに二賀斗に話しかけた。
 「ニーさん。収もお父さんも自分の時間を費やして動物のために、患者さんのために頑張ってきたわ。ニーさんは? ニーさんは何のためなら頑張れる? 誰のためなら頑張れる? 何も手に付かないなんて、そんなこともう言えないわよね。……だって、ニーさんの人生はもう、ニーさんだけのものじゃないんだから。守るべき人がいるんだから」
 「……あ、うぅ」
 うつむいたまま、たどたどしい声で二賀斗は声を上げた。
 「ニーさんは誰のために頑張るの?」
 古傷の下の眉間に深く溝を作り、明日夏は二賀斗に問いかけた。
 「……そ、その」
 なおも弱々しい口調で二賀斗は口ごもる。明日夏は二賀斗を睨みつけると、一喝した。
 「言いなさいッ! 声に出して! 私にじゃなく、あなた自身に向けて! 自分自身の心に強く刻み付けるのよッ!」
 明日夏は真っすぐに二賀斗を見つめる。……真摯な瞳で。
 「は、葉奈のために頑張るッ! 葉奈の……ために」
 吐き出すようにその言葉を口から出した途端、二賀斗の目から思わず涙がこぼれた。
 明日夏は優しく微笑むと、二賀斗の手を強く握りしめた。
 「負けないでよ。自分の運命に」
 二賀斗は明日夏の手を握り返した。
 「……うん。……負けない。負けたくない」
 顔を上げた二賀斗の表情は凛とした力強さに溢れていた。
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