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38話 八羽仁《やはに》組の息子

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 地下鉄の西二十八丁目で降り、そこから歩くこと約十分。大きなマンションの前に佇む佐藤の姿が見えた。

 「お待たせ」

 ミキがそう声を掛けると、浮かない顔の佐藤は会釈した。
 別れる前と少し様子が違う様に見える。

 「ここの最上階だそうです……」
 「最上階ねー」

 ミキは、マンションを見上げた。
 まだ建てられて間もない感じだ。

 「そういえば、どこの組長の愛人なの?」

 ミキは、見上げたまま聞いた。

 「あぁ。や、八羽仁やはに組だ……」
 「え! ちょっと待って下さい! それ、本当ですか!」

 組の名前を聞いた浅井が慌てた様子で、佐藤に聞いた。
 ミキは、その浅井の態度に驚いて聞く。

 「有名なの? そこ?」
 「二大勢力の片割れですよ! もう一つは三倉橋みくらばし組! ミキさん、やばいですって!」
 「なるほど……。それにしても、そんな凄い組の愛人の家なんてよく調べられたわね。誰から聞いたの?」

 佐藤は、ミキの予想通り狼狽えていた。
 ミキは、このネタはガセだと思っていた。自分を引き寄せる為のエサ。
 佐藤は一体、自分をどうしようとしたのか。それを探ろうと思い、ミキはわかっていて乗ったのだ。

 「そ、それは……」
 「遅くなった。待たせたな」

 佐藤は、ビクッと肩を震わせた。勿論、ミキも驚き声の主を見た。

 「遊佐さん! なんで!」

 ミキは、ハッとして浅井を見た。
 浅井は、バツの悪そうな顔。

 「いや、だって! 組長の愛人ですよ!」

 浅井は、そう言い訳した。

 「トイレ行くって言って、電話していたのね!」
 「行くなって言っても行くだろうし、呼ぶって言ったら止めると思ったから……」
 「あぁ、もう!」

 ミキは、浅井を睨みつけた。
 浅井は遊佐に言われた通り、何かあるかもしれないと、トイレに行く振りをして、遊佐に連絡を入れていたのだ!
 まさか浅井が、こんな事をするとは思っていなかったミキは、考えもしなかった!

 ――もう、最初から尋ねる気なんてないって! 警察が居たら、聞きたい事も聞き出せないじゃない!

 「え? 誰……」
 「あ、彼は私の友人の遊佐さん」

 ミキは、慌ててそう紹介し、遊佐に余計な事は言うなと目配せをした。
 通じたのか、遊佐は軽く会釈だけした。
 佐藤は、警戒した感じで、遊佐を見ている。
 何の為に呼んだというところだろう。

 「おや? マンションの前にたむろしていると思ったら、遊佐じゃないか。今日は非番か?」

 と、その時マンションの前に停車した黒い自動車から降りた男性から声が掛かり、ミキ達はその声に振り向いた。
 男性は、三十代ぐらいで高そうなスーツをビシッと着こなしていた。
 一緒に降りた四十歳ぐらいの男と一緒に、四人に近づいて来る。

 ――遊佐さんの知り合い? まずい、警察だとばれる……。

 ミキは、遊佐を見ると彼は強張った顔つきになっていた。
 遊佐は軽く男に会釈すると、ミキ達に小声で言った。

 「八羽仁組の者だ。すぐに立ち去るぞ」
 「え! 八羽仁組! じゃ、組長の愛人の……うーうー」
 「このバカ!」

 遊佐は、驚いて声を上げたミキの口を慌てて手でふさいだ!
 ミキは、つい驚いて声に出してしまったのだった。

 「組長の愛人? もしかして、現れるかと思って張っていたのか? あははは……」

 若い方の男性が、おかしいと身をよじって笑い出した。

 「な、何よ!」
 「よせ! 相手が誰かわかっているのか? それこそ、組長の息子だぞ!」
 「え!」

 遊佐の言葉にミキは驚く。そして、咄嗟に佐藤を見た。
 彼は、ぶんぶんと首を横に振ると、遊佐の後ろに隠れる。

 ――佐藤さんも知らなかった? でも、偶然って事はないよね? しかしまさか、息子の隠れ家に招待されるとは思わなかったわ。

 偶然にしては、出来過ぎている。
 佐藤も誰かに聞いたのだろうが、組長の息子のところだとは知らない様子だ。

 「何おたくら、俺の事すらも知らないで、のこのことここに来たのかよ」
 「すぐに退散する」
 「別に俺は構わないぜ。暇だし、なんなら部屋にご招待するけど?」

 遊佐の言葉に組長の息子は、ミキの顔を覗き込みながらそう返した。

 「いえ、私達は……」
 「あ! 佐藤さん!」

 ミキが断ろうとすると、浅井が叫んだ。
 見ると、佐藤が走り出し逃げ出していた!

 「え! ちょっと待って!」
 「彼は放っておけ!」

 ミキは慌てて佐藤を追おうとするが、遊佐に手をつかまれて止められた!

 「離してよ!」
 「わからないのか! 君は彼に、はめられたんだ!」
 「わかってるわよそんな事!」

 ミキは、乱暴に遊佐の手を振りほどくと睨み付けた。

 「ここに来たのは、彼から話を聞く為! 逃したら意味がないじゃない!」

 ミキを呼び出した目的を聞いていなかった。
 わざわざ愛人まで出して呼び出したのだから何かしらあったはず。

 「なるほど。サツじゃなそうだとは思ったが記者か? それにしても、威勢がいいねー。代わりに俺に取材するか? 愛人の事、あの男の代わりに話してやるぜ」
 「いえ、結構です。愛人の話が聞きたかった訳じゃないので。失礼します」

 組長の息子にそう答えるとミキは、くるっと回れ右をしてスタスタと歩き出す。

 「え! ちょっと待って下さいよ。ミキさん!」

 おどおどしていた浅井は、慌ててミキを追う。

 「騒がしくしてすまなかった。失礼する」

 遊佐もそう言って二人を追った。
 組長の息子は、にやにやしながら三人を見送った。

 「おい! 待て」

 遊佐が、ミキに声を掛けると歩みを止めた。

 「ありがとう。遊佐さんのお蔭で助かったわ。でも、佐藤さんは追わせて欲しかった」

 ミキは、振り返らずにそう言うと、またスタスタ歩き出す。
 遊佐は、小さくため息をつくと、ミキの手を取り引き留める。

 「ちょっと! 何よ!」
 「本当に何もわかってないんだな。君はどこかの組に目をつけられたんだぞ。そこら辺のやつが、あいつらの居場所を知っていたと思うか? 自分の上の者の居場所を教える訳がないんだから……。もし、今ので八羽仁組にも目を付けられたとしたら……」
 「それって、そうとうヤバいんじゃ!」

 真剣な顔で言う遊佐の言葉に、浅井が青ざめる。
 佐藤は、元からどこかの組と接点があった。そこから何かしら聞いたと推測される。
 もしかしたら自分の事を警察に言うなという、脅しをしようとしていたのかもしれない。

 「彼は、改心するどころか、私を売ったのね……」
 「それは、どうかな? 彼もこのままだと危ないだろうな。どういう経緯でこうなったか聞きたいんだが?」
 「………」
 「ミキ!」

 黙り込むミキに、遊佐は強い口調で名前を呼んだ。

 「手を離して……」

 ミキがそう言うと、遊佐は素直に手を離す。

 「……彼は、亡くなった佐藤史江さんの孫よ」
 「何! それをどうやって知ったんだ君は!」
 「企業秘密よ。もう、いいでしょう?」

 ミキは、遊佐に軽く礼をすると、また歩き出す。

 「えっと、ありがとうございました」

 浅井も遊佐に深々と頭を下げてから、ミキについて行く。それを遊佐は、やれやれとそれを見送った。
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