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第五章

懐かしい顔と一杯

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 暮れなずむベールアシュの光と陰の中。四神魔法が炸裂し、炎上し、さらに剣で派手な大立ち回りをしていれば、いやでも人目につく。
 ベールアシュの警備兵が登場するのは当然のなりゆきである。
 おっとり刀で現場へと駆けつけた彼らに事情を説明し、騒ぎの張本人であるスキンヘッドの男をつきだして、すべて終わりかと思えばそうではなかった。
 一応話をくわしく聞くというので、兵の詰め所まで同行させられ、冒険者パスをチェックされ、開放されたのは、それから一刻も過ぎたあたりだった。
 彼らが<夕暮れの海岸亭>にたどりついたのは、とっぷり漆黒が町を塗りかためてからである。
 幸いなことに空き部屋はあり、ダーたちはなんとか宿泊する事ができた。
 つらい船旅の後、間髪いれずに戦闘である。とっくに疲労のピークを越えていた一行は、宿に着くなりベッドにダイブした。
 みな晩餐も摂らず、意識を刈り取られたかのように熟睡している。
 ここで夜襲でもあったら、とても太刀打ちできなかっただろう。
 
 夕暮れの海岸亭の1階は酒場を兼ねている。
 六つの大型の丸テーブルには客がまばらに座り、それぞれの時間を満喫している。
 常ならば客はもっと多いのだろうが、さすがに夜更けである。
 閑散とした店内のカウンターの隅に、ひとりのドワーフが腰を降ろしている。

「みんなだらしないのう……」

 と独りごちつつ、杯をかたむけるのはダーである。
 ダーはたとえ、どのような艱難辛苦が襲いかかろうと、ひとたび酒を呑むといったら飲むのである。
 そこに理由は要らない。
 ときおり激しい疲労感から意識朦朧とするが、歯を食いしばって眠気を堪えつつ、飲む。
 もはや何が目的なのかも分からない。
 
「おとなり、よろしいですかな」

 灰色の髪と口髭の老紳士が、ダーに声をかける。
 ダーは訝しげに首をひねると、

「かまわぬが、こんなに店内には座るテーブルが多いのに、わざわざ見知らぬドワーフの隣に座りたがるとは、変わった男じゃのう」

「見知らぬ、ではありませんよ。ダー・ヤーケンウッフ殿」

「ほう、ワシの事を知っておるとは。どこかで逢ったかの」

 ダーはじっと老紳士を見やった。やがてダーは、刻まれた歳月の奥に眠る真実にいきあたった。その顔に、懐かしい面影がある。

「もしかして、ベクモンドかのう?」

「憶えておいででしたか」

 嬉しげに口髭の老紳士、ベクモンドが微笑を浮かべる。

「えらそうに口髭なぞ生やしておるから、なかなかわからなかったわい」

「えらそうって、あなたとチームを組んでいた頃からどれだけ経過したと思っているのです?」

「50年かのう?」

「43年です。当時まだ若輩者だった私も、もう65歳ですよ」

「そうか、そんなに経過しておるのか。おぬしがベールアシュに住んでおるとは驚きじゃ。それにまだまだ壮健そうで何より」

「ダーさんにはかないません。あの頃と顔も体型もまったく変わらない」

「体型は余計じゃわい」

 注文をとりに来た酒場娘に、エール酒2杯とソーセージを注文する。注文の品が届くまで、ダーとベクモンドは失った時間を取り戻すように、さまざま語りあった。
 ダーがエクセと組んで、新たに3人の冒険者とチームを結成していると聞くと、ベクモンドは目尻に皺寄せて、つと遠い目をした。

「私もダーさんと共に過ごした冒険者時代のことを、ありありと思い出せます。そうですね……今考えたら、あれは私の青春でした」

「大袈裟じゃのう。それにワシらはそれほど長くチームを組んだわけではあるまい」

「3年ぐらいですよ。それでも、私には忘れられない記憶です」

 冒険者稼業は厳しい。魔物退治を受けるだけでも、単身で挑むのはほぼ、不可能といっていい。どのように腕の立つ冒険者だろうと、前後から数匹で挟撃されれば詰む。
 とりあえず、依頼を受けるため組む。その場限りのパーティーのことを、通常、野良パーティーという。 ダーは一時期、そうした時代をすごしてきた。そのうち、連携をとることの重要性を認識し、同じメンバーでパーティーを組むようになったのだが。
 エクセと組むときも、数年一緒だったり、しばらく違うチームだったり、まちまちであった。
 この男と組んだパーティの構成を思い出すのに、ダーはすこし記憶違いを正さなくてはならなかった。
 彼の記憶は正確だった。3年という期間は、ドワーフにとって一瞬だが、人間にとっては長い歳月であるらしい。

 前衛がダーと、女戦士エステル。そして後衛の魔術師がベクモンドと、盗賊ライモン。
 徐々に当時の記憶が、ダーの脳裏に甦ってきた。
 ダーはこのベクモンドが、ひそかにエステルに想いを寄せているのを識っていた。
 
「あの時の、ダーさんの一喝が、今でも耳から離れません……」

 苦い表情で、ベクモンドがつぶやいた。
 そこで注文の品が運ばれてきた。ソーセージが湯気を立てている。
 ダーとベクモンドは酒杯を掲げ、再会を祝った。
 喉を鳴らして酒杯をからにすると、ダーはもう一杯を注文し、先程の話の続きをはじめた。

「ようよう思い出してきたわい。あれはわしらのパーティーが、危機的状況に陥ったときじゃったな……」

―*―*―*―*―*―*―*―*―*― 

――なんてことはない依頼のはずだった。ゴブリンの巣穴の掃討戦。
 まず見張りをベクモンドの魔法で倒し、巣穴に次々と古木を投げ込んで、火を放つ。
 煙に巻かれて飛び出してきたゴブリンを、ダーとエステルで処理する。
 次々とゴブリンの死骸がふたりの足許に折り重なり、後衛のふたりも矢と呪文で援護する。
 火が消え、ゴブリンもほぼ殲滅し終わった。
 そう思ったとき、それは起こった。
 内部を確認するため、洞窟に足を踏み入れた。
――そこからの毒矢。
 エステルの腕に突き立った毒矢を見て、誰もが絶句した。
 僧侶を欠いたチーム。迂闊にも、解毒ポーションは底を尽いていた。
 応急処置を施したものの、エステルの顔色はすぐに死人のように青くなっていった。
 ダーが彼女を背負い、町まで必死に駆けた。
 
「しっかりせよ、町までほんの少しの辛抱じゃ!」

「あたしは大丈夫……あたしは……」

「わかったから、もうしゃべるな」

「ど、どうしたらいいんだ、どうしたら……」

 併走しつつ、ベクモンドは激しく動揺し、うろたえていた。
 ダーは必死に走りながら、ベクモンドを怒鳴りつけた。

「ベクモンド、お前は彼女にかけるべき言葉があるじゃろ!」

「そ……そんな、こんなときに……」

「今伝えないと、間違いなくおまえは一生後悔するぞ!」

 ベクモンドの顔つきがひきしまった。
 決然とした顔つきで駆け寄ると、彼女の耳元で叫んだ。

「エステル、私は君が好きだ! ……だから、死なないでくれ」

 エステルは、青い顔で無理に微笑を浮かべて、

「うるさいなあ……あたしもだよ、馬鹿野郎……」

 その一言を告げると、彼女はがくりと首を垂れた。
 ベクモンドは涙を流しつつ、ひたすらくりかえした。
 好きだ。好きだ。死なないでと。

―*―*―*―*―*―*―*―*―*―

 ダーは次の酒杯を傾け、ゆっくりとカウンターへ置いた。 

「……つらい出来事じゃったのう」

「いえ。ダーさんのお陰です。あのとき言ってもらわなければ、私はひたすら後悔を引きずったまま、蹴飛ばされた野良犬のような顔で生きていったことでしょう」

「そうか。それならば、よかった」

 ダーがあご髭を撫で、頷いたときだった。

「――探したよ、こんなところにいたの?」

 不意に、ふたりの背後から声がかけられた。

「ああ、おまえ、懐かしい人と出会ったんだよ」

 ベクモンドが振り返った先に、白髪の品の良い老夫人が、微笑を浮かべている。

「――久しぶりじゃの、エステル」

「驚いたね。ダーじゃないか。全然変わらないね、顔も体型も」

「体型は余計じゃわい」

 どっと3人は笑いあった。
 それから再会の言葉をかわし、3人はしばし語らった。
 
「あのときは本当に、運がよかったねえ」

「おまえの悪運の強さじゃな」
 
 エステルが気を失った直後だった。彼らは運よく、通りかかった別の冒険者チームに遭遇した。そのチームに僧侶がいた。
 さまざまな僥倖が重なって、エステルは一命をとりとめたのだ。

「――そのうち、家に遊びにきてよ」
 
 エステルとベクモンドはそういい残し、手を振って酒場を後にした。
 ダーはふたりが手を繋いで帰る様子を、微笑を浮かべて見送った。
 
 がくんと、ダーの頭が前後に揺れる。どうやら、限界が来たらしい。
 ダーはふらつく足取りで、ゆっくりと階段を昇っていく。
 二階の寝室への通路の途中で、彼を待ち受けている人物がいた。

「ずいぶんゆっくりでしたね。何か良い事でもありましたか」

 銀髪のエルフが通路を背にして、佇んでいた。

「ほう。わかるか」

「ええ。よい顔をしていますよ」

「そんなものか」とつぶやき、ダーは顔をつるりと撫でた。

「のう、エクセよ」

「なんでしょう?」

「長く生きるのも、いいものじゃのう……」

 感慨深げに、ダーはつぶやいた。
 エクセは微笑をもって応え、こう言った。

「おやすみなさい、よい夢を」

「ああ。よい夢が見れそうじゃわい」

 ダーはまどろむような顔で、自らの割り当てられた部屋の扉を閉じた。
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