嘘つきは秘めごとのはじまり

茜色

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季節風

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 7月に入り例のクレーム案件がようやく落ち着いた頃、突然中山主任の異動が発表された。
 本人が部長に異動の希望を伝えたところ、たまたま地方の支店で人が足りないとのことで急ぎそちらへ移ることが決定したのだと言う。 

 急な展開に驚いた私に、絵梨が極秘情報を教えてくれた。
「中山主任てさ、過去にも似たような騒ぎ起こしてたんだって。それが課長たちにバレちゃったから、リセットのために異動ってことらしいよ」
「えっ、そうなの?・・・似たような騒ぎって・・・?」
 絵梨はいつも不思議なくらい情報通なのだが、この件に関しては本当にトップシークレットだと念押しして来た。

「あの人ね、前の会社で女子社員相手にストーカー行為をやらかしたんだって。それでちょっと揉めたって」
「え・・・、本当に・・・?」
 私は先日陸と一緒にいるところを見られ、激高した主任に手首を強く掴まれたことを思い出した。殴られた陸は口元に軽いケガをしたけれど、私もしばらく手首に痛みが残っていた。 
「注文住宅課の村岡さんってさ、他社の営業にもやたら顔が広いじゃん。でね、中山主任ってうちに転職してくる前はヨツトモ不動産でマンション売ってたでしょ?村岡さんが、ヨツトモの知り合いに中山さんのことをちょっと聞いてみたらしいのよ。そしたら思った通り、『中山はトラブルメーカーだよ』って教えられたんだって」

 ヨツトモ不動産時代、中山主任は同僚の女性とつきあっていたのだが、主任の粘着質な性格が原因で彼女にふられてしまったらしい。それ以来主任は自分をふった女子社員につきまとい、何度も復縁を迫っては彼女を精神的に追い詰め、挙句彼女が親しくしていた別の男性社員に暴力を振るったのだそうだ。
 ・・・きみは嘘をつかないと思ったのに。裏切らない女だと思ったのに。
 そう私を非難した、中山主任の怒りを秘めた眼を思い出して胸がズキッと痛んだ。

「その時はその女の子がかなりメンタルやられちゃって、社内でも随分騒ぎになったみたいよ。主任は謹慎処分に減給に降格とトリプルダメージだったんだってさ。本人もさすがにそれ以上ヨツトモに留まれなくなって、それで心機一転うちに転職してきたらしいよ。もともとね、仕事はデキるんだけど感情の起伏が激しくて、自己中で有名な人だったって」
「・・・全然、そんなふうに見えなかった。だって去年転職してきた時から、すごく穏やかで優しそうだったじゃない・・・」
「主任も新しい環境に移って、同じ失敗はできないって必死だったんじゃないの?村岡さんがそのヨツトモの知り合いに、中山主任はうちでは温厚で頼もしいキャラで通ってたって言ったらすっごく驚いてたらしいよ。本性がバレないように演技してたか、それとも本人も今度こそ生まれ変わりたいと思ったのか。どっちだろうね」
 
 その話は村岡さんから久保田課長らに伝わり、当然部長の耳にも入ることとなった。
 主任が陸や私に乱暴な行為を働いたことは、当然社内でも問題になっている。課長は改めて中山主任を個別に呼び出し、ヨツトモ時代のことを慎重に問い質したと言う。主任は詳細は語らずにただ謝罪し、「異動してやり直したい」と申し出たのだそうだ。
 結局部長が他支店とやり取りし、早々に中山主任の異動を決定した。減給も素直に受け入れたと言う。辞令が出た途端、主任は有休を使って異動先への引っ越しの準備に取り掛かり、最小限の引継ぎ以外はほとんど会社に出てこなくなった。分譲課の社員達への挨拶もろくにしないまま、主任は逃げるように新天地へ旅立ってしまった。

「雛子、良かったじゃん。ヤバいことになる前に、この程度で離れられてさ。あんたがあのまま主任とつきあってたら、今頃ホントに怖い思いしてたかもしれないよ。そーいう意味では、竹ノ原がうちに入社してあんたを救ってくれたともいえるね」
 絵梨にそう言われ、本当に陸との再会は私にとって天の助けだったのかもしれないと思った。

 主任が分譲課に最後に顔を出した日の夜、私は迷った末に短いメールを送った。
「いろいろ申し訳ありませんでした。新天地でのご活躍をお祈りいたします」
 自分でもしらじらしい文章だと思ったし、偽善っぽい気もした。絵梨には「あんた、お人好しだねー。無視すりゃいいのに」と言われたけれど、自分のなかでこのままだと後味が悪いから送ったようなものだった。
 主任からの返事は来なかった。私はむしろホッとして、自分の携帯から主任の連絡先を消去した。


 年に数回の恒例行事、分譲住宅課と注文住宅課合同の決起会(という名の飲み会)が開かれる時期となった。
 いつもの飲み会より少しいい店を予約するので、決起会だけは楽しみにしている社員も少なくない。今回は評判の中華レストランでコース料理を堪能し、夏が近付いてきた解放感からか男性社員等のお酒もいつもより進んでいた。
 酔っぱらう人が増えると自然と会話も遠慮がなくなっていく。私の近くの男性陣は、送別会もなしに異動した中山主任の話題でそこそこ盛り上がっていた。

「香坂さんも災難だったねー。あんな危ない男に気に入られちゃってねー」
「あいつもなぁ、まさかそんな問題アリの人間だったとはなぁ・・・。ちゃんと心入れ替えてあっちで真面目にやってるといいけどな」
「あっちの支店、若い女子社員がまったくいないらしいっすよ。とりあえず社内では誰の尻も追っかけられないだろうから、大丈夫じゃないすか?」
「マジか。部長め、わざと野郎ばっかりの僻地に飛ばしたな」

 ケラケラと笑いあう声。私は早く話題が変わらないかと別のテーブルにこっそり視線を向けた。
 斜め隣の円卓に陸が座っていて、課長にビールを注いでいるのが見えた。陸の隣には、別の席だったはずの相川さんがいつの間にか陣取っている。陸と課長の会話に横からいちいち口を挟んでは、長い睫毛をパサパサと瞬かせていた。

 あれから陸の仕事量はますます増え、まだ約束したデートは実現していなかった。
 時間を作ろうと思えば短時間会うことはできたけれど、陸はあくまで仕事が一段落ついてからの「丸一日じっくりデート」を望んでいた。
 その代わり、私たちは仕事の合間にマメに連絡を取りあった。おかげで気持ちだけは繋がりあっていると信じていられた。
 けれどもこうして相川さんがベッタリと陸に張り付いているのを見ると、やはり心は穏やかではいられない。彼女は中山主任が騒ぎを起こした際に陸と私が一緒にいたことを知ってからと言うものの、以前より更に陸への距離を縮めてきていた。
 周りの社員たちは、私と陸が元家庭教師と教え子の関係だから仲が良く、中山主任がそれを変に勘繰って勝手に暴れた、というふうに捉えている人が多かった。入社5年目の私と新入社員の陸が、まさか本当に恋仲になるとは想像しにくかったのかもしれない。ただ相川さんだけは確実に私と陸のことを疑っていて、ここにきて俄然本気を出してきた気がする。

 ややこしい人間関係が苦手な私は、相川さんみたいな若い子と張り合うパワーもない。なんだかドッと疲れを感じて小さく溜息をついていると、向こうから陸の視線を感じて思わず姿勢を正した。
 『退屈だね』
 陸はそんな顔をして、私にこっそり眼で笑いかけた。
 『ふたりで逃げ出したいね』
 言葉にしなくても、陸がそう訴えているのが何故だか伝わってきた。

 5年前の夏は、お互いに嘘をついたせいで本心を読み取れなかった。今は不思議と陸の想っていることがごく自然に分かる気がする。私自身嘘をつかなくなったから、陸もとても素直に私の気持ちを信じてくれている。
 あからさまにライバルのような存在が視界に入ると、人間だからやっぱり胸がざわつくし嫌な気持ちにもなる。でもこれは、社内恋愛にはよくありがちなことだ。絵梨にもそう言われ、「つまんない横やりなんかじゃビクともしないバカップルになりな」と発破をかけられていた。


 会がお開きになり、いつものように古株の男性陣が二次会に繰り出す相談をしている。若手はその魔の手から逃れようとあの手この手で逃げ道を探していた。
 絵梨が一足先に地下にある化粧室に行っていた。私は幹事が会計をするのを少し手伝ってから、遅れて自分も化粧室に向かった。女子トイレは広いので空いていて、既に化粧を直し終えた絵梨が「店の外で待ってる」と言って先に出て行った。
 私が奥の個室に入ってドアを閉めた直後、誰かがおしゃべりしながら化粧室に入ってくるのが聞こえた。
 鏡の前に立ち、若い女の子二人が早口で興奮気味に話している。声の主は相川さんと、同じく新人で事務の石川さんのようだった。相川さんはいつもより声が低く乱暴な話し方をしていて、陸に話しかけるときの甘く高い声とは随分違うことに少々驚いた。

「・・・いいから協力してよね。他の奴ら追い払ってくれればいいから」
「お持ち帰りって、マジで?どうやって?」
「次の店で飲み過ぎたふりして、帰れなくなる予定。タクシーで送ってもらうの」
「相川、またその手使うのー?竹ノ原くんって鋭いから、そーいうの騙されないんじゃないの?」
「いや、イケるって。絶対今日モノにする。その予定で部屋もバッチリ掃除して来たし」
「ひえー、やる気満々じゃん。怖い女ー。でもさぁ、竹ノ原くんって香坂さんとマジで何もないの?仲良さそうじゃん」
「ただのカテキョと生徒だよ。それ以外、何もあるわけないじゃん。だって香坂さん、もう年だよ?あたしらより4こも上だし。フツー、男は若い方がいいっしょ」
「そぉ?でも香坂さん可愛いし、結構人気あるらしいよ。竹ノ原くんも同期で一番大人っぽいしさ、なんか同世代より年上の女とか好きそうじゃない?」
「ないないない。一瞬興味持つくらいはあるかもだけど、長くつきあう気になんてなるわけないじゃん。つーか、図々しいよ、26、7で新入社員狙うとかさ」
「え、香坂さんが竹ノ原くんを狙ってるわけ?」
「そーだよ。だからあたし、めっちゃあの人に睨まれてるし」

 個室に籠りながら、背筋が急速に冷えていくのを感じた。静かな怒りが胸に込み上げてきて、私は強く唇を噛んだ。


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