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素直な気持ち
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ドアの近くに並んで立ちながら、私たちは本当に久しぶりにふたりだけでお喋りした。
話は尽きなかった。聞きたいこと、話したいことがいくらでもあった。入社後に陸が抱いた会社の印象、毎日のドタバタやお互いの苦労話、私が新人だった頃の失敗談。
私は土日に陸が分譲地の販売センターでどんなふうに仕事をしているのかが知りたくて、あれこれと質問した。イベントなどがない限り、本社勤務の私が現地の営業マンの接客を見るチャンスはほとんどない。陸は週末にどんなふうに現地で過ごしているのかを、面白おかしく話して聞かせてくれた。
電車の中なので、会社の話題は自然と小声になり身体の距離が近付いていく。少し胸がさざめいたけれど、それよりも陸とこうして穏やかな時間を共有できることがとても嬉しかった。
心が5年前に戻ったような気がした。話す内容はあの頃とは随分違っているけれど、ふたりで向き合って言葉を交わし、くだらないことでケラケラ笑う。陸との間に感じる心地良い空気は、あの頃とちっとも変わっていなかった。
陸もまた、私との会話を楽しんでくれているように見えた。私が何か話したり質問したりする度に、陸は一生懸命私の表情を読み取ろうとじっと瞳を見つめてくる。電車の走行音がうるさくて言葉がよく聞き取れない時など、長身を少し屈めて「ん?」と私の口元に耳を近づけてくる仕草にワケもなくドキドキさせられた。
私たちは肝心なことを話したいのに、周囲が気になってお互いに切り出せずにいた。そうこうしているうちに私の降車駅が近づき、どうしようかと焦っていると陸が「俺も降りるよ」と呟いた。
「でも陸くん、G駅でしょ?」
「雛子さんの家まで送ってく。そのつもりで追いかけてきたんだ」
「そんな、わざわざいいよ・・・!うち、人通りも多いしそんなに危ない道じゃないから平気よ。陸くん、明日も休日出勤するんでしょ?」
「明日は午後にちょっとお客さんのところ行くだけだから、寝坊できるし大丈夫。頼むから家まで送らせて」
・・・無理矢理部屋に上がり込んだりしないから、安心していいよ。
冗談っぽいセリフなのに、やけに真面目な顔で陸が言った。
M駅に到着してドアが開くなり、陸が私の手を引いて電車を降りたので心臓が跳ね上がった。
ホームを歩き、改札を抜けてからも、定期券を出し入れする以外は私の手を掴んだまま離してくれなかった。私が戸惑っていると、更に強く握りしめてくる。
これは握り返せという意味なのだろうか。しばらく迷い、おそるおそる握り返してみると、もっと力を込められた。
手のひらから陸の体温が伝わってきて、何故だか泣きそうな気持ちになった。
駅前の商店街を、手を繋いで歩いて行く。
「この道をまっすぐでいいの?」
「うん、あの先に郵便局あるでしょ?あそこを右に曲がるの」
「駅から何分?」
「8分くらいかな。結構明るい道だし、大丈夫そうでしょ?」
「その油断がいけないんだよ。雛子さん、ちゃんと防犯ブザーとか持たないとダメだよ」
年下なのに、まるで保護者か先生のようなことを言う。でも嫌な気持ちはしなかった。むしろ、そんなふうに心配してもらえて、自分が女の子扱いされていることに馬鹿みたいにちょっとときめいた。
「雛子さん。・・・今さらだけどさ」
「・・・うん」
「あの時のこと、本当にごめん」
5年前の夏、陸と会うのが結果的に最後になった日の記憶がくっきりと胸に蘇った。嘘がバレた私。動揺した陸。上手な対処ができなくて、それきり縁を切ってしまった。
「雛子さんは気にしないでって言ってくれたけど、俺ずっと引っかかってて。もう一度ちゃんと逢って謝りたいって、何年も思ってた。・・・あんな強引なことして、雛子さんを傷つけて、本当にごめん」
そう言ってから、陸はゴクリと唾を飲むような音をたてた。横顔を見ると、不安そうな瞳で行く先をじっと見ている。繋いだ手だけは、力がこもったまま。
「陸くんは、謝らなくていいの。あれは私が幼稚な見栄を張って、嘘ついたのが悪いんだから。かっこつけないで、最初から素直に彼氏もいないし経験もないって言えば良かった。もしそう言ってたら、年上の処女相手に陸くんだってあんなことしなかったでしょ?」
陸の気持ちを軽くしたくて、私はわざと明るい声で言った。
陸はようやく私の方を見て、ちょっとせつなそうな表情になった。あの夏も、陸は時々私にこんな眼差しを向けることがあった。
「・・・どうかな。処女だって知っても、やっぱり迫ったかも。いや、むしろ彼氏いないって分かった時点で、もっとストレートに迫ってたよ、きっと」
「・・・だって陸くん、つきあってる彼女いたじゃない」
「あれ、嘘だもん」
陸があまりに淡々と白状したので、私の方が呆気に取られて思わず立ち止まった。
「え・・・、嘘、だったの・・・?」
「雛子センセーに対抗して、俺も見栄張っただけだよ」
お互い様だねと言って、陸はクスリと笑った。私は驚きのあまりポカンと口を開けてしまった。
「雛子さんに彼氏がいるって聞いて、経験も豊富で結構遊んでるみたいだって知って、俺まあまあショックだったんだよね。最初に雛子さんがうちに来た時から、『こんな可愛い人が家庭教師なんてラッキー』って浮かれてたから、男がいるって知ってわりと凹んで。それに、遊んでるようには全然見えなかったから、二重にショックでさ」
陸は繋いだ手を子供みたいに前後に大きく揺すりながら、夜道をゆっくり歩いた。6月とは言え今夜は少し肌寒くて、陸の手の温かさに不思議なくらいホッとする。
「悔しいから、俺も彼女がいるって見栄張った。あ、高2のときはホントにつきあってる子いたよ。でもとっくに別れてあの時は好きな子もいなかった。だけど、なんか癪だから雛子さんに張りあったの。それだけ」
「・・・そうだったの?・・・私、すっかり信じちゃって・・・」
私はあまりに幼すぎた陸と私の駆け引きに、今さらながらひどく落ち込んだ。
陸は私の顔を見て、「ね、もしかしてちょっとはヤキモチ妬いてくれてた?」と期待するような眼を向けてきた。私が「うん」と素直に答えると、陸は一瞬絶句してから繋いだ手に指を絡めてきた。痺れるほど強い力が込められ、陸の鼓動まで伝わってきそうな気がした。
「私、陸くんがすごく大人っぽく見えて、私なんかよりずっといろんなこと知ってそうで、ドキドキしてたの。男子の受験生を教えることに緊張もしてたし、舐められちゃいけない、年上らしく振る舞わなきゃって変に気負っちゃって。それに、その・・・正直恋愛経験がまともにないことにコンプレックスも抱いてたから、陸くんに『彼氏いるの?』って聞かれた時、咄嗟にあんな嘘ついちゃった。一度見栄を張ったら、もう後に引けなくなっちゃって。しかも陸くんは『彼女』とオトナなつきあいしてるみたいだったし、余計に自分が惨めな感じがして・・・」
「あー、もう!!」
陸が突然大きな声を出したので、私は飛び上がるほどびっくりした。
「なんでそんな見栄張るんだよ・・・!大学生で彼氏がいなくて処女だからって、雛子さんなら全然惨めじゃないって。むしろ俺なんて感動するし。って言うか、なんで嘘なんてついたの・・・。雛子さんも俺も、つまんねー意地張って・・・」
陸が過ぎてしまった時間を悔やむように、唇を噛んだ。「ごめんね」と小さな声で謝ったら、陸は「いや、でも俺が悪いのは変わらないから」と首を横に振った。
「彼氏いるって思ってもさ、雛子さんと一緒に過ごしてると、すげー楽しくて時間なんて忘れちゃって。もっと一緒にいたかったし、手も握りたいしキスもしたいし、それ以上のこともしたいって、あの夏は毎日悶々としてた」
陸は5年前の気持ちを吐き出すように、いつもより余裕のない表情で私に打ち明けた。
「・・・奪いたいって思ったんだよね。適当な口実作ってセックスまで持ち込んで、彼氏より俺のこと好きになってほしいって思って。その考え自体がガキなんだけどさ、でももう家庭教師も終わりが近かったし、なんとかして雛子さんのこと奪いたかった」
でも、逆に失うことになって、取り返しのつかないことをしたって気付いてめちゃくちゃ落ち込んだ。陸はそう言って、はーっと大きな溜息をついた。
「雛子さん、本当は俺に腹立ったでしょ?あんな無理矢理なことされて、普通は許せるわけないよ。あれっきり逢ってくれなかったから、本気で嫌われたと思ってずっと落ち込んでた」
大学に通っていた4年間、陸はきっと可愛い女の子と恋愛もして、充実した日々を送っていたはずだ。それでも、ふとした拍子に私とのあの出来事が脳裏をかすめて、一度刺さったまま抜けなくなった棘のようにチクチク痛むことがあったのかもしれない。私がずっとそうだったように。
「就活する時期になって、もともと住宅関係がいいと思ってたからいろいろ調べてて、やっぱり『ヤマトホームズ』が一番いいなって思ったんだ。雛子さんが今も働いてるかもしれないし。もちろん、雛子さんは俺になんて今さら逢いたくないだろうって思ったよ。それでももしかしたら、運命の神様が俺にもう一回チャンスをくれるかもしれないと思って・・・賭けてみたんだ」
そうしたらちゃんと入社できた上に同じ部署になれた。やっぱり神様は俺の味方をしてくれたんだ・・・。そう言って、陸はちょっと照れくさそうに私を見た。
だから私は陸に伝えた。「うちの会社に来てくれてありがとう」と。
「私ね、本当に陸くんのこと怒ってなかったよ。許せないなんて、思ったことない。そうじゃなくて、私が嘘をついたせいでああいうことになって、結果的に陸くんを困らせちゃったから、もう合わせる顔がないと思ったの。陸くん、私が処女だったって知ってすごく動揺してたでしょ?きっと私のこと重く感じるだろうなって、彼女いるって言ってたし、陸くんの方こそ私をどう扱ったらいいか分からなくて途方に暮れるだろうなって思った。だから、もう一度会う勇気がどうしても持てなかったの。すごく恥ずかしかったし・・・。私も子供だったの。だから私、陸くんから逃げたの」
最後のバイトを仮病で休んだ。これ以上、弱い自分を陸に見せることが怖かった。
「・・・重いなんて、どうしてそんなふうに考えるの?俺が動揺してたのは、雛子さんの心と身体を傷つけたと思ったからだよ」
「私も、陸くんを傷つけたと思ってた。ずっと、何年も」
私たちは、どちらも似たようなことで悩んでいたのかもしれない。お互いが考えていたことが今ようやく分かって、心を縛っていた鎖が綺麗にほどけていく気がした。
話は尽きなかった。聞きたいこと、話したいことがいくらでもあった。入社後に陸が抱いた会社の印象、毎日のドタバタやお互いの苦労話、私が新人だった頃の失敗談。
私は土日に陸が分譲地の販売センターでどんなふうに仕事をしているのかが知りたくて、あれこれと質問した。イベントなどがない限り、本社勤務の私が現地の営業マンの接客を見るチャンスはほとんどない。陸は週末にどんなふうに現地で過ごしているのかを、面白おかしく話して聞かせてくれた。
電車の中なので、会社の話題は自然と小声になり身体の距離が近付いていく。少し胸がさざめいたけれど、それよりも陸とこうして穏やかな時間を共有できることがとても嬉しかった。
心が5年前に戻ったような気がした。話す内容はあの頃とは随分違っているけれど、ふたりで向き合って言葉を交わし、くだらないことでケラケラ笑う。陸との間に感じる心地良い空気は、あの頃とちっとも変わっていなかった。
陸もまた、私との会話を楽しんでくれているように見えた。私が何か話したり質問したりする度に、陸は一生懸命私の表情を読み取ろうとじっと瞳を見つめてくる。電車の走行音がうるさくて言葉がよく聞き取れない時など、長身を少し屈めて「ん?」と私の口元に耳を近づけてくる仕草にワケもなくドキドキさせられた。
私たちは肝心なことを話したいのに、周囲が気になってお互いに切り出せずにいた。そうこうしているうちに私の降車駅が近づき、どうしようかと焦っていると陸が「俺も降りるよ」と呟いた。
「でも陸くん、G駅でしょ?」
「雛子さんの家まで送ってく。そのつもりで追いかけてきたんだ」
「そんな、わざわざいいよ・・・!うち、人通りも多いしそんなに危ない道じゃないから平気よ。陸くん、明日も休日出勤するんでしょ?」
「明日は午後にちょっとお客さんのところ行くだけだから、寝坊できるし大丈夫。頼むから家まで送らせて」
・・・無理矢理部屋に上がり込んだりしないから、安心していいよ。
冗談っぽいセリフなのに、やけに真面目な顔で陸が言った。
M駅に到着してドアが開くなり、陸が私の手を引いて電車を降りたので心臓が跳ね上がった。
ホームを歩き、改札を抜けてからも、定期券を出し入れする以外は私の手を掴んだまま離してくれなかった。私が戸惑っていると、更に強く握りしめてくる。
これは握り返せという意味なのだろうか。しばらく迷い、おそるおそる握り返してみると、もっと力を込められた。
手のひらから陸の体温が伝わってきて、何故だか泣きそうな気持ちになった。
駅前の商店街を、手を繋いで歩いて行く。
「この道をまっすぐでいいの?」
「うん、あの先に郵便局あるでしょ?あそこを右に曲がるの」
「駅から何分?」
「8分くらいかな。結構明るい道だし、大丈夫そうでしょ?」
「その油断がいけないんだよ。雛子さん、ちゃんと防犯ブザーとか持たないとダメだよ」
年下なのに、まるで保護者か先生のようなことを言う。でも嫌な気持ちはしなかった。むしろ、そんなふうに心配してもらえて、自分が女の子扱いされていることに馬鹿みたいにちょっとときめいた。
「雛子さん。・・・今さらだけどさ」
「・・・うん」
「あの時のこと、本当にごめん」
5年前の夏、陸と会うのが結果的に最後になった日の記憶がくっきりと胸に蘇った。嘘がバレた私。動揺した陸。上手な対処ができなくて、それきり縁を切ってしまった。
「雛子さんは気にしないでって言ってくれたけど、俺ずっと引っかかってて。もう一度ちゃんと逢って謝りたいって、何年も思ってた。・・・あんな強引なことして、雛子さんを傷つけて、本当にごめん」
そう言ってから、陸はゴクリと唾を飲むような音をたてた。横顔を見ると、不安そうな瞳で行く先をじっと見ている。繋いだ手だけは、力がこもったまま。
「陸くんは、謝らなくていいの。あれは私が幼稚な見栄を張って、嘘ついたのが悪いんだから。かっこつけないで、最初から素直に彼氏もいないし経験もないって言えば良かった。もしそう言ってたら、年上の処女相手に陸くんだってあんなことしなかったでしょ?」
陸の気持ちを軽くしたくて、私はわざと明るい声で言った。
陸はようやく私の方を見て、ちょっとせつなそうな表情になった。あの夏も、陸は時々私にこんな眼差しを向けることがあった。
「・・・どうかな。処女だって知っても、やっぱり迫ったかも。いや、むしろ彼氏いないって分かった時点で、もっとストレートに迫ってたよ、きっと」
「・・・だって陸くん、つきあってる彼女いたじゃない」
「あれ、嘘だもん」
陸があまりに淡々と白状したので、私の方が呆気に取られて思わず立ち止まった。
「え・・・、嘘、だったの・・・?」
「雛子センセーに対抗して、俺も見栄張っただけだよ」
お互い様だねと言って、陸はクスリと笑った。私は驚きのあまりポカンと口を開けてしまった。
「雛子さんに彼氏がいるって聞いて、経験も豊富で結構遊んでるみたいだって知って、俺まあまあショックだったんだよね。最初に雛子さんがうちに来た時から、『こんな可愛い人が家庭教師なんてラッキー』って浮かれてたから、男がいるって知ってわりと凹んで。それに、遊んでるようには全然見えなかったから、二重にショックでさ」
陸は繋いだ手を子供みたいに前後に大きく揺すりながら、夜道をゆっくり歩いた。6月とは言え今夜は少し肌寒くて、陸の手の温かさに不思議なくらいホッとする。
「悔しいから、俺も彼女がいるって見栄張った。あ、高2のときはホントにつきあってる子いたよ。でもとっくに別れてあの時は好きな子もいなかった。だけど、なんか癪だから雛子さんに張りあったの。それだけ」
「・・・そうだったの?・・・私、すっかり信じちゃって・・・」
私はあまりに幼すぎた陸と私の駆け引きに、今さらながらひどく落ち込んだ。
陸は私の顔を見て、「ね、もしかしてちょっとはヤキモチ妬いてくれてた?」と期待するような眼を向けてきた。私が「うん」と素直に答えると、陸は一瞬絶句してから繋いだ手に指を絡めてきた。痺れるほど強い力が込められ、陸の鼓動まで伝わってきそうな気がした。
「私、陸くんがすごく大人っぽく見えて、私なんかよりずっといろんなこと知ってそうで、ドキドキしてたの。男子の受験生を教えることに緊張もしてたし、舐められちゃいけない、年上らしく振る舞わなきゃって変に気負っちゃって。それに、その・・・正直恋愛経験がまともにないことにコンプレックスも抱いてたから、陸くんに『彼氏いるの?』って聞かれた時、咄嗟にあんな嘘ついちゃった。一度見栄を張ったら、もう後に引けなくなっちゃって。しかも陸くんは『彼女』とオトナなつきあいしてるみたいだったし、余計に自分が惨めな感じがして・・・」
「あー、もう!!」
陸が突然大きな声を出したので、私は飛び上がるほどびっくりした。
「なんでそんな見栄張るんだよ・・・!大学生で彼氏がいなくて処女だからって、雛子さんなら全然惨めじゃないって。むしろ俺なんて感動するし。って言うか、なんで嘘なんてついたの・・・。雛子さんも俺も、つまんねー意地張って・・・」
陸が過ぎてしまった時間を悔やむように、唇を噛んだ。「ごめんね」と小さな声で謝ったら、陸は「いや、でも俺が悪いのは変わらないから」と首を横に振った。
「彼氏いるって思ってもさ、雛子さんと一緒に過ごしてると、すげー楽しくて時間なんて忘れちゃって。もっと一緒にいたかったし、手も握りたいしキスもしたいし、それ以上のこともしたいって、あの夏は毎日悶々としてた」
陸は5年前の気持ちを吐き出すように、いつもより余裕のない表情で私に打ち明けた。
「・・・奪いたいって思ったんだよね。適当な口実作ってセックスまで持ち込んで、彼氏より俺のこと好きになってほしいって思って。その考え自体がガキなんだけどさ、でももう家庭教師も終わりが近かったし、なんとかして雛子さんのこと奪いたかった」
でも、逆に失うことになって、取り返しのつかないことをしたって気付いてめちゃくちゃ落ち込んだ。陸はそう言って、はーっと大きな溜息をついた。
「雛子さん、本当は俺に腹立ったでしょ?あんな無理矢理なことされて、普通は許せるわけないよ。あれっきり逢ってくれなかったから、本気で嫌われたと思ってずっと落ち込んでた」
大学に通っていた4年間、陸はきっと可愛い女の子と恋愛もして、充実した日々を送っていたはずだ。それでも、ふとした拍子に私とのあの出来事が脳裏をかすめて、一度刺さったまま抜けなくなった棘のようにチクチク痛むことがあったのかもしれない。私がずっとそうだったように。
「就活する時期になって、もともと住宅関係がいいと思ってたからいろいろ調べてて、やっぱり『ヤマトホームズ』が一番いいなって思ったんだ。雛子さんが今も働いてるかもしれないし。もちろん、雛子さんは俺になんて今さら逢いたくないだろうって思ったよ。それでももしかしたら、運命の神様が俺にもう一回チャンスをくれるかもしれないと思って・・・賭けてみたんだ」
そうしたらちゃんと入社できた上に同じ部署になれた。やっぱり神様は俺の味方をしてくれたんだ・・・。そう言って、陸はちょっと照れくさそうに私を見た。
だから私は陸に伝えた。「うちの会社に来てくれてありがとう」と。
「私ね、本当に陸くんのこと怒ってなかったよ。許せないなんて、思ったことない。そうじゃなくて、私が嘘をついたせいでああいうことになって、結果的に陸くんを困らせちゃったから、もう合わせる顔がないと思ったの。陸くん、私が処女だったって知ってすごく動揺してたでしょ?きっと私のこと重く感じるだろうなって、彼女いるって言ってたし、陸くんの方こそ私をどう扱ったらいいか分からなくて途方に暮れるだろうなって思った。だから、もう一度会う勇気がどうしても持てなかったの。すごく恥ずかしかったし・・・。私も子供だったの。だから私、陸くんから逃げたの」
最後のバイトを仮病で休んだ。これ以上、弱い自分を陸に見せることが怖かった。
「・・・重いなんて、どうしてそんなふうに考えるの?俺が動揺してたのは、雛子さんの心と身体を傷つけたと思ったからだよ」
「私も、陸くんを傷つけたと思ってた。ずっと、何年も」
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