すみれは光る

茜色

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 再会した日から、光太と私はマメに連絡を取り合うようになった。

 私は百貨店のアルバイトに精を出した。
 できるだけ光太の存在を感じられる空間にいたくて、毎日のようにバイトに通った。
 物流部門との直接的接点はほぼないに等しかったけれど、それでもたまに廊下ですれ違うこともあったし、朝から出勤している日は昼食時に社員食堂でバッタリ会えることもあった。

 数十メートル先に光太の姿を見つけただけで私が赤面してしまうので、その度に慶子にからかわれた。慶子は自分がキューピッドになったと思っているようで、しきりに「何かおごれ」と私をかまった。実際慶子がけしかけてくれたおかげもあるので、私はお昼ご飯とケーキを1回ずつ慶子にご馳走した。

 光太も私も再会できたことを心から喜んでいたけれど、お互いにとても慎重になっていた。
 何よりも親のことに一番敏感になっていた。もう成人していて来春には社会人なのだから、自分たちで責任を取れる年齢に達している。とは言え過去にああいうことがあった以上、私たちが再会してまた想いあっていると知ったとき、親がどんな反応を示すか正直想像がつかなかった。
 私も光太も、もう二度と引き離されたくないと強く思っていた。じっくり時間をかけて、様子を見ながら親を説得しようと約束しあった。


 再会してから2週間後、お互いのスケジュールがようやく調整できたので、初めて二人きりでデートをした。
 どこに行きたい?と聞かれ、しばらく考えた末、子供の頃両家族で一緒に行ったことがある水族館に行くことにした。
 光太は先輩から譲り受けたという中古車に私を乗せてくれた。あの光太が車を運転しているなんて、なんだか不思議だった。ハンドルさばきが意外になめらかで、運転が上手いのには驚いた。そう言って褒めたら、「俺を誰だと思ってる」と睨まれてしまった。

 子供の頃の記憶と違って、水族館は随分と狭く感じた。それなのに、昔来たときの何倍も楽しくて仕方なかった。
 私は小学生に戻った気分でいちいち館内のゲームやら体験ものに手を出し、イルカのぬいぐるみを光太にねだって買ってもらい、ペンギンの群れを眺めながら一つのアイスクリームを二人で一緒に食べたりした。アシカとイルカのショーでは前の方に座りすぎて、二人とも水しぶきで髪が濡れて大騒ぎした。

 水族館の近くに海沿いの公園があり、そこに併設されたレストランで遅い昼食を取った。私がパスタ、光太がピザを選び、半分ずつ分けあって食べた。
 食事した後は海沿いを散歩し、スマートフォンでお互いの写真を撮った。通りすがりの年配夫婦に頼んで、二人一緒の写真も何枚か撮ってもらった。

 ありきたりな、あまりに普通すぎるデートを私たちは心底楽しんだ。本当だったらもっと昔に一緒にできたであろう経験を、今になって取り返しているようだった。ひとつでも多くの想い出を作ろうと、私たちは手を握りあったまま二人の時間を存分に味わった。


 美味しい定食屋さんで夕食を食べた後、光太は車で私の家まで送ってくれた。きっかり夜9時だった。
「・・・やっぱり、おばさんとおじさんに、ちゃんと挨拶して帰りたい」
 家から10メートルほど離れた場所に停めた車の中で、ハンドルに手を置いたまま光太が真面目な顔で呟いた。

 光太の気持ちは痛いほど分かったけれど、逆に私はまだ光太を両親に会わせたくなかった。
 両親から、特に母からどんな反応が返ってくるか分からない。私はそれが怖かった。せっかく取り戻したこの幸せを、絶対に絶対に誰にも邪魔されたくなかった。
 親に会わせるときは、もうどこにも逃げ場がないくらい私たちの絆が強固になったとき。もしもそれでも反対されたら、そのときは私は家を捨てる。そういう覚悟はできていた。

 私が自分の気持ちを伝えると、光太は何度か頷いてから、「分かった」と言って私の身体を抱きしめた。助手席のシートベルトはもう外していたので、私も思い切り光太にしがみついた。
 
 キスしてほしかった。この前電車でしたみたいな一瞬のキスではなくて、昔たくさんしたみたいなキス。お互いの温度を確かめあうような。
 私は声に出した。「キスして」と、光太の耳に囁いた。

 光太は「はあっ・・・」ととても熱い息を吐いた。
 少しだけためらうように私の眼を覗き込み、「いいの?」と聞いた。「俺、たぶん長引かせるよ」と。
 私は「長引かせて。いっぱい、して」と答えた。
 光太はせつなそうな眼差しで私の髪を撫でた後、抑えていたものを全部ぶつけるように私の唇を乱暴にふさいだ。


 昔とは全然違う、とても激しくて胸が痛くなるキスだった。
 唇から光太の想いの強さが伝わってくる。言葉よりもキスひとつで、私たちは積み重ねてきたお互いの苦しみをはっきりと感じあえた。
 私も必死になって光太を求めた。キスしながら涙が出てきた。
 
 光太は私の涙を舐めた。子供の頃も、時々そうしてお互いの涙を舐めたことを思い出した。
 光太の唇も舌も、あの頃よりずっと「男」になっていた。それを受け止める私もまた、自分でも戸惑うほど「女」になっていた。
 光太はキスしながら、何度も「すみれ・・・」と私の名前を呼んだ。私たちはその夜、車の中で1時間もキスしあっていた。


 12月に入り、百貨店のアルバイトは忙しさのピークを迎えていた。
 私と光太は慌ただしい時間を縫って、なるべく二人で過ごせる時間を作った。仕事の後はできるだけ待ち合わせて帰り、時々地下街で夕食も一緒に食べた。物流部門は特に忙しそうだったけれど、会えないときは必ず電話やメールで繋がりあった。
 私たちは、離れ離れだった頃のお互いのことをたくさん話した。空白の時間を埋めるように、知らずにいたお互いの過去をできるだけ伝えあった。
 
 週末の夜、バイトが終わってから一緒に屋台のおでんを食べに行った。そのまま川沿いの道を散歩していたとき、光太は両親の離婚のことを詳しく教えてくれた。
 光太と私が例の「事件」を起こしたとき、光太のお父さんはもの凄い剣幕で息子を叱り飛ばし、お母さんは逆に息子をどう扱っていいか分からなくてひどく動揺していたのだそうだ。
「あんなに親父に怒鳴られたのは、生まれて初めてだった」
「・・・殴られたりしたの?」
「まあ、それは仕方ない。すみれだって、お母さんにぶたれただろ。おあいこだよ」
 光太は私の頬を指で触れながら微笑んだ。それから少し昔を懐かしむような眼になった。

「親父に、『大事だとかなんだとか言いながら、おまえがすみれちゃんを一番傷つけたんだぞ』って言われてさ。さすがにあれは、グサッときたな」
「・・・私、光太に傷つけられてなんていないよ。それって変」
「でも、もしも実際に何かあったとき、心も身体も傷つくのは女の子だからな。そういうの、俺はまだよく分かってなかった」
「私も、分かってなかったよ・・・」

 あのまま親に気づかれなかったら、私たちはどうなっていただろう。そんなの分からない。何が正しかったのかも、未だに分からない。

 光太の両親はあの少し前からいさかいが増えていて、夫婦仲が上手くいっていなかった。それが、息子の「事件」がきっかけでお互いへの責任の押し付け合いになり、結果ますます冷え切ってしまったのだそうだ。
 そもそもの不仲の原因は、光太のお父さんの浮気だった。会社の若い部下と浮気をしたのが光太のお母さんにバレてしまい、それからケンカが絶えなくなった。やがてお母さんも当てつけのようにパート先の店長と不倫関係になり、それが決定打となって離婚に至ったと言う。

「信じられない・・・。おばさんがそんな・・・、おじさんだって・・・」
「だろ?俺も最初は冗談言ってるのかと思ったよ。おふくろの方から親父に『別れてほしい』って頼んだんだって。離婚してそのパート先の男と再婚したいって。その頃には親父はとっくに不倫相手とダメになってたから、結局親父がおふくろに捨てられた形になったんだよな」

 光太のお母さんは、新しい恋人と暮らすから光太を引き取れないと言ったそうだ。
 中2のときの「事件」以来母親から腫れものに触るように扱われていた光太は、「別にいいよ」とだけ言って、父親と一緒に賃貸マンションに引っ越すことになった。
「あの家にはもう住みたくないって親父がさっさと手放しちゃって。近所にもほとんど言わないまま、すげー慌ただしく引っ越した。・・・すみれに最後に逢いたかったけど、それも許されないだろうなって思って諦めたよ。ちょうどおまえん家、留守だったし」
 夏休み、光太の家が空っぽになっているのを見たときの衝撃は今でも忘れられない。
 とっくに失っていたのに、まだ微かに望みを捨てきれずにいた光太の存在。それが、もう本当に手の届かないところに行ってしまったと思い知らされたあの日。

「・・・黙って行っちゃうなんて、信じられなかった」
 あのときのショックを思い出すだけで、鼻の奥がツンとして胸が痛くなる。ごめん、と光太が私の頭をそっと撫でた。
「もう黙っていなくなるなんて、絶対にしないよ」
 自分に言い聞かせるような口調で光太は言った。


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