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火種
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「翔くん、久しぶりに会ったと同時にいきなりお願い事があるんだけどいい?」
「古い友達の頼みとあらば、この新田翔がなんでも聞いてあげようじゃないの」
「ですよね~。よかった。今日、国道を避けて峠越えでこの街にたどり着いたんだけど、スマホの充電が途中で切れちゃって……」
「ああ、コンセントね。そこにあるから好きなだけ充電して」
「ありがとう。それからね、今夜泊まるところがないの。充電切れちゃって調べることも予約することもできなくて。この辺りにビジネスホテルとかある?」
「この辺りにはホテルも旅館もないな。一番近くて45km先の山の上に1軒あるけど、ずっと上り坂だから自転車だと3時間近くかかると思う」
にわかに商店街の役員たちの話し声が止まり、2人の話しに聞き耳を立てると同時にスマホの画面を触れ始めた。
5分もすると食堂の引き戸が開いて、通りを挟んだ斜め向かいで印刷所を営んでいた石川悦子が顔を出した。
「ああ、えっちゃん早かったね。翔、生ビールやっておくれ。それから、翔のお友達にもビールでも何でも好きなもんを出してやっとくれ。儂からだ」
そう言ったのは商店街の長老、酒屋の竹岡要、通称ご隠居である。
「ビール飲む?」
そう聞く翔に
「でも、まだ自転車で宿まで行かなきゃならないから……」
「どうやら、宿の心配はしなくてよさそうだよ」
「その通りだから、まあこっちでご一緒しませんか?」
翔はカツハヤシの皿を片付け、生ビールのジョッキとともにペンペンを商店街役員たちのテーブルに誘った。
「ここにいるのはみんなこの商店街の役員さん。紹介します、俺が高校出た後に放浪の旅をしてた頃の知り合いで【ペンペン】」
「はじめまして。平山なずなです。なずなという名なのでペンペン草のペンペンって呼ばれてます。このペンペンってニックネームは翔くんが名づけの親です。年齢はナイショ!翔くんより4つお姉さんだったかな」
「では、それぞれ自己紹介をお願いします」
「酒屋の爺さん、竹岡です。趣味は酒飲み、特技は早寝早起きです。みんなにはご隠居と呼ばれています」
「建築士の太田です。まあ街の便利屋みたいなもんかな」
「パン屋の今宮佳津江です。パン屋と言っても和菓子もケーキもやってます」
「クリーニング屋の中野です。翔よりは年上だけどこの商店街ではまだまだ若手です」
「食器、金物類の店をやっている桐山です。100円ショップに押されてとっても厳しいお店です」
「はい、最後は私。石川悦子、76歳。現在独身です。権兵衛さんの目の前で去年まで印刷屋さんをやっておりましたが夫を亡くし、廃業して今はのんびり暮らしています」
「よし、まずは乾杯だ」
グラスが当たる音が響く。
悦子はペンペンの隣に座り
「なずなさん、泊まる所なら全く心配しなくていいのよ。ほら、そこ。目の前だから」
「えっちゃんちなら安心だ」
翔がそう言うと、一同も頷いた。
「ところで、ペンペンはわざわざ函館から俺を訪ねてこんな方まで来てくれたの?本州に入ってからだって600km以上はあるぜ」
「そんなわけないじゃない。そもそも連絡先も知らないし、私が知ってるのは名前と私より4歳年下のガキんちょってことぐらいよ。それで翔くんはここでバイト?」
「一応、この権兵衛食堂の経営者で、この天沼六丁目商店街【通称てんろく商店街】の会長を務めさせていただいております」
「わ、びっくり! 翔くん、大人じゃん」
「27歳になりました」
-----------------------------------------------------------
2人が初めて顔を合わせたのは9年前の6月、北海道の北見駅の近くであった。
高校を卒業したばかりの翔は大学に進学せず父、英一が営むこの権兵衛食堂の跡を継ぐことに決めた。
「お前が大学に行こうと、店を継ごうとそれは自分で考えて決めたことなら文句は言わん。但し、この店で働くのは20歳になってからだ。それまでの2年は世の中のことを見てこい、こいつをお前にやる」
そう言って英一が指を差したのは店の前の歩道に置かれた出前用のバイクだった。
HONDA BENRY CD125T。もちろんBENRYの名の由来は【便利】である。
翔はシルバーのタンクに描かれたホンダの翼のマークを見て育った。子供の頃、店の休みの日には小さなヘルメットを被って後ろの席に乗せられて山の上の湖や川を渡る鉄橋を通る電車を眺めるのが好きだった。
大衆食堂だから夏休みも正月休みも家族で遠くに出かけた記憶はなかったが、ありふれた日常に溶け込んだ小さな商用バイクで近くに連れていってもらうのが好きだった。
英一は小さい翔に
「ここに羽根のマークがついてるだろ。翔って名前はここから来てるんだぞ。バイクは人間の自由の翼だ」
とその名の由来を何度も教えた。
放浪の旅に出発する日、英一は
「学費代わりと言ったら少ないがこれを持っていけ。燃料代、母さんからだ。BENRYの燃料代だぞ」
そう言って真新しい財布に新券で10万円と500円玉の棒金を1本手渡した」
「ありがとう。いってきます」
「2つだけ約束しろ。1つ目、安全運転せよ」
頷く翔に、間髪入れず
「返事は! 1つ目!安全運転せよ!」
「はい!」
「もう1つ。1人でカップラーメンを食うな!」
「はい?」
翔にはまだその意味はわからなかったが、桜咲く春の日差しを受けて国道4号線を北上し北海道を目指した。
ちょうど同じ頃、函館の観光温泉ホテルの一人娘、平山なずなは自転車で旅に出た。
東京の大学で経営を学んでいたが、卒業後は実家で働くことが決まっていたため就職活動はせずに『道内の観光地を知り、人とのコミュニケーション力をつける』という屁理屈をつけての旅立ちであった。
「古い友達の頼みとあらば、この新田翔がなんでも聞いてあげようじゃないの」
「ですよね~。よかった。今日、国道を避けて峠越えでこの街にたどり着いたんだけど、スマホの充電が途中で切れちゃって……」
「ああ、コンセントね。そこにあるから好きなだけ充電して」
「ありがとう。それからね、今夜泊まるところがないの。充電切れちゃって調べることも予約することもできなくて。この辺りにビジネスホテルとかある?」
「この辺りにはホテルも旅館もないな。一番近くて45km先の山の上に1軒あるけど、ずっと上り坂だから自転車だと3時間近くかかると思う」
にわかに商店街の役員たちの話し声が止まり、2人の話しに聞き耳を立てると同時にスマホの画面を触れ始めた。
5分もすると食堂の引き戸が開いて、通りを挟んだ斜め向かいで印刷所を営んでいた石川悦子が顔を出した。
「ああ、えっちゃん早かったね。翔、生ビールやっておくれ。それから、翔のお友達にもビールでも何でも好きなもんを出してやっとくれ。儂からだ」
そう言ったのは商店街の長老、酒屋の竹岡要、通称ご隠居である。
「ビール飲む?」
そう聞く翔に
「でも、まだ自転車で宿まで行かなきゃならないから……」
「どうやら、宿の心配はしなくてよさそうだよ」
「その通りだから、まあこっちでご一緒しませんか?」
翔はカツハヤシの皿を片付け、生ビールのジョッキとともにペンペンを商店街役員たちのテーブルに誘った。
「ここにいるのはみんなこの商店街の役員さん。紹介します、俺が高校出た後に放浪の旅をしてた頃の知り合いで【ペンペン】」
「はじめまして。平山なずなです。なずなという名なのでペンペン草のペンペンって呼ばれてます。このペンペンってニックネームは翔くんが名づけの親です。年齢はナイショ!翔くんより4つお姉さんだったかな」
「では、それぞれ自己紹介をお願いします」
「酒屋の爺さん、竹岡です。趣味は酒飲み、特技は早寝早起きです。みんなにはご隠居と呼ばれています」
「建築士の太田です。まあ街の便利屋みたいなもんかな」
「パン屋の今宮佳津江です。パン屋と言っても和菓子もケーキもやってます」
「クリーニング屋の中野です。翔よりは年上だけどこの商店街ではまだまだ若手です」
「食器、金物類の店をやっている桐山です。100円ショップに押されてとっても厳しいお店です」
「はい、最後は私。石川悦子、76歳。現在独身です。権兵衛さんの目の前で去年まで印刷屋さんをやっておりましたが夫を亡くし、廃業して今はのんびり暮らしています」
「よし、まずは乾杯だ」
グラスが当たる音が響く。
悦子はペンペンの隣に座り
「なずなさん、泊まる所なら全く心配しなくていいのよ。ほら、そこ。目の前だから」
「えっちゃんちなら安心だ」
翔がそう言うと、一同も頷いた。
「ところで、ペンペンはわざわざ函館から俺を訪ねてこんな方まで来てくれたの?本州に入ってからだって600km以上はあるぜ」
「そんなわけないじゃない。そもそも連絡先も知らないし、私が知ってるのは名前と私より4歳年下のガキんちょってことぐらいよ。それで翔くんはここでバイト?」
「一応、この権兵衛食堂の経営者で、この天沼六丁目商店街【通称てんろく商店街】の会長を務めさせていただいております」
「わ、びっくり! 翔くん、大人じゃん」
「27歳になりました」
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2人が初めて顔を合わせたのは9年前の6月、北海道の北見駅の近くであった。
高校を卒業したばかりの翔は大学に進学せず父、英一が営むこの権兵衛食堂の跡を継ぐことに決めた。
「お前が大学に行こうと、店を継ごうとそれは自分で考えて決めたことなら文句は言わん。但し、この店で働くのは20歳になってからだ。それまでの2年は世の中のことを見てこい、こいつをお前にやる」
そう言って英一が指を差したのは店の前の歩道に置かれた出前用のバイクだった。
HONDA BENRY CD125T。もちろんBENRYの名の由来は【便利】である。
翔はシルバーのタンクに描かれたホンダの翼のマークを見て育った。子供の頃、店の休みの日には小さなヘルメットを被って後ろの席に乗せられて山の上の湖や川を渡る鉄橋を通る電車を眺めるのが好きだった。
大衆食堂だから夏休みも正月休みも家族で遠くに出かけた記憶はなかったが、ありふれた日常に溶け込んだ小さな商用バイクで近くに連れていってもらうのが好きだった。
英一は小さい翔に
「ここに羽根のマークがついてるだろ。翔って名前はここから来てるんだぞ。バイクは人間の自由の翼だ」
とその名の由来を何度も教えた。
放浪の旅に出発する日、英一は
「学費代わりと言ったら少ないがこれを持っていけ。燃料代、母さんからだ。BENRYの燃料代だぞ」
そう言って真新しい財布に新券で10万円と500円玉の棒金を1本手渡した」
「ありがとう。いってきます」
「2つだけ約束しろ。1つ目、安全運転せよ」
頷く翔に、間髪入れず
「返事は! 1つ目!安全運転せよ!」
「はい!」
「もう1つ。1人でカップラーメンを食うな!」
「はい?」
翔にはまだその意味はわからなかったが、桜咲く春の日差しを受けて国道4号線を北上し北海道を目指した。
ちょうど同じ頃、函館の観光温泉ホテルの一人娘、平山なずなは自転車で旅に出た。
東京の大学で経営を学んでいたが、卒業後は実家で働くことが決まっていたため就職活動はせずに『道内の観光地を知り、人とのコミュニケーション力をつける』という屁理屈をつけての旅立ちであった。
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