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1章

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「差し支えなければ、此処の配達でバイト終わりなんですが、どうですか。一緒に俺の家、来ませんか? 避難場所として。あの写真見る限り……」

 「でも、知らない人の家に行くのもあれですよね」助言を呈している立場の彼が、気遣いながらも不安を取り除こうとしてくれている。
 他人の優しさに久しぶりに触れて、無意識に「お願いします」と縋ってしまった。
 
「それじゃ、自分の車をこちらに移動させますんで、30分程待ってくれませんか?」

 「その間に、貴重品とか持ち運び可能な仕事道具があれば、まとめちゃってください」と彼はいう。

 要するに、彼は一泊程度泊めてくれるらしい。
 暫時、彼が再び此処へ戻ってくる頃には、簡単な衣類と貴重品、それからパソコンをまとめ、玄関先で蹲る。リビングで堂々と待つことはできなかった。
 
 再度現れた彼は、私服に着替えていて、益々陰湿っぽく見せかけていたのかもしれない。大学生のイケてる部類の服装だ。ロングジャケットにインナーの白のシンプルなニットがさらに大人な大学生を演出している。
 「車をエントランスに横付けしちゃってるんで、急ぎましょうか」と天の声が降り注いだようだった。

 玄関からおずおずと歩き出し、日差しの直射を目蓋を閉じながら避けても目の奥が痛い。
 変な行動にも彼は何も言わない。簡単にまとめた衣類のバッグを持ってくれて、「急ぎましょう」と犯人への危惧も怠らない。
 普通乗用車に乗り込んで、田淵に助手席へと促す。

「お、お願い……します」
「はい、どうぞー。すぐ、車出しますねー」

 気さくに話しながら、ハンドブレーキに手をかけ、それからギアをドライブまで降ろした。そのままハンドルを切って築十数年の普通のマンションから離れていく。
 田淵の隣でハンドルを握る彼を凝視し、安心を得ている自分に内心驚くばかりだ。だが、もっと驚くことに、田淵の予想していた彼と180度違う服装で、佇まいなのだ、羞恥心に勝手に駆られても致し方ない。
 車に乗ると人が変わる、と人間性の話が一般的に話題のあることだが、彼は信号の「黄」でアクセルを踏むことはないが、信号のない横断歩道で歩行者を優先させることは一度もない。田淵はペーパーであるが、歩行者優先の運転をしなければならないことくらいは、頭に残っている。

「そういえば、自己紹介してませんでしたね。俺、黒田って言います。学生やってます」

 フレンドリーに言葉を投げかけられた。運転中なので、もちろんこちらに目など合わせはしないが、全くの他人と自身のパーソナルスペース侵犯区域にいる事実を徐々に理解してきて、答える田淵の声は、変わらず詰まったり、どもったりを繰り返す。

「あ、え、えと。俺、っは田淵……ヒロキです。2——28です」

 たださえ小さい背中を窄めて、彼を見つめるのをやめた。
 大学生らしい黒田は、見知らぬ情けない弱者にも気遣いながら救いの手を差し伸べる人間だった。このような人間を誰が野放しにしているはずがない、と彼の未来の人生設計図まで描き、実現可能性が限りなく高いだろうと結論づけた。

 絵に描いたような幸せは、きっと彼のようなハイペックな男限定の話だと思いながら、なぜか落胆する自分を客観視しては青息吐息を吐く田淵。
 
「まだ、落ち着かないですよね……急に——あんなもの送り付けられて」
「え? ……あ」
「忘れてました? すみません! 思い出させるような真似をして!!」

 自覚した時には、玄関先に置き去りにした不安の存在を忘れていた。
 ——引きこもりの田淵が、大学生の黒田によって。

「いえ……俺と6個は絶対違う年齢差なのに、しっかりしていて善意で此処までしてもらって……感謝していたんです」
「そんなこと考えなくていいのに!! 俺は俺なりに最善を尽くしたかったんです。どういうフィルターの外し方すれば、あんなものを送りつけるっていう行動に至ったんでしょうかね。心理を覗いてみたいまでありますよ」

 怒りを顕にしているのか、握られるハンドルが軋む。

「しっかりしている上に、優しい……」
「え、俺ですか? 優しいなんて言われたことないんですけどねー」

 彼がそう言いながら、また、信号のない横断歩道で停車を待つ歩行者を無視していく。

 それから自宅にお呼ばれして、大学生らしくない高層マンションの一室にお邪魔する。本来は1日、2日泊まらせてもらって落ち着いたら対応を考え直すつもりでいた。

 しかし、いつの間にか時間が流れ、1周間、2周間――1ヶ月。
 黒田の自宅なのに、我が家のように慣れてしまっているこの現状は、我ながら驚いている。

 「ヒロキさん、今からバイト行くんだけど帰りに何かいる?」黒田はいう。

「雪見だいふく、が欲しいかな」

 「おっけ! じゃあバイト行ってくるから待ってて」と出ていく。それで毎回不思議に思うのは、家を出て外から自分で鍵を閉めていくのだ。後から自分が閉めるのに、と思っていても些細なことだと口にはしない。

 待っている間はPCを開いてHPの運営をし、資金管理をして、それから作り置きしてくれた飯をゆっくり食べる。
 
 引きこもりである現状は大して変わらないのに、誰かと一緒に住んでいる、さらにいうならヒモのようにいたれりつくせりの状況に、意外と悪くない、と思ってしまっている。

「だって、ご飯、美味しいし・・・・・・黒田君、ずっと優しいし。ついつい長居しちゃってるな」
 
 お手製の春巻きを口に運ぶ。「んまぃ」。
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