上 下
3 / 4

side X X

しおりを挟む
『お前のせいだーっ‼︎』



 電話に出るなり聞こえて来た声に苦笑いが漏れる。今度は何があったのかとニヤけるのを止められない。

「どうした?
 何があった?」

 淹れかけのコーヒーにお湯を注ぎながら返事を待つ。本当は豆から淹れるたいけれど、手軽さを知ってしまってからは専らドリップコーヒーだ。
 本当に美味しいコーヒーが飲みたければ専門店に行けばいい。

 電話の向こうでグズグズと泣いている声を聞きながらインスタントコーヒーはまだあったかと確認する。泣きながらこの部屋に来た時にはミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレを出せば、あの子の気分が少しだけ浮上するのは学習済みだ。時間があれば下のコンビニで何か甘いものを買っておくのも良いだろう。

『参鶏湯の作り方なんて教えるから…』

 こんな時のあの子は支離滅裂で、確かに参鶏湯の作り方は教えたことがあったけれどその事で怒られる理由がわからない。

「こっちに向かってる?」

 そう聞けば『向かってる』と答え、「どのくらい?」と聞けば『分からないけどちょっとかかるはず』なんて返ってくる。それなりの時間をかけて、泣くためにこの部屋に来るのならば甘いものは必須だ。

「何食べたい?」
『…生クリームとプリン』
「わかった。
 待ってるからそれまで泣くの我慢しな」
『頑張る』

 そう言って切られた電話。
 こんな風に電話をして来たのは何回目だろう、そんなことを思いながらどうやって慰めようか考える。
 浮気された、捨てられた、別れた、その度にその原因を俺のせいにして連絡をしてくるのは何でなのか、早く自覚したら良いのに。

 それにしても今回は参鶏湯か、と苦笑いの後でふといたずら心が湧いて冷蔵庫の中身を確認する。仕込み始めれば外には出られないため、飲みかけのコーヒーはそのままにしてコンビニでいくつか甘いものを買ってくる。
 副菜に冷奴も悪くないと豆腐もついでに買っておいた。

 厚手の鍋に材料を入れ、蓋をしてコトコトと煮込む。好みで味を変えることができるよう塩は少なめに、肉の臭みが出ないように生姜とニンニクは多めに。本当は餅米が欲しいところだけど、あいにく餅米は常備してない。仕方なしに米の代わりに餅麦を入れておく。
 あの子は茹でた餅麦の食感が好きだから。

 あの子が来る頃までには煮込みが足りないけれど、話をしている間に手羽先はトロトロになるだろう。冷蔵庫にハムときゅうりを見つけ、なんちゃって棒棒鶏も作っておく。なんちゃって参鶏湯となんちゃって棒棒鶏。
 名前をつけることのできない関係を続けている俺たちには似合いのメニューだ。

 そして鳴らされるチャイム。
 モニターに映るあの子は今は泣いてはないけれど、少し突けば泣き出すだろう、きっと。

「開いてるから入っておいで」

 そう声をかければ玄関から「お邪魔します」と聞こえる。カチャリと音がしたのは鍵を閉める音で、あの子のために開けておいた鍵を閉めるのはあの子の仕事だから何も考えずに条件反射で動いているのだろう。
 それくらいに当たり前の行動。

「で、参鶏湯がどうしたの?」

 そんな風に声をかければポロポロと涙を溢しながら、ここに来る前の出来事を話し始める。風邪をひいた彼氏を気遣って参鶏湯を作りに行ったら彼氏が浮気相手と帰って来たと。
 ミルクと砂糖をたっぷり入れたカフェオレのせいか、キッチンから香り始めた参鶏湯にはまだ気付いていない。

「ジャージと部屋着でどこに行くの?
 なかなか帰ってこなかったけど朝ごはん食べにでも行ってたの?
 って事は泊まったってこと?
 仕事だし、風邪だしって、嘘だったの?
 そもそも、浮気相手に僕の部屋着着せる?」

 そんな風に憤る。
 どこに行っていたにしても、ジャージと部屋着で出かけられる関係なら昨日今日の付き合いではないのかもしれない。
 そして、俺ならこの子をそんな格好のまま外に出したりなんかしない。部屋着姿だなんて無防備な姿、可愛いこの子に向けられる視線だけでも許せない自信がある。
 今だって泣きそうな顔を晒しながらここまで来たことが面白くないんだ。

「それで、別れたの?」
「…合鍵、ポストに入れて来た」
「話は?」
「してないけど、もう無理」
「連絡は?」
「さっき電話してから電源切ってある」

 言いながらスマホを取り出す。
 画面は真っ黒のまま動かない。

「で、今回は部屋は?」
「知ってるからここに逃げて来た」
「了解」

 幸い、この子が生活できるだけの準備は整っている。〈あの頃〉のまま処分できず、事あるごとにこんな風に転がり込んでくるためクローゼットの一角を占領するこの子の生活用品。

「ねぇ、何かいい匂いしてるんだけど」

 俺が受け入れる事を当たり前だと思いつつも、言葉で了承して安心したのだろう。少し余裕の出たあの子は鼻をクンクンとさせる。

「あぁ、参鶏湯作ってるから」

 その言葉でここにくる前のことを思い出し、更に泣き出し、何故かスマホの電源を入れる。

「風邪気味だって言うから元気になって欲しかったんだ」
「それで参鶏湯?」
「風邪引いた時に作ってくれるの、嬉しかったから」

 電源を入れても静かなままのスマホをどんな気持ちで見ているのだろう。
 俺ならそんな顔、させる事ないのに。

「もう出来てたの?」
「吹きこぼれてた」
「何それ?」
「知らない。
 僕の部屋着きた子が何か騒いでたから知らん顔して逃げて来た。
 ざまあみろ」

 追いかけられなかった原因は参鶏湯か…。
 そして『お前のせいだーっ‼︎』になったわけだ。
 理由を聞いて笑みが溢れてしまう。

「責任取るから好きなだけいていいよ。
 何なら荷物、少し持ってくる?」

 そしてそのままここに住めばいいんだ。何度も繰り返されるこの行動は俺との再構築を願ってのことなのか、避難場所だと思ってのことなのか、正直どちらでもいい。
 どちらだとしても戻ってくるのは俺のところなんだから。

「昼メシは…腹減らないよな」

 あの子の前には甘いカフェオレとコンビニスイーツの残骸たち。
 嫌なことがあると甘いものをやけ食いするのはいつもの事だ。

「夜は参鶏湯だから。
 その前に荷物取りに行く?」

 そんな風に聞いてみれば無言で頷く。
 少しずつ荷物を運び込み、少しずつ囲ってしまおう。

「何なら、次の部屋探す?
 見つかるまでここにいてもいいよ」

 これを聞くのは例の彼たちから連絡があった時。
《どこにいるの?》とか《話をさせて》なんてメッセージと何度も入る着信。そして、《参鶏湯、美味しかったよ。ボクたちのためにありがとう》と知らない相手からのメッセージを受け取ったから。

 恋人に合鍵を渡しているくせに浮気相手を部屋に入れるような男だからスマホの管理もゆるゆるなのだろう。
 メッセージを受け取ったあの子の顔は…正直怖かった。

「もう誰にも参鶏湯なんて作らないっ‼︎」
「作らなくていいよ。
 食べたい時は俺が作るから」

 その言葉に素直に頷くのは参鶏湯が食べたいからだけじゃない、きっと。

「それなら、これからは僕以外の人には作らないでね」

 そんな風に念を押されたのは以前、会社の同僚に作ったせいで怒らせてしまったせいだろう。そして、それが原因で大喧嘩して別れてしまったからだろう。

 あれは、〈参鶏湯に喜ぶあの子〉の可愛さを自慢したせいで、そんなに喜ぶ物をどうしても作って欲しいからと請われたからだったのに、恥ずかしくて素直にそれを伝えることができなかったせい。
 その言葉に頷き、あの子をギュッと抱きしめる。

 意地になって、歩み寄れなくて、素直になれなくて。
 それでも離れられなくて、離したくなくて。

 そろそろ意地を張るのをやめて、歩み寄って、素直になろう。

 もう離さないからって。
 もう離れないからって。

 あれは、参鶏湯のせい。

 これも、参鶏湯のせい。

「全部、参鶏湯のせいだね」

 参鶏湯の材料を鍋に放り込んで改めて話すんだ。

 参鶏湯を作ったのは君の話をしたせいだと。
 参鶏湯を食べさせたいのは君だけだと。

 だから、これからも参鶏湯を食べて欲しいと。

 俺たちがずっと一緒にいられるのも…きっと参鶏湯のせいだから。


fin



しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

彼は罰ゲームでおれと付き合った

和泉奏
BL
「全部嘘だったなんて、知りたくなかった」

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

合鍵

茉莉花 香乃
BL
高校から好きだった太一に告白されて恋人になった。鍵も渡されたけれど、僕は見てしまった。太一の部屋から出て行く女の人を…… 他サイトにも公開しています

家事代行サービスにdomの溺愛は必要ありません!

灯璃
BL
家事代行サービスで働く鏑木(かぶらぎ) 慧(けい)はある日、高級マンションの一室に仕事に向かった。だが、住人の男性は入る事すら拒否し、何故かなかなか中に入れてくれない。 何度かの押し問答の後、なんとか慧は中に入れてもらえる事になった。だが、男性からは冷たくオレの部屋には入るなと言われてしまう。 仕方ないと気にせず仕事をし、気が重いまま次の日も訪れると、昨日とは打って変わって男性、秋水(しゅうすい) 龍士郎(りゅうしろう)は慧の料理を褒めた。 思ったより悪い人ではないのかもと慧が思った時、彼がdom、支配する側の人間だという事に気づいてしまう。subである慧は彼と一定の距離を置こうとするがーー。 みたいな、ゆるいdom/subユニバース。ふんわり過ぎてdom/subユニバースにする必要あったのかとか疑問に思ってはいけない。 ※完結しました!ありがとうございました!

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

幸せな復讐

志生帆 海
BL
お前の結婚式前夜……僕たちは最後の儀式のように身体を重ねた。 明日から別々の人生を歩むことを受け入れたのは、僕の方だった。 だから最後に一生忘れない程、激しく深く抱き合ったことを後悔していない。 でも僕はこれからどうやって生きて行けばいい。 君に捨てられた僕の恋の行方は…… それぞれの新生活を意識して書きました。 よろしくお願いします。 fujossyさんの新生活コンテスト応募作品の転載です。

こじらせΩのふつうの婚活

深山恐竜
BL
宮間裕貴はΩとして生まれたが、Ωとしての生き方を受け入れられずにいた。 彼はヒートがないのをいいことに、ふつうのβと同じように大学へ行き、就職もした。 しかし、ある日ヒートがやってきてしまい、ふつうの生活がままならなくなってしまう。 裕貴は平穏な生活を取り戻すために婚活を始めるのだが、こじらせてる彼はなかなかうまくいかなくて…。

処理中です...