愛心

佳乃

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運命の人

光流 4

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「静流さん、困っただろうね」

 神妙な顔の結斗さんは僕のこの告白をどう受け止めているのだろう。
 自分の思う相手が〈想っていた相手〉の話なんて面白くないだろうし、そこから立ち直ることができたのが自分ではないαの力だと思うと〈αとしての矜持〉が傷つけられたりするのだろうか。
 僕がいつまで経っても静流君を頼る事を面白く思っていなかった護君のように…。

「ですね。
 僕が起きなくなった1週間で全て終わらせて、起きない僕を心配して。
 いつも隙がないのに僕が変な時間に目を覚ました時には…話しながら寝ちゃいました。
 あんな静流君、最初で最後です、多分」

 それでもその時の静流君を思い出すとついつい笑ってしまう。僕に対して乱れたところを見せたことのない静流君が眉を下げるところなんて、きっともう2度と見る事はできないだろう。

「静流君が僕が起きた時に何も憂えることがないようにしてくれたせいで、彼とは婚約を解消したいって言われた日に会ったのが最後なんです。
 言いたい事も、聞きたい事も、本当は消化しきれない事も沢山あったんです。
 でも、せっかく静流君が頑張ってくれたんだからそんなこと言っちゃ駄目だって自分に言い聞かせました。

 彼との未来が無くなって、自分が何をしたいのかわからなくなって。
 それでも心配させないように何かを見つけないといけないって焦って。

 そんな時に僕に声をかけてくれたのが楓さんでした」

 そして話す〈楓さん〉の事。
 同じ男性Ωとして自由に振る舞う姿を見せる事で僕に道を示してくれる彼は僕の狡さに気づいていて、その方がいいと笑ってくれた。
 母を見てきた僕は男性Ωであっても家の中でαの帰りを待つのが当たり前だと思って生きてきた。
 茉希さんのような存在はイレギュラーだと思い込み、自分とは違う存在だと思っていたけれど、僕にもそんな生き方ができるかもしれないと思わせてくれるもう1人の兄のような存在。

 楓さんを思い出すとつい饒舌になってしまうせいで誤解されたくなくて、その関係性を理解して欲しくて胡桃のことも含めて言葉に出して伝える。どんな些細なことでも言葉にして、僕にとっての楓さんがどんな存在なのかを正確に伝わるように心を砕く。
 伝える事を怠ったせいで起こってしまった過ちを繰り返さないためにも、これからも関係を続けていくためにも。

「楓さんはΩだからって外に出ることを我慢する必要はないっていつも言うんです。
 やりたいことはやればいいし、やりたくない事は拒否すればいい。
 やる前に諦めずに可能性を広げるために学べばいいし、行きたいところがあればどこにでも行けばいい。

 でも、それは守ってくれる相手がいるからこその自由だけどねって。
 僕の気持ちもわかるけど、だからって諦めちゃ駄目だよって〈運命の番〉を拒否した時に言われたんですけどね」

 そして、護君のことを以外にも伝えるべきことを口にする。
 〈運命の番〉を欲しているわけではなかったのに偶然出会ってしまったそれは、閉じ込めたはずの僕の本能を目覚めさせようとした。
 護君との関係が悪くなった時に抑え込んだはずの欲望は、〈運命〉の香りによって無理やり呼び起こされそうになった事を忘れる事なんでできないだろう。
 僕の気持ちを無視して誘発されそうになる本能。
 先生に以前聞いた〈運命の番〉の定義に基けば〈運命の番〉は1人じゃない。
 2人の相性が良ければその香りでお互いを求め合ってしまう事だってあるのだ。

「別に〈運命の番〉を否定してるわけじゃないんです。だけど、彼が〈運命〉だと思った相手は偽物で、それでも抗えなかったって…怖くないですか?
 その人の容姿で一目惚れしたとかならまだわかるんです。好みのタイプってやっぱりあると思うし。
 そうなると〈香り〉も一目惚れと同じなのかもしれないけど、一目惚れは抗えない事はないですよね?

 だから〈運命〉は否定しないけど僕には必要無い。

 でも…結斗さんの作品に出会った時に欲しいって思ったんです」

 そう、あの時に感じたのは欲望。
 〈運命の番〉の香りを感じた時の強制的な欲ではないけれど、欲しい、触れたいと思ったのは呼び起こされた僕の本能。

「僕も欲しい、触れてみたい。
 譲ってもらって触れてしまったら、今度は作品を作った人、結斗さんに会ってみたくなって。

 もしもこの気持ちが、この出会いが〈運命〉だとしたら楓さんの言っていたことにも素直に頷くことができるって。
 抗えないような〈運命の番〉ではないけれど、この諦めたくない気持ちはきっと〈運命〉なんだって。

 永井さんには本当に感謝しかないです」

 〈運命の番〉をあれほどまでに拒絶したのに。僕には必要のない欲だと思ったのに、それなのに気付いてしまったそれは僕を昂らせた。永井さんに無理をしないで欲しいと伝えながらも、それでもその作者に会いたいと思う気持ちを抑える事はできなかった。

「それは俺も同じだよ。
 逃げても逃げても連絡してくるから正直困ってたんだ。
 だからワザと時間のない日に、フィールドワークの直前に時間を取ったんだけど…馬鹿なことしたって後悔した」

 僕の狡さを伝えたのにそんな言葉を返してくれる結斗さんは、きっと真っ直ぐに歳を重ねてきたのだろう。
 自分の思いを隠す事なく、自分の気持ちを素直に伝えることに、躊躇いなんてないはずだ。

 永井さんからの連絡の事も、心底迷惑に思っていたのだろう。それはきっと、自分の作品を世に出したいとか、自分の作品で金銭を得たいとか、そんな気持ちを持たず、ただただ染色に向き合っていたいと言う純粋な気持ちがあったから。

「作品を譲って欲しいって言われる事はよくあるんだ。
 学祭の時はノルマがあるから仕方なく言われた数だけ出すんだけど、それ以外は基本断ってる。

 キリないし、自分の作品はできれば手元に置いておきたいし。
 だから永井さんから連絡来た時もこっちに居たのに居ないふりして逃げ回ってて。だけど逃げても逃げても諦めないからあの日、作品を持っていって高い値段ふっかけて諦めてもらおうと思ったんだ」

 そう言って困ったような笑みを見せるけれど、これが紛れもない結斗さんの本音。自分の作品の価値を理解していないのではなくて、自分の作品を大切に思うからこそ、愛しく思うからこそ〈誰〉とも知らない相手の誘いに乗る気はなかったのだろう。
 僕が言葉で告げたように、結斗さんも言葉を続ける。

「だけど、俺も同じだよ。
 学食に入ってすぐに光流君に目を奪われた。永井さんと話していても気になって、作品を並べていても自分の視界に入れておきたくて。

 光流君が持っているのが自分の作品だって気付いた時の気持ちは…歓喜と高揚?格好つけないで言えば嬉しくて舞い上がったって事だね」

 真剣に聞いていたはずなのに、そんな風に言ってくれた言葉が嬉しくて笑みが溢れる。
 お互いに何を何処まで告げるべきなのかと探り合っていたせいで緊張感を孕んでいた空気が弛む。
 
「それからはとにかく自分に関心を持ってもらいたくて光流君に話しかけるのに、番犬君が出てくるし」

 番犬という言葉に「賢志ですね」と笑ってしまう。胡桃も言っていたけれど、僕の側で周りを威嚇する人達のことはどうやら〈番犬〉認定させれてしまうらしい。

「だから少しでも好感度を上げようとして番犬君、賢志君?の話聞いたんだけど、そう言えば大丈夫なのかな。
 悩んでたみたいだけど?」

「大丈夫みたいですよ?
 帰ってきたら、きっと話してくれると思います」

 賢志が相談したのはきっと、彼女とのことだろう。「もう大丈夫だから」と優しい声で告げられたのはきっと、想いを確かめ合って2人の関係が一歩進んだから。
 だからきっと、何も心配することはないはずだ。
 
「そっか。
 今度、改めて紹介して。
 きっとこれから長い付き合いになるだろうし」

「はい。
 賢志だけじゃなくて、楓さんや胡桃にも紹介させてください」

「もちろん」

 言葉のひとつひとつにこの先の2人の関係が広がっていく。
 僕のことを見守ってくれた人たちは僕の大切な人たちだから、そんな大切な人たちに〈運命〉だと思いたくなるような結斗さんを紹介したいと思う気持ちは必然。
 僕の本性を見抜き、それを含めて僕のことを見守ってくれている楓さんは、結斗さんのことを見てどんな言葉をくれるのだろう。

「俺もね、〈運命の番〉なんて信じてないし、興味も無かったんだ」

 その言葉の意味を考えて不安になる。
 信じてないし、興味も無かったという言葉を裏返せば〈まだ出会っていない〉と告げているのと同じだからだ。
 これから2人の関係を深めていく間に出会ってしまったら。
 護君のように〈運命〉に引きずられて僕のことを疎ましく思うようになってしまったら。

 そんな僕の想いが伝わったのか、握った手に力を込めたのはきっと僕を安心させるため。

「だけど見た瞬間に心を奪われたし、俺の作品を持っているのに気付いたらたまらなく嬉しかった。
 今までだって、自分の作品を持っている人は見たことあるし、何なら自分からアピールしてくる奴だっていたけど自分の手元から離れた作品にも、持ち主にも興味なんてなかった。
 俺の手元を離れて誰かの所有物になってしまえば作品は形を変えていく。

 使えば当然洗濯をするだろうし、ストールにしてもバッグにしても使い方で、置かれた環境で色や形が変わっていくから、格好つけた言い方をすれば〈それ〉は俺の作品じゃなくて、その人の作品になっていくんだって思うようにしてた。

 だけど、違ったんだ。
 俺の作品を選んだ理由を知りたい。
 そんな言い訳を考えながらとにかく声が聞きたくて、とにかく話がしたくて。
 自分の話に少しでも興味を持って欲しくて、もっと話がしたくて。

 だから、連絡先を渡したんだ。

 食堂に入ってすぐにαがいることには気付いたからそのαが守るべきΩは光流君なのだろうって言うのは予測であって確定じゃなかった。

 それでも惹かれたのは…それはきっと〈運命〉なんだって、そう思った」

 僕が恐れ、僕が逃げた〈運命〉は少しずつ形を変え、僕たちの距離を縮めていく。

 


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