世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗凪 2

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 もしも、ボクが生まれていなければ。



 もしも、ボクが生まれていなければ姉の人生は全く違ったものだったのだろう。

 ボクの存在がなければ両親からの愛情も、祖父母からの愛情も全て姉のモノだったはずだ。与えられる愛情も、与えられる環境も、与えられる物理的なモノだって全て。

 ボクが生まれたことによって半分、どころか半分以下になってしまった事がそもそもの始まりだったようだ、義兄に言わせれば。

 それでも、ボクの存在が悪なのかと問われてしまえばそれは違うと思う。周りを見ても兄弟がいるのはウチだけじゃない。
 姉の同級生だって、ボクの同級生だって、ひとりっ子の方が少なかったけれど、僕たちのような兄弟姉妹の関係は珍しかった。
 喧嘩をしても仲の良い兄弟姉妹、喧嘩をしなくても仲の良い兄弟姉妹。

 ウチは、喧嘩はしないけど仲の良くない姉弟だったと言えるだろう。
 それはきっと、姉がボクの存在を許せなかったから。

 何がいけなかったのかと考えてもボクの言動ではなくて、ボクの存在自体が駄目だったのだと言われてしまえばボクにできることは何もない。
 生まれてしまったボクの存在を無くすことなんてできないのだから。

「だから、離れたのに」

 姉が汐勿の家に残りたいと思っているのは知っていた。貴哉を何度も家に連れてきていたのは、いずれは家に入るつもりだったからだ。
 家族に紹介して家族に受け入れさせ、自分の居場所を作るのに必死だったのだろう。ボクが奪ってしまったものを取り返すために。

 薄々それに気付いていたボクは新婚家庭の邪魔をする気も無かったし、姉からの遠回しな悪意を向けられることにも疲れて家を出る事を決めた。
 幸いにも充分な仕送りがあったから困ることは無かった。親としても家を離れた息子を気遣って金銭的に困らないようにしてくれていたのだろう。
 家賃も生活費も充分だったし、米や保存の効く食料品は定期的に送られてくる。ボクは授業に集中する事ができたせいで専門的な知識を増やすこともできた。

 そんなふうに環境が整えられなければ知識を増やすこともできなかっただろうし、そうなれば大輝に声をかけられることも無かったはずだ。

 学生のバイトにしては報酬が良かったせいなのか、それともその容姿に惹かれてなのか、大輝に声をかけられたいと思う学生は男女問わず多かったといつだったから話してくれたことがある。
 その中からボクを選んだのだと言いたかったのかもしれない。

 ボクは別にお金が欲しかったわけじゃない。仕送りだけで充分生活はできていたし、特別何かに興味を持ち多くのものを欲しがるような性格でもない。
 大輝の容姿に惹かれて側にいることを望んだわけでもない。
 ただ、自分の身に付けたモノを試す事ができるのが楽しかっただけ。

 ただ、信頼され、必要とされたことは嬉しかった。
 ボク以外にも声をかけていたけれど、ボクに声をかける回数が増え、就職活動を始める時期になって一緒に起業をしないかと言われた時にすぐにその話を受けたのは大輝からの信頼に応えたい気持ちと、家に帰らない口実ができるからという打算から。

 失敗したところでボクは痛くも痒くもない。失敗して就職先に困った時には実家の名前を使って適当なところに就職するだけのことで、そうなれば一度は家を出た身だからと職場の近くに部屋を借りることも可能だろう。
 どう転んでも実家に戻る必要は無くなるのだ。

 幸いなことに仕事は順調で、実家からの金銭的な援助を受けることもなく、心配をさせることもなく過ごす毎日。

 大輝の存在は不思議なモノだった。

 起業する時にパートナーとして選ばれたのはきっと、ボクが無個性だったからだと思っている。大輝自身が個性的だったから平凡で無個性なボクがパートナーになることでバランスを取ったのだろう。
 全て受け入れるボクは大輝にとって都合のいい存在で、ボクにとっては居場所を与えてくれる存在。
 だから大輝の提案を受け入れ、邪魔にならないように気を付けた。
 ふたりでの生活はとても快適なモノだった。基本的なルールを守り、干渉することなく過ごす毎日。

 貴哉は営業で家を空けることもあったし、地元だということもあり友人と出かけることも多かった。昼間、事務所で過ごすことの多い大輝にとって夜間の外出は必要なモノだったのだろう。
 反対に、昼間は出向先に出向いているボクは部屋で過ごす時間を大切にしていた。何か特別なことをするわけではないけれど、自分の好きなものを食べ、自分の好きなことをする時間。

 学生の頃は周りに合わせるように彼女と呼べるような存在を作ったこともあったけれど、社会人になった今、そんなふうに周りに合わせる必要もない。
 大輝の恋愛事情は知らないけれど、その辺はお互いに不干渉だったし、興味も無かった。

 十分な収入と自由に使える時間。
 出向先で人と関わることで社会との関わりを持ってはいるものの、必要以上に距離を縮めるつもりも必要も無い。

 そんな時に再会した貴哉に流されたのは少しだけ彼に期待していた自分を覚えていたから。
 自分を可愛がってくれる貴哉が間に入れば姉との関係も少しは良くなるかもしれない。貴哉が緩和剤となって、周りの友人のようにとはいかないまでも、少しだけ姉と親しく接することができるようになるかもしれない。
 今になって姉との仲を貴哉に取り持ってもらうことを期待してなんかいなかったけれど、自分が手に入れることのできなかった【兄姉】との良好な関係を疑似体験することを無意識のうちに望んでいたのだろうか。

 少し歳が離れているせいでただただ甘やかされるだけの関係は、ボクが紗羅に求めていた【姉】という役割。
 【弟】なんて必要としていなかった紗羅が、ボクの求めた【姉】を演じてくれるわけもないのに憧れてしまった関係。
 義兄になるはずだった貴哉に甘え、【兄】ではないのにその役割を押し付けたせいで歪んでしまったボクたちの関係。

 大輝との同居を解消することになった時に貴哉を頼ったのは【兄】としての助言を期待したから。大輝に相談してしまうと変に気を使わせてしまうかもしれないと遠慮したせいもあった。
 もしも頼りすぎて邪魔だと思われたらまた居場所を失うことになるから。

 違う。

 ボクはただ、淋しかっただけ。

 快適だと思っていたのはボクだけで、大輝は将来のことを考えていたのだと知ってしまったから。

 仕事のパートナーだっただけで公私共にパートナーだったわけじゃないのに、ずっと一緒にいられると勘違いしていた自分を悟られたくなくて逃げ出したかっただけ。

 淋しさを埋めるために、勘違いを悟られないように逃げ込んだ先に貴哉がいただけのこと。

 だから、貴哉と過ごすことで淋しさを埋めた。
 そして、同じ轍を踏んでしまった。

 自分が大切に思っていても相手も同じように大切に思ってくれるわけではないと知ったのは、実家を出た時。
 ホームシック気味になったボクは理由をつけては家に電話をしていたけれど、はじめは歓迎してくれていた電話も会を重ねる毎に当たり前になっていく。そして、当たり前の時期を過ぎれば度重なる電話は疎まれるようになってしまう。

『また、紗凪?』

 その声は祖母のものだったのか、母のものだったのか、姉のものだったのか。
 だから、電話を控えた。
 だから、学生らしく勉強に集中した。
 そして、大輝と知り合った。

 大輝と過ごすことが多くなれば自然と大輝以外との交流も増え、友人と呼べる相手が増え、周りに合わせているうちに彼女と呼ぶ存在がいた時期もあった。
 彼女との交際期間は長かったり短かったりで、姉のように学生のうちに将来を共にしたいと思う相手と出会うことはなかったし、大輝の地元に移ってからはひとりの時間が快適すぎて恋愛から遠ざかっている。

 それで良いと思っていた。

 それはきっと、姉の結婚を経たせいもあったから。
 義兄になるはずだった貴哉と【男性不妊】が原因で別れた姉は、さっさと見合いをして別の男性と結婚してしまった。
 どれだけ近い距離にいても必要が無くなれば縁は切れてしまうのだ。

 だから、仕事のパートナーでいるうちはこの関係が続くと思っていた。この快適な生活はずっと続くと思っていた。

 だけど、恋愛のパートナーと仕事のパートナーは違い、生活を共にするのなら恋愛のパートナーを選ぶのだという現実を突きつけられてしまった。

 ボクは、大輝の私生活には必要ない存在。仕事のパートナーは仕事以外でパートナーにはなり得ないのだと。

 埋められたはずの淋しさは掘り起こされ、その淋しさを貴哉に会うことで埋めたのは甘えから。
 そして、貴哉の変化を受け入れたのは淋しさから。

 相手に必要とされれば居場所を確保できると思ったのに、それは間違いだった。
 結局は恋愛相手を選ぶのだと知ったから、貴哉との関係が恋愛関係になった時に自分が選ばれたのだと安心した。

 姉とは【男性不妊】が原因で別れてしまったけれど、ボクが相手ならソレは理由にならない。
 だから、【紗羅】の身代わりであっても貴哉が必要としてくれているうちはボクの居場所はソコにあると勘違いしていた。

 だけど身代わりは身代わりでしかなくて、結局はボクの居場所なんてどこに無かったんだ。

 奪った居場所はいずれ奪われる。

 紗羅から居場所を奪ったボクの居場所は、最終的に紗羅の元に戻っただけ。

 それなら今いるこの場所も、いずれは誰かのものになるのだろう。

「出て行かないと」

 もう懲り懲りだった。
 自分の居場所は自分で確保するしかないのに、それなのに大輝に甘えてしまった自分を恥じる。

 きっとどこかで、自分のされた仕打ちを誰かに分かってもらいたかったのかもしれない。ボクの居場所を奪った彼女に、少しで良いから危機感を味合わせたかったのかもしれない。

 最低だ。

 自分の浅ましさに気付いてしまったボクは自分の置かれた状況に焦り、ベッドから抜け出す。
 明日、本当に世界が終わってしまうのなら大輝は大輝のために過ごすべきだ。

 とりあえず、この場所から離れてしまおう。ボクがいたら大輝はボクに気を遣ってしまうはずだから。

 酔いは覚めてしまったのか、冷静に今後のことを考える。そろそろ夜明けが近いのか、外は白み始めていた。
 着替えをして財布とスマホだけを持ち、ベッドを整える。
 大輝には落ち着いた場所を見つけてからメッセージを送れば良いだろう。

 こんな時に落ち着ける場所が見つかるかどうかは不安だけど、ネットカフェならボクの居場所があるかもしれない。

 誰とも分からない不特定多数の人達と最後を迎えるのは、独りで終わりを迎えるより淋しさを紛らわせることができるかもしれない。

 だから、大輝に気付かれないようにそっとドアを開けた。

 ボクは、この場所から離れるべきだから。


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