世界が終わる、次の日に。

佳乃

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紗羅 2

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 写真が送られてくるようになってから、自分の苛立ちを抑えることができていないことには気付いていた。

 とにかく腹が立って仕方ないのだ。

 今までは我慢していたことが我慢できなくて、自分の思い通りにいかない生活がもどかしくて。

 中でも育児に対する考え方の違いで母や祖母と衝突する事もあった。

「紗凪の時はこうだったから」

 私を育てた時と紗凪を育てた時は育児のやり方も変わっていたと紗凪に接したのと同じように育児をするけれど、紗凪の時からは更に時間が経っているのだ。
 あの時とは育児の常識も変化している。

 紗凪のことを知るまでは余裕を持って接することができた母や祖母に対して、ついついキツイ言葉を向けてしまう。
 今の育児の常識を押し付け、自分のやり方を押し付け、母や祖母のやり方を受け入れる紗柚にまで苛立ちを感じる毎日。

 母や祖母に育てられたら紗凪みたいになってしまう。
 また私のモノを奪い去り、私よりも充実した生活をしていると嗤われるのは耐えられない。

「お母さん、ごめん」

 このままではいけないと提案した水回りを別にするという案は、母や祖母には簡単に受け入れられた。夫は少しだけ不満そうな顔を見せたけど、結局は私の言いなりだから問題ない。
 キッチンとお風呂、それとトイレを増築してしまえば会うことも少なくなる。
 紗柚が帰宅して母世帯に行くことは止めないし、あちらで食事をするとか入浴するとか、それも本人が望めば許可した。私の見えないところで何をしようが関係ないし、何か変な考えを押し付けられても矯正することはできる。

 私の見えるところで私の思い通りに過ごしてくれればそれで良い。

 写真は相変わらず送られてきている。
 定期的にではないけれど、間隔をあけて届けられる写真を見ると苛立ち、幸せそうな紗凪の顔を傷つけてしまう。

 大嫌い。

 私から全てを奪う紗凪が憎らしくて、底辺だと思っていたのにそうじゃ無かったことが許せなくて、貴哉から離す方法はないかと考えるけれど、写真を送ってきた相手に見当がつかないのだから対策の取りようがない。
 下手に動いて墓穴を掘るのはごめんだ。
 紗凪からは相変わらず連絡はないし、貴哉も紗凪との関係を匂わせることすらしない。

 そんな時に流れ始めたあの噂話は貴哉を揺さぶるのに使えるだろうとほくそ笑む。

 甘い言葉で貴哉に未練があると匂わせ、本当は一緒にいたかったと訴える。
 紗柚の生まれた今ならば【男性不妊】の貴哉を夫に迎えても問題無い。それに、貴哉の身体のことを考えれば妊娠を気にすることなく楽しむことだってできる。
 あの時、選択を間違えず、貴哉の男性不妊に向き合っていれば違う未来があったのかもしれない。世界が終わるのなら跡取りを望む必要もなかった。
 そんな言葉を並べて貴哉の気持ちを確かめる。

 貴哉は面白いように私が望むように動いてくれた。
 夫と子どもは噂を信じる私に寄り添ってくれないだとか、話を聞いてくれないと言えば私の話を聞き、寄り添ってくれた。
 会いたいと何度も訴え、それでも会えないと暗い声を出せば紗凪かいる時でも私と電話を繋いでくれる。

「ねえ、彼女は大丈夫?」

 そんな風に聞けば『仕事の電話って言ってあるから、大丈夫』と当たり前のように答える。紗凪も大概鈍感過ぎる。

「同じ部屋にいるの?」

『彼女はリビング。
 俺は寝室に移動したよ』

「寝室、あの頃のまま?」

『悪趣味だな、』

『カバー類は全部変えたよ』

「ベッドは?」

『それは流石に、』

「ねえ、しながら私のこと思い出すの?」

 私の言葉に息を呑む音が聞こえる。
 この反応を考えると、きっと紗凪を抱きながら私のことを思い出すのだろう。だって、化粧を落とした私の素顔と紗凪は良く似ているのだから。

「最後にした時、あの時に赤ちゃんできてたら今頃一緒にいられたのにね」

 自分の欲望のままに私を抱いたあの時、貴哉との子供を望んだのは嘘じゃない。だけど、その可能性が限りなくゼロに近いことだってちゃんと理解していた。
 最後だから流されるままに身体を重ねたあの日、何度も私の中で果てた貴哉だったけれど、それが実ることはなかった。

『もう止めよう、旦那さんにもお子さんにも申し訳ない』

「貴哉の彼女にもね」

『それでも…俺も紗羅が妊娠することを少しだけ期待してたよ』

 これが貴哉の本心。
 紗凪よりも私を求め、今も私を想い続ける可哀想な貴哉。

 ざまあみろ。

 リビングに独り残された紗凪を嗤う。
 貴哉が今、私とこんな会話をしているだなんて想像することもないだろう。

 無くならない噂話と何度も繰り返される貴哉との会話。
 そして、具体的な【世界が終わる日】が提示され始めた時に起こり始めた混乱。

 はじめは子ども達だった。

 大人はそれでも分別があるから不確かな情報に不安になることはあっても、それを表に出すことはしない。だけど子どもは違う。囁かれ始めた具体的な日にちを指折り数え、不安になる子が続出したせいで学校は自由登校となる。
 社会は動いているのだから、全ての親が子どもと一緒に休むわけにはいかない。いくら子どもが不安がったとしても、全ての親が休めるわけでもない。
 紗柚は家にいても退屈、と言っていたけれど、遠回しに家族が家にいる家庭はお休みをと通達があれば休ませるしかない。課題のプリントは出るというけれど、それでは足りないと思い幾つかの問題集を購入した。

 毎日の昼食は面倒だったけど、そんな時は母のもとに行かせれば良い。

「ねえ、紗羅ちゃん。
 紗柚連れてうちの実家に泊まりに行かない?」

 具体的な日にちがいよいよ近付くと学校は休校となった。教師だって家族がいるのだから仕方のないことだろう。

「紗羅ちゃんもずっと紗柚とふたりだとストレス溜まらない?」

 人の良さそうな笑みを見せた夫はそう言うけれど、義実家に行くことの何がストレス解消になるのかと呆れてしまう。義実家に行くくらいならここにいた方がはるかに楽だ。

「別にストレスは溜まらないけど…。
 お義父さんとお義母さんがそう言ったの?」

「えっと、たまには紗柚とゆっくり過ごしたいなって言うから」

 その言葉にすぐには答えず「考えとく」と言っておく。

「どのくらい?」

「え、一泊でも喜ぶと思うよ」

「どこかに行くの?」

「違う違う。
 家が近いせいで紗柚が泊まったことないでしょ?だから孫が泊まりに来るっていうのを味わいたいんだって」

「…考えとく」

 そう答えた時に思ったのは、うまくやれば貴哉と紗凪を引き離すことができるかも、ということだった。
 確かに家が近いせいで顔を出すことはあっても泊まることはなかった。年の近い甥や姪がいれば違ったかもしれないけれど、義兄は結婚していないためあちらは完全に大人だけの家庭だ。
 そんなところに紗柚が泊まりに行って楽しいのかと思ったけれど、紗柚本人はなんなら明日から泊まりに行ってもいいと言い出した。
 それはそれで面白くないから日にちを決める。

 そして決まった夫と紗柚の帰省と私と貴哉の逢瀬。

「夫と息子が義実家に何泊かするって言ってるの」

 確か、そんなふうに貴哉には告げたはずだ。だから、その時に一目会いたいと告げれば一緒に行かなくていいのかと心配するふりをしたため、自分が行かない方が義両親も息子も楽しめるはずだからと告げる。実際、私がいては義両親も気を使うだろう。私だって、それがわかっていてのこのことついて行く気はない。
 遠方でほとんど顔を合わせることがないのなら考えるけれど、買い物に行けば義母に会うこともあるくらいの距離なのだからあえて泊まりに行く必要性だって感じない。
 幸い、嫁に何かを頼もうとするような人でもないから、この距離感も丁度良いとお互いに感じているはずだ。

〈どうせ終わるなら、その時は貴哉の側にいたい〉

 その言葉は紗凪よりを私を選ばせる魔法の言葉だったようで、貴哉は紗凪とその時を過ごすことよりも私の側に来ることを選んだ。

 ざまあみろ。

 ざまあみろ。

 もしかして紗凪から何かコンタクトがあるかとも思ったけれど、何も連絡がないままその日は近づいてくる。

〈彼女は大丈夫なの?〉

 何度か聞いてみたけれど貴哉からは《大丈夫》だとしか帰ってはこない。

 ⌘⌘⌘

「ねえ、最近、紗凪から連絡ってあった?」

「あったっていうか、気になって帰ってこないのかって聞いてみたけどそんなに余裕ないって言ってたから忙しいんじゃないの?
 まあ、あんな噂があるのに仕事が忙しいってことは良いことだし。会社やってるくらいだから現実的なんでしょ。
 噂くらいで仕事止めてたら信用失くすし」

 知ったフリしてそんなことを言う母の言葉を聞きながら、貴哉は【彼女】はずっと家にいるって言ってたけどねと心の中で嘲笑う。見栄を張って、強がって、それなのに昔の女を選んだ彼をどんな気持ちで見ているのかが気になるけれど、どうせならショックは大きければ大きいほど面白くなるはずだ。

 傷付いて、傷付いて、傷だらけの身体に塩をすり込んで初めて私は満たされるのだから。

 その姿を見られたら貴哉のことなんて、紗凪が好きにすれば良い。

 傷付いて帰った貴哉に塩をすり込まれるのか、それとも癒されるのか。
 貴哉は貴哉で傷を負って帰るのだからお互いに傷を舐め合うのも良いかもしれない。

 お互いに傷付けあって、それでも離れられないなんて、純愛?殉愛?
 自分でそんなことを考えながらニヤニヤが止まらない。

 私のモノを奪った紗凪と、私の欲しかったものを与えてくれなかった貴哉には相応の結末だろう。
 再会するまでにも何度も試すようなことをしてみたけれど、それでも貴哉は私を選んだのだから。

 ⌘⌘⌘

「ねえ、早く良さそうなところ見つけてよ」

 貴哉の太ももの上で絡ませた指からはこの先の時間への期待しか伝わってこなかった。

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