世界が終わる、次の日に。

佳乃

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大輝

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「大輝、ちょっと不味いかも」

 そう言われたのは2人で仕事を始めて何年か経った時。その時の紗凪は出向中だった。
 事務所でできる仕事もあれば顧客の会社に出向することもある。外見が派手なオレが行ってしまうと余計なトラブルを招くことが何度かあり、出向しないといけない時は基本的には紗凪が行くことになっている。あまり目立つ容姿ではないけれど人当たりの良い紗凪は出向先でトラブルを起こすこともない。

 目立つ容姿ではないけれど人当たりが良いというのは印象にも残りにくいのか、どこに行っても【通りすがりの人】のような扱いが多く、好意を寄せられても関係が進む前に出向期間が終わってしまう。小動物めいた雰囲気も手を出すことを躊躇する理由かもしれない
 愛玩動物のように可愛がるには優秀な仕事ぶりも躊躇させる理由になるのかもしれない。

 そこで紗凪自身が積極的になれば恋愛として発展する関係もあったはずなのに、恋愛に対して消極的なのか追いかけることはしない。
 付き合いが長くなるにつれてお互いの恋愛事情なんかも分かってくるけれど、紗凪の場合自分自身に問題があるわけではなくて、周囲の恋愛事情がそうさせていると知ったのは同居を始めてから。
 なんだかんだと理由をつけて帰省しないのは義兄と顔を合わせ辛いせいだと教えられ、姉の元婚約者の話を聞かされた。

「学生の頃から家に遊びにきてたんだけど、色々事情があったみたいで。
 姉さんが決めたことだから仕方ないんだけど、結婚するの楽しみにしてたから複雑な気持ちはあるよね。
 別に義兄のことが嫌いとか苦手じゃないんだけど、顔合わせの時に驚き過ぎて変な態度取っちゃったせいで顔も合わせずらいし。
 まあ、実家に戻るつもりもないから距離がある方がいいんじゃない、お互いに」

「その元婚約者とは連絡取ってないの?」

「ボクはもともと連絡先知らないし、理由が理由だから姉さんも取ってないんじゃないかな?」

「なに、浮気か何か?」

「う~ん、結婚前の検査で不都合があって別れたとは聞いたよ。それがそういう病気だったのか、他の理由かはわからないけど」

 紗凪自身も知らないのか、それともはっきりと口に出すことをしたくないのか。好奇心でつい口にしてしまった質問に恥じて「まあ色々あるよね、きっと」と話を終わらせた。
 親しき仲にも礼儀ありだ。

 ⌘⌘⌘

「不味いって?」

「姉さんの元婚約者がいた」

「え?」

 仕事上の不都合の話をされるかと思っていたのに予想もしていなかったことを言われ、間抜けな声が出る。元婚約者を見かけただけなら不味いことはない、ということは仕事も関係あるのだろう。

「今の出向先にいたんだよ」

 困った顔でその時のことを話してくれた紗凪は「さっさと終わらせたいけど、もう少しかかりそうなんだよね」と溜息を吐き、「そう言えば姉さんが住んでたの、隣の街だった」と今更気付いたと苦笑いを漏らす。紗凪が今出向している会社は隣街の会社だからきっと間の悪い偶然なのだろう。

「何か嫌なこととか言われたの?」

「それならそれで仕方ないと思うんだけど、やたらと構ってくるんだよ。
 姉さんのしたこと考えると嫌がらせとかされても仕方ないと思うんだけど…」

「え、でも今の出先って少し前から行ってなかった?」

「そうなんだけど、異動?
 ボクは気付かなかったんだけど、向こうが気付いて話しかけてきて。義兄さんに会うのも気不味いけど貴哉さんはもっと気不味い」

 そこで初めて知った元婚約者の名前。

「業務に支障があるようなら交代する?
 たまにはオレが外に出ようか?」

「でもそれだと変な誤解与えない?
 他の人にも知り合いの弟って言っちゃってたし」

「向こうは気にしてないってことだな」

「気付かないふりしてくれたらよかったのに…」

 そう言った紗凪だったけど少しずつ警戒心が薄れ、出向期間が終わった後も元婚約者との交流が無くなることはなかった。
 出向先で親しい友人を作ることもなく、出かける時はオレを誘っていたのにその回数は減っていき、その口から出る名前は【貴哉】という名前ばかりなのが面白くなかった。
 自分に懐いていた小動物を奪われたような、そんな嫉妬にも似た気持ちを感じ、そんな自分に戸惑う。

 オレだって地元に戻ってきたせいで紗凪以外の友人と出かけることも多いし、友人の話を紗凪にすることだってある。会ったことはないけれど、オレの友人事情に1番詳しいのは紗凪だろう。

『貴哉さんが、』

 紗凪の口からその名前が出る度に眉間に皺が寄るのを抑える。その名前を告げる口を塞ぎたくなる。
 その言葉に甘い響きはなく、義兄になるはずだった相手を慕っているだけなのは伝わっていた。聞けば紗凪が小学生の頃から知っているようで、元婚約者としても義弟になる予定だった相手を可愛がっているだけなのだろう。
 もしかしたらまだ婚約者だった紗凪の姉に未練があるのがしれない。

 自分よりも昔から知っている相手なのだから仕方ない。兄弟のような関係なのだから気にする必要もない。

 自分にそう言い聞かせても紗凪の口から出てくるその名前に苛立ち、物理的な距離を離そうと事務所での仕事ではなく、出向先に出向く必要のある仕事を入れて紗凪にお願いする。選ぶのは当然元婚約者が住むのとは逆の隣街で、就業後に会うことができないようにと姑息なことを考えてのこと。

 それなのに休みになると約束をしたと出かける紗凪に苛立ち、閉じ込めてしまいたいと思ってしまった時に自分の気持ちに気付く。自分のモノを奪われるくらいなら閉じ込めてしまおう。

 それは危険な思想だった。

 物理的に閉じ込めることは可能だろう。もともと顧客情報を守るためにセキュリティはしっかりしているから防音効果も期待できる。
 万が一に備えて各部屋の窓にはシャッターも設置してある。紗凪の部屋も例外は無く、鍵を閉めてしまえば自分で開けることはできない。当然鍵を紗凪に渡すつもりはない。
 シャッターに鍵を掛け、紗凪か眠っているうちにドアの外に鍵を付けてしまえばどうすることもできないだろう。
 これはもう、小動物を逃がさないための檻と言っていいだろう。

 ただ、それをしてしまった時に紗凪との関係が、今まで築き上げてきたモノが全て無になってしまうだろう。その時にオレを見る目が変わってしまう事に耐えられるだろうか。
 あの小動物のような可愛さは消え失せ、オレに怯え、心を閉ざす紗凪を想像して自分の馬鹿な考えを押さえ込む。

 紗凪のことを欲しいと思う気持ちは有るけれど、紗凪という器が欲しいわけじゃない。紗凪を欲情の対象にしていたわけでもない。
 自分が1番の理解者だと思っていたのにそうじゃなかったことが許せなくて、自分だけが理解者なのだと思わせたかったのだと自分を納得させ、その気持ちを抑え込む。

 自分の気持ちを抑え込み、紗凪との関係を保つ事に限界を感じ、仕方なく取った行動に後悔する事になるのだけど…。

 ⌘⌘⌘

「紗凪、少し話があるんだけど」

 そう声をかけたのは紗凪と元婚約者が知り合って数ヶ月経った頃。自分の気持ちを自覚したオレはその気持ちを紗凪に知られないためにと外での出会いを探し、それなりの付き合いができそうな相手を見付けたから。

 将来の約束をしたわけじゃない。

 その娘との将来を願ったわけじゃない。

 だけど、小動物のように見えるその娘に惹かれたのは本当の事。

「実は、将来を見据えた付き合いをしてる子がいるんだ」

 その言葉に驚いた顔を見せたけれど、理解するとふんわりと笑い「そうなんだ」と嬉しそうな顔を見せる。自分は友人以上の気持ちを抑えているのに紗凪は友人としての気持ちしか持っていないのだと思い知らされる。

「それで、紗凪には申し訳ないんだけど部屋探してもらっていいかな」

 その言葉に「もちろん」と答えられ、淋しさを感じてしまう。もう少し戸惑いを見せて欲しかったと思うのは我儘なのだろうか。

「あ、そんなに急がなくて大丈夫だけどね。まだ具体的な話をしてるわけじゃないし。
 ただ、急に言われても困るだろうから心算だけしておいてもらえると助かる」

「そっかあ、大輝、結婚か~。
 え、その時はボクも呼んでくれるよね、勿論。スピーチとかしちゃおうか?」

「………そうだね。
 その時はお願いしようかな」

 オレの気持ちに全く気付いていない紗凪の言葉は小さな棘となりオレを蝕んでいく。

 この気持ちを抑えるために早く部屋を見つけて欲しいと思いながらもこの生活を終わらせたくなくて、「この部屋どう?」と見せられた物件にケチをつけてしまう。

「セキュリティは大切だと思うよ?」

「でもボク、男だし」

「今の世の中、男とか女とか関係無いし。とりあえずオートロックは必須だから。あと一階は避けろよ」

「………分かった」

 納得できないという顔をしながらも素直に頷く紗凪は可愛い。
 こんな時間がずっと続けばいいと思っていた。自分から終わらせようとしたくせに。

 そして訪れる最初の終わりの日。

 楽しかった生活は、あっさりと終わりを告げたんだ。


 

 




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