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紗羅
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貴哉と別れ、地元に帰った私は忙しかった。
お見合いなんて結婚前提が当たり前で、あちらから是非にと申し込まれてのものなのだからこちらがその気になれば話は早い。仕事を探すことも考えたけれど、家に入るのなら不労所得の管理を任せたいと言われて母から教えを乞う事になった。後継としての仕事を任される事に気を良くし、数年こちらを離れたブランクを埋めていく。
貴哉のことで辛くなる事はなかった。
あの日、最後に身体を重ねた時にはいつもと違う行為に心を動かされた気がしたけれど、自分の部屋に戻り、シャワーを浴びればいつもと変わらない。
変わらないどころか、流れ出る残滓に嫌悪すら覚えた。
実を結ぶことのない精を与えた貴哉と、実を結ぶことのない精を受け止めた私は、あの時には確かに同じものを望んでいた。だけど、今思えば可哀想な自分たちに酔っていただけだったのだろう。
その証拠にあの日を境に貴哉からの連絡は途絶えたし、私からも伝えたいことも伝えられることもなかったから。
淡々と過ぎていく毎日、着々と進んでいく結婚への道のり。
お見合いの相手は全く知らない相手ではなかった。
同級生として小中高とずっと一緒に過ごしていた相手だったけれど、大学は確か県外だったはずだ。そんな彼はそれなりにブラックな会社に入り、体調を崩して地元に戻ってきてからは家業を手伝っていると教えてくれた。
「兄が継ぐから自分は外に出たのに、結局戻ってきちゃったんだよね」
そう言って「家業になんて全く興味なかったのに楽しくなっちゃって」と笑い、結果地元でお見合いをする事になったのだと教えてくれた。
私のところに話が来たのは必然。
家業の手伝いをすると言ってもそこまで大きな規模じゃないし、家業を継ぐのは兄なのだからいつまでも家にいられない。そんな時に聞かされた婿養子の話は彼にとっても都合のいい話。
「正直なところ、僕の収入は紗羅さんを贅沢させてあげられるようなものじゃないんだよね。メリットとしてはなんの問題もなく婿養子に入れることだけかな。
それが前提なんでしょ?」
自分の事情もこちらの事情も隠すことなくお互いの事情を擦り合わせることから始まった関係はとても楽なものだった。
「婿養子も前提なんだけど、もうひとつ、子どもも大切」
「子ども?」
「そう。
ゴメンだけどブライダルチェック受けてもらえないかな。それで異常なければこの話、お受けします」
「ちょ、ブライダルチェックって、性病とか?」
「そんな治療すればいい事はどうでもいいよ。それよりも性液検査の結果だから」
「…紗羅さんは恥じらいとかないの?」
私のあけすけな物言いに少し引いた彼だったけれど、貴哉とのことを告げれば黙り込む。
「愛とか恋とか、そんなことどうでもいいの。婿養子に入ってくれて、私に子どもを与えてくれる、それ以外は望まないし、今は家のこと教わってるから仕事してないけど、収入が足りないなら私も外に出るし」
条件は悪くないはずだ。
「弟は?
いたよね、確か」
「まだ学生だから分からないかな」
そんな風に言葉を濁せば「確かにそうだよね」と苦笑いを見せる。
「僕だってこっちに戻ってくるなんて思ってなかったし。
じゃあ、とりあえず性液検査して結果を提出しない事には話が進まないわけね」
「そうね。
だから、検査お願いね」
知らない相手じゃないからつい遠慮が無くなってしまうけれど、この先もずっと一緒にいるのならその方が楽なのかもしれない。お互いの手を曝け出し、要望を伝え、快適さを追求する。
愛情も恋心も必要無い。
欲しいのは跡取りという立場と子どもを孕める精なのだから。
「はい、問題無かったよ」
軽い感じで渡された検査結果は満足いくもので、彼の婿入りが決まった。
性液検査の結果が良かったからといって確実に孕むことができるわけじゃないことは分かってる。母だって私の時は何の問題も無かったと言っていたから同じことが起こる可能性だってあるだろう。
だけどこれでスタートラインに立てた気がした。
紗凪は私と貴哉が結婚すると思っていたから親族の顔合わせの時に驚いた顔を見せたけど、私の隣の見知った顔に対しては笑顔を向けた。
普通、8つ離れてしまえば接点なんてないけれど、学校行事に紗凪を連れてくることが多かったせいで彼と紗凪も顔見知りではあったから全く知らない相手ではないことが紗凪を安心させたのだろう。
結婚する事は当然だけど友人に知らせる必要があって、大学からの共通の友人には貴哉と別れてすぐに別の相手と結婚する事に否定的なことを言われる覚悟をしていたけれど、「俺が原因だから」と貴哉が言ってくれたようで欠席を告げる葉書は届かなかった。
当然だけど、貴哉に葉書を送るようなことはしていない。
〈貴哉、色々ありがとう〉
式も無事終わり、友人からもそれなりに祝福され、全てが落ち着いてから送ったメッセージはそんなシンプルなものだった。
私が地元に帰ってお見合いをしたこととで貴哉の「俺が原因だから」という言葉で貴哉の浮気を疑った友人もいたけれど、貴哉の名誉のためにそれは否定しておいた。
だからといって本当の理由を告げるわけにもいかず、有耶無耶なままにしていたせいで色々と詮索されることになっても困ると思ったけれど、社会に出て見ないふり、聞かないふりも大切だと知った私たちは曖昧なままでその話を終わらせることを選んだ。
貴哉からの返信は無かったけれど既読は付いたから私の気持ちは伝わったはずだ。
新しい生活が始まり、子どもを授かり、思い描いた毎日を送る中で時折不安になってしまうのはマタニティブルーのせいなのか、私が貴哉にした仕打ちをバラされはしないかと不安になったのは当然のことで、その動向を探るように新年の挨拶にかこつけてメッセージを送ってしまった。
〈昨年はお世話になりました〉
〈貴哉にとって健やかな一年となりますように〉
嫌味だと取られても仕方のない文章だと今では思うのだけど、その時は本心だった。私の我儘を受け入れ、自分を悪く見せてまで幸せを願ってくれたのであろう貴哉に伝えるのに〈ご健康とご多幸をお祈りいたします〉では他人行儀すぎると思ったせいもある。
まあ、他人なのだけど。
《明けましておめでとう》
《紗羅にとって楽しい1年になりますように》
返ってくることは期待していなかったのに絵文字も何もない、至ってシンプルなメッセージを受け取った時の気持ちは何と表現すれば伝わるのだろう。
返ってきたことは嬉しいのに他人行儀なこの言葉に距離を感じて悲しくなる。
去年のお正月はこの家に一緒に帰省していたし、この先も共に過ごす相手だと思っていたのに。そう思うとメッセージが返ってきただけで嬉しいと感じるのは未練なのだろうか。
でもこれがきっかけで、細々としたメッセージは途切れることなく続いていく事になる。
季節の挨拶や共通の友人の話題。
同じ大学だったせいで共通の友人は多かった。だから〈◯◯結婚するって〉とか《●●結婚したよ》と言った連絡はくるけれど、友人たちも気を使うようで揃ってお式に呼ばれることはない。
女友達は私を、男友達は貴哉を優先するのが常で、幸いというか仲間内で付き合っていたのは私たちだけだったこともあり顔を合わせる機会はなかった。
貴哉は貴哉の生活があるし、私は私の生活があるのだからそれくらいがちょうどいいのだろう。
当たり障りのない会話しかしないけれど途切れることのない関係。いつかは途切れるのだろうと思いながらもやめられない関係。
この関係が続いていたせいで私の世界が終わるなんて、全てを自分の思い通りに進めてきた私には思いもよらないことだった。
そう、世界が終わるなんて噂にかこつけて、非日常を味わおうとしたからきっとバチが当たったのだろう。
今更後悔しても遅いのだけど、戻ることができるとしたら…私はどの時点を選ぶのだろう。
お見合いなんて結婚前提が当たり前で、あちらから是非にと申し込まれてのものなのだからこちらがその気になれば話は早い。仕事を探すことも考えたけれど、家に入るのなら不労所得の管理を任せたいと言われて母から教えを乞う事になった。後継としての仕事を任される事に気を良くし、数年こちらを離れたブランクを埋めていく。
貴哉のことで辛くなる事はなかった。
あの日、最後に身体を重ねた時にはいつもと違う行為に心を動かされた気がしたけれど、自分の部屋に戻り、シャワーを浴びればいつもと変わらない。
変わらないどころか、流れ出る残滓に嫌悪すら覚えた。
実を結ぶことのない精を与えた貴哉と、実を結ぶことのない精を受け止めた私は、あの時には確かに同じものを望んでいた。だけど、今思えば可哀想な自分たちに酔っていただけだったのだろう。
その証拠にあの日を境に貴哉からの連絡は途絶えたし、私からも伝えたいことも伝えられることもなかったから。
淡々と過ぎていく毎日、着々と進んでいく結婚への道のり。
お見合いの相手は全く知らない相手ではなかった。
同級生として小中高とずっと一緒に過ごしていた相手だったけれど、大学は確か県外だったはずだ。そんな彼はそれなりにブラックな会社に入り、体調を崩して地元に戻ってきてからは家業を手伝っていると教えてくれた。
「兄が継ぐから自分は外に出たのに、結局戻ってきちゃったんだよね」
そう言って「家業になんて全く興味なかったのに楽しくなっちゃって」と笑い、結果地元でお見合いをする事になったのだと教えてくれた。
私のところに話が来たのは必然。
家業の手伝いをすると言ってもそこまで大きな規模じゃないし、家業を継ぐのは兄なのだからいつまでも家にいられない。そんな時に聞かされた婿養子の話は彼にとっても都合のいい話。
「正直なところ、僕の収入は紗羅さんを贅沢させてあげられるようなものじゃないんだよね。メリットとしてはなんの問題もなく婿養子に入れることだけかな。
それが前提なんでしょ?」
自分の事情もこちらの事情も隠すことなくお互いの事情を擦り合わせることから始まった関係はとても楽なものだった。
「婿養子も前提なんだけど、もうひとつ、子どもも大切」
「子ども?」
「そう。
ゴメンだけどブライダルチェック受けてもらえないかな。それで異常なければこの話、お受けします」
「ちょ、ブライダルチェックって、性病とか?」
「そんな治療すればいい事はどうでもいいよ。それよりも性液検査の結果だから」
「…紗羅さんは恥じらいとかないの?」
私のあけすけな物言いに少し引いた彼だったけれど、貴哉とのことを告げれば黙り込む。
「愛とか恋とか、そんなことどうでもいいの。婿養子に入ってくれて、私に子どもを与えてくれる、それ以外は望まないし、今は家のこと教わってるから仕事してないけど、収入が足りないなら私も外に出るし」
条件は悪くないはずだ。
「弟は?
いたよね、確か」
「まだ学生だから分からないかな」
そんな風に言葉を濁せば「確かにそうだよね」と苦笑いを見せる。
「僕だってこっちに戻ってくるなんて思ってなかったし。
じゃあ、とりあえず性液検査して結果を提出しない事には話が進まないわけね」
「そうね。
だから、検査お願いね」
知らない相手じゃないからつい遠慮が無くなってしまうけれど、この先もずっと一緒にいるのならその方が楽なのかもしれない。お互いの手を曝け出し、要望を伝え、快適さを追求する。
愛情も恋心も必要無い。
欲しいのは跡取りという立場と子どもを孕める精なのだから。
「はい、問題無かったよ」
軽い感じで渡された検査結果は満足いくもので、彼の婿入りが決まった。
性液検査の結果が良かったからといって確実に孕むことができるわけじゃないことは分かってる。母だって私の時は何の問題も無かったと言っていたから同じことが起こる可能性だってあるだろう。
だけどこれでスタートラインに立てた気がした。
紗凪は私と貴哉が結婚すると思っていたから親族の顔合わせの時に驚いた顔を見せたけど、私の隣の見知った顔に対しては笑顔を向けた。
普通、8つ離れてしまえば接点なんてないけれど、学校行事に紗凪を連れてくることが多かったせいで彼と紗凪も顔見知りではあったから全く知らない相手ではないことが紗凪を安心させたのだろう。
結婚する事は当然だけど友人に知らせる必要があって、大学からの共通の友人には貴哉と別れてすぐに別の相手と結婚する事に否定的なことを言われる覚悟をしていたけれど、「俺が原因だから」と貴哉が言ってくれたようで欠席を告げる葉書は届かなかった。
当然だけど、貴哉に葉書を送るようなことはしていない。
〈貴哉、色々ありがとう〉
式も無事終わり、友人からもそれなりに祝福され、全てが落ち着いてから送ったメッセージはそんなシンプルなものだった。
私が地元に帰ってお見合いをしたこととで貴哉の「俺が原因だから」という言葉で貴哉の浮気を疑った友人もいたけれど、貴哉の名誉のためにそれは否定しておいた。
だからといって本当の理由を告げるわけにもいかず、有耶無耶なままにしていたせいで色々と詮索されることになっても困ると思ったけれど、社会に出て見ないふり、聞かないふりも大切だと知った私たちは曖昧なままでその話を終わらせることを選んだ。
貴哉からの返信は無かったけれど既読は付いたから私の気持ちは伝わったはずだ。
新しい生活が始まり、子どもを授かり、思い描いた毎日を送る中で時折不安になってしまうのはマタニティブルーのせいなのか、私が貴哉にした仕打ちをバラされはしないかと不安になったのは当然のことで、その動向を探るように新年の挨拶にかこつけてメッセージを送ってしまった。
〈昨年はお世話になりました〉
〈貴哉にとって健やかな一年となりますように〉
嫌味だと取られても仕方のない文章だと今では思うのだけど、その時は本心だった。私の我儘を受け入れ、自分を悪く見せてまで幸せを願ってくれたのであろう貴哉に伝えるのに〈ご健康とご多幸をお祈りいたします〉では他人行儀すぎると思ったせいもある。
まあ、他人なのだけど。
《明けましておめでとう》
《紗羅にとって楽しい1年になりますように》
返ってくることは期待していなかったのに絵文字も何もない、至ってシンプルなメッセージを受け取った時の気持ちは何と表現すれば伝わるのだろう。
返ってきたことは嬉しいのに他人行儀なこの言葉に距離を感じて悲しくなる。
去年のお正月はこの家に一緒に帰省していたし、この先も共に過ごす相手だと思っていたのに。そう思うとメッセージが返ってきただけで嬉しいと感じるのは未練なのだろうか。
でもこれがきっかけで、細々としたメッセージは途切れることなく続いていく事になる。
季節の挨拶や共通の友人の話題。
同じ大学だったせいで共通の友人は多かった。だから〈◯◯結婚するって〉とか《●●結婚したよ》と言った連絡はくるけれど、友人たちも気を使うようで揃ってお式に呼ばれることはない。
女友達は私を、男友達は貴哉を優先するのが常で、幸いというか仲間内で付き合っていたのは私たちだけだったこともあり顔を合わせる機会はなかった。
貴哉は貴哉の生活があるし、私は私の生活があるのだからそれくらいがちょうどいいのだろう。
当たり障りのない会話しかしないけれど途切れることのない関係。いつかは途切れるのだろうと思いながらもやめられない関係。
この関係が続いていたせいで私の世界が終わるなんて、全てを自分の思い通りに進めてきた私には思いもよらないことだった。
そう、世界が終わるなんて噂にかこつけて、非日常を味わおうとしたからきっとバチが当たったのだろう。
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