世界が終わる、次の日に。

佳乃

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貴哉

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 紗羅と電話で話したあの日から、俺と紗羅の関係は少しずつ以前のような関係に近づいていった。
 年に数回だったメッセージが月に数回になり、月に数回だったメッセージは週に数回となっていく。

 その内容は【噂】を怖がる不安な気持ちを伝えてくるものから何気ないメッセージまで様々だったけど、紗羅が自分を必要としてくれていることに喜びを覚え、紗羅に対する想いを強くする。

《噂、無くならないね》

《家族は心配しなくて大丈夫としか言ってくれないの》

《貴哉が側にいてくれたら安心できるのに》

《彼女さんは大丈夫?》

《ちゃんと、話聞いてあげてね》

 こんな時にも人のことを心配できる紗羅と違い、俺の様子を伺うだけの紗凪に対しての気持ちは紗羅に想いを寄せた分だけ減っていく。だけど気持ちは無くても紗羅のことを考えれば欲を満たしたくなり、紗凪の身体だけを求めてしまう。

 紗羅の側にいられないもどかしさと、紗羅の側にいるのに彼女を満たすことをしない家族への鬱憤を紗凪にぶつけたのは、紗羅の弟なのに姉を気遣う様子を見せることのない紗凪に対する罰でもあった。

 紗羅の弟なのだから、紗羅に全てを押し付けたのだから、俺が紗羅から受け取った苦しみを紗凪にぶつけて昇華させることは当たり前のことだと思っていた。

 そして具体的な日にちが特定されるとそのメッセージは俺への想いを強くしていく。

《何で私の隣にいるのは貴哉じゃないの?》

《貴哉の隣にいるのは、何で私じゃないの?》

《あの時、こんな日が来るって知ってたら貴哉と一緒にいたのに》

《あの時、紗凪が家を継ぐって言ってくれたら彼女じゃなくて、私が貴哉と一緒にいられたのに》

《どうせ終わるなら、貴哉と終わりを迎えたい》

 同じような内容のメッセージは毎日毎日繰り返し送られてくるようになる。
 俺への執着を隠すことなく、俺への想いをストレートに伝える紗羅をなんとかしてあげたくて、【世界の終わる日】はいつなのかとカレンダーを捲るふりをして今までのメッセージを遡る。はじめは【彼女】に遠慮して【彼女】に配慮するような言葉を並べていたけれど、日に日に【彼女】への疎ましさを滲ませ、俺への執着を隠すことなく伝えるようになっていくそれは俺の気持ちも変化させていく。
 
 この時の俺は、少しずつ正常な判断ができなくなっていたのだろう。手を離したはずの紗羅の手をもう一度掴めるのならば、自分の全てを捨ててもいいとすら思っていた。

 全てを捨てるのならまずはじめに手を離すべきは紗凪だろう。
 紗羅が手に入るのなら偽物はいらない。紗羅が手に入るのなら身代わりの身体は用済みになるのだから。
 【偽物】だと【身代わり】だと分かっていても手に入れたかったはずの紗凪の存在が今では邪魔に思えてしまう。

 紗凪がいなければ紗羅のことだけを考えていられるのに。

 紗凪がいなければ紗羅の望みを叶えることができるのに。

 だけど紗羅とよく似た容姿と【紗羅の身内】だからという消極的な理由で無碍にすることに躊躇いを感じてしまう。紗羅ではないけれど、紗羅と同じ場所で同じ時を過ごした紗羅の弟。
 もしも紗羅と一緒に歩むことができていたら【義弟】として可愛がっていたはずの存在。

 積極的に遠ざけることはしないけれど、消極的な拒絶を見せれば健気な紗凪は俺に媚び、俺の様子を伺い、俺の気を引こうとする。
 食事を作り続けるのはどのみち自分も分も必要なのだし、紗凪が買い置きする冷凍ミールで冷凍庫を使われるのが気に入らなかったから。空いていると思い買い置きした食材が無駄になるのを避けたかったから。
 それに、1人分の食事を用意するのはコスパが悪いだけでなく、1人分で作るよりも数人分の量を作った方が美味くできるメニューも多いから。

 そんな言い訳を自分にしたのは紗凪のことを気持ちでは拒絶しながらも、根底では必要としていたからなのかもしれない。だから給餌を止めることができず、冷たい態度を取りながらも紗凪を繋ぎ止めようとして矛盾した態度をとっていたのだろうか。

 一緒に食事をしていても、毎夜身体を繋げても、日に日に少なくなっていく会話。会話が減ったことに不安を感じるようで、紗凪は俺に対して今まで以上に従順になっていく。
 何をしても不満を漏らすことなく、俺を受け入れ、俺の欲望を満たすだけの存在。

 少しずつ日常は変化していく。

 同じ部屋で過ごしていても物語に没頭する紗凪が面白くなくて自分を意識させるように悪戯を仕掛けていたけれど、気付けばそんなことをすることもなくなっていた。
 紗凪が独りの世界に入れば気兼ねなく紗羅にメッセージを返すことができるから都合が良かったんだ。

《お願い》

《少しでもいいから会いたい》

 そんなメッセージが入ったのは季節が変わる頃に世界が終わると具体的な日にちが出てすぐのことだった。

〈会いたいって、無理だよ〉

《何で?》

〈会ってどうするの?》

《会えるだけでいいの》

《最後なら貴哉に会いたい》

 そんなことを言われて嬉しくないわけがない。

〈でも家族は?〉

 会いたい気持ちはもちろんあるけれど、俺と違い紗羅には家族がいるのだからこんな時に家族の側を離れるのは間違っていると倫理を説いてみる。俺を諦めてまで手に入れた家族なのだから、優先すべきは家族だ。
 紗羅もそれは分かっているのだろう。
 それまではすぐに返ってきていたメッセージが止まってしまう。

 会いたい気持ちは俺も同じだけど、一時の感情に流され後悔することは避けてほしい。会いたいと思う気持ちも本心だけれど、紗羅には後悔してほしくなかったから。

《なんとかするから》

《少しでいいの、貴哉に会いたい》

〈落ち着いて〉

《もうずっと我慢してたの》

《お願い、会いに来て》

 そこまで言われて断れるほどに紗羅を諦めることはできていなかった。

 会いたい。

 その想いは押さえつけてきた気持ちを解放する。

 会いたい。

 紗羅に対する想いは紗凪に対する情を凌駕する。

〈どうすればいい?〉

 タガが外れたのは、きっとこの時。

 それから2人で会うための手段を探した。
 世界が終わる日までに何ができるのか、どうすれば一緒に過ごすことができるのか。

 世界が本当に終わるだなんて信じてなかった。終わりの日が確定された後も、その噂が本当になることを危惧するせいで滞る仕事に苛立ちを感じていた。
 とりあえず自社でこなすことのできる業務を終わらせ、確定された日を迎え、再起動するはずの日常を待とうと方針が決まったのはつい先日。
 確定された日までに与えられた業務を終わらせようとする者もいれば、自分の与えられた業務を終わらせて大切な人と過ごす時間を多く取ろうとする者。俺は前者のはずだったのに紗羅の願いを叶えるために自分に与えられた仕事をできるだけ早く終わらせることを選んだ。

 いつでも紗羅のところに行けるように。

 もしもその願いが叶わなくても派遣先の調整がうまくいかない様子の紗凪を身代わりにして欲を満たすのも悪くない。
 どこの会社も噂を完全に否定できないままそれでも業務を停止することはできず、できる限りの業務を行なう中ではじめに仕事がなくなるのは紗凪のような派遣社員だ。自社の社員を守ろうとすれば仕方のないことだろう。
 「今は仕方ないよね」と呑気なことを言いながら次の派遣先を待つだけの紗凪に、期待した分だけ大きくなるであろう失望をぶつけて心の平穏を保つのも悪くない。

「噂、無くならないね」

 そんな毎日の中で口を開いた紗凪は、そう言って俺の隣に座る。慌てる気持ちを抑えスマホの画面を確認すればちょうどカレンダーを開いたところだったせいで、紗羅とのやり取りを見られることはなかった。

「噂?」

「世界がなくなるって、」

「ああ、」

 適当な言葉を返すけれど、それ以上会話は続かない。
 俺の気持ちは完全に紗羅に向いていたし、具体的な目標に向かって行動を始めた俺にとって、紗凪との会話は煩わしいだけ。

 それは、紗羅から提案された具体的な計画のせいでもあった。

《向こうの親がね、少しでいいから孫と過ごしたいって言い出したの》

 そんな風に告げられた紗羅の計画。
 世界が終わるなんて信じてないけれど、もしもそれが本当なら少しの時間でいいから孫と過ごしたいと言われたこと。婿養子として同居している旦那は実家が近いせいもあり結婚後に実家に泊まることはなかったけれど、こんな時だからこそ一緒に過ごす時間を作りたいと言われたこと。

《私だって、なるべく長い時間を家族と過ごしたいけれど、》

 そう前置きをして、それでも義家族のためにその時間を作ることを了承したこと。そして、自分が付いていけば義両親も気を使うだろうと子供と2人での帰省を勧めたことを告げられる。

《こちらの親は子供が生まれた時からずっと一緒だから、最後の何日かくらいはそちらで過ごしてはどうかって》

《ただ、最後の日だけは一緒に過ごしたいから、だからその前日には帰ってきて欲しいってお願いしたの》

 メッセージだけではその感情は伝わらないけれど、こちらが返信する前に次々と送られてくる言葉からは喜びが滲み出ているように感じられる。

 あれほどまでに欲していた後継者という存在なのに、そんな時期に義実家に連れて行って戻ってこなくなることは考えないのだろうかと思ったのは正直な感想。こんな計画を立てる妻に対して何か感じることがあったのではないかと、それだから親の言葉を口実に帰省したいと言い出したのではないのかと勘繰ってしまう。

 あまりにも俺たちに都合よく進む話にそんなことを考えもするけれど、そんな疑念よりも紗羅と会えることへの喜びを押し殺すことはできなかった。







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