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紗凪
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姉の元婚約者である彼、貴哉と再会したのは偶然だった。
学生のうちに起業した、と言っても友人と一緒に始めたバイト感覚の仕事が思った以上に重宝がられたせい。会社にしたのは友人とボクが得意だった事に思った以上の需要があったからだった。
技術者をわざわざ採用するほどではないけれど、一定期間、需要のある期間だけ来て欲しいと乞われて出向するいわば派遣社員のようなもの。
僕の出向した先に彼が異動してきたのは本当の偶然で、声をかけられるまで僕の方は気付いていなかったくらいの関係だった。
「もしかして、紗凪君?」
そう声をかけられても誰なのか思い出せず、困った顔をした貴哉に「紗羅の、」と言われてやっと気付く。
「あ…。
ご無沙汰します?」
疑問形になってしまったのは先の言葉に困ってしまったから。結婚を約束するほどの仲だったから僕だって何度か会ったことはあったけれど、顔を合わせれば挨拶をする程度の関係だったのだから正直気付かないふりをして欲しかったと思ってしまう。
気不味いことこの上ない。
「いつから?全然知らなかった」
その貴哉の言葉で「あ、ボク社員じゃないので」と答えたのは当たり前の対応で、それが誤解される原因になるとは思っていなかったのは認識の違い。その時ボクの言葉が足りなかったせいで、彼はボクのことを派遣社員だと勘違いした。
姉がボクは能力的に家を継ぐ事ができないと伝えていたせいもあったのだろう。
彼の態度でその会社での派遣社員の立ち位置というか、扱いを理解する。きっと、彼の中では正社員である自分より派遣社員であるボクは劣っている=庇護される存在だと認識されたのだろう。
どうやらボクは、元婚約者の頼りない弟として認定されたようだ。
能力がなくて正社員になれなかった、姉よりも能力的に劣る弟。
この時の認識の違いが無ければその先のボクたちの関係は全く違っていたのだろうけれど、この誤解のせいでボクは貴哉と姉の本心というか、本性を知る事ができたのだからそれはそれで良しとするしかないと思っている。今は。
結局ボクは、振り回されただけなのだけど…。
貴哉と毎日一緒に過ごすせいで自然と距離は縮まっていく。彼にとって元婚約者の弟であるボクは扱いにくい相手なのではないかと思い、なるべく距離を取っていたつもりだった。それなのに彼は彼で庇護の対象であるボクを何かと気遣うせいでボクたちの関係を詮索する人も出てくるのだけど、「紗凪君のお姉さんと知り合いなんだ」と答えてしまう。
大抵の場合は「そうなんだ」で終わる話なのだけど、中には姉を知っている人もいるようで「そうなの?」と微妙な顔をされてしまう。
仕事に支障が出るわけではないし、この会社だけが出向先ではないのだからと放っておいたけれど、姉はよほど優秀だと思われていたのか「紗羅の弟なのに、」と微妙なリアクションをされてイラッとしたことは何度かあった。
ボクの任された仕事を考えれば何かが違うと思ったのかもしれないけれど、ボクが少なくない量の仕事をこなす=能力が無いから人よりも仕事が遅い、そんな思い込みが彼にも、彼らにもあったはずだ。ボクの実情を知る人はあまり多くなかったのだから仕方のないことだったのだろう。
そして、優秀な姉の元婚約者であった彼も同じように優秀なようで、彼の思い込みを誰も訂正しなかった事もあり彼の中でボクは派遣社員のまま付き合いが続いていった。
彼の会社での任期が終わってもすぐに次の出向先に行くため彼の目にはとにかく派遣されればどこにでも行くしかないと映ったのかもしれない。
当時、友人が父から譲り受けた物件の住所を会社として登録し、空いた部屋を社員寮として提供されていた。と言っても友人の父が事務所兼自宅として使っていた建物だったから寮生活というよりも同居生活。
それぞれの自室以外は定期的にハウスクリーニングを入れていたから汚れていれば気がついた時に掃除をして、食事と洗濯は各自で。出向先の勤務時間や出勤日が違うため同じ家に住んでいてもスマホで連絡を取り合うなんてことも珍しくない生活は、友人にパートナーができた事で終わりを告げる。
「ごめん、急がなくてもいいから部屋を探してもらってもいいかな?」
そう告げた友人は、パートナーとの将来を見据えてボクとの同居を解消したいと言うと「ごめん」と謝ったけれど、卒業後に部屋が余ってるからという理由で始まった生活だったから謝られる理由はない。
事務所はそのまま使えるからと言われ、それなら近くの方がいいかとも思ったけれど、どのみち事務所に用があるのなんて出向先が無い時だけだから拘る必要もないことに気付く。
そうなるとどこに住もうか、家賃はどのくらいなのかと悩み、どうせなら学生の頃に住んでいた部屋よりも少しだけ良い部屋を選びたいと考えて悩みが増えてしまう。
そんな時に連絡をくれた貴哉に相談したのは自然の流れだった。
「部屋、余ってるから決まるまでウチに住む?」
そんなふうに気軽に声をかけてくれたのは、やっぱり誤解から。当時、出向先が変わったばかりだったため少しだけ慌ただしくしていたせいで「そうすれば焦って部屋探す必要も無いし、友達に遠慮しなくていいし」と言われてしまい、誤解を訂正しようとしても「大丈夫だから」と押し切られてしまった。
「じゃあ、部屋見つけるまで甘えても良いかな?」
友人のパートナーの話を聞き、貴哉にだってパートナーができる未来を想像し、そのことを口にしようとして思い留まる。一緒に住むように誘うということは、今現在パートナーはいないということだろう。姉との関係が終わり6、7年。まだ忘れる事ができないのか、たまたまパートナーがいないタイミングなのか、気にはなるけれどボクの口からは聞きにくいし、彼が言わないのならそのままにしておいた方がいいだろう。
引っ越しは簡単だった。
いつかは引っ越す予定だったのと、順調な仕事のせいで物が増えなかった部屋は大きな家具も無かったせいで彼の車で何度か往復すれば終わってしまった。
ベッドを使わず専用のスノコを使っていたし、服だって引き出し付きのラックで事足りてしまう程だったから分解も組み立ても簡単で、そんな安っぽい生活ぶりのせいで貴哉の誤解は誤解のまま真実味を増してしまう。
何度も説明しようとしたけれど、「大丈夫だから」と勝手に完結されてしまうし、部屋を探そうとすれば「もう少し安定した仕事を見付けてからでいいよ」と言われてしまう。
そんなやり取りを繰り返すうちに誤解を解くことを諦め、楽な方に流され、居心地の良さに甘んじてしまったのはボクの責任でもある。
はじめに自分のことは自分でと決めた同居生活だったけど、ボクの食生活に呆れた貴哉がボクの分も食事を用意するようになるのは同居してからひと月ほど過ぎてから。
前回も今回もキッチンを使うのは冷蔵庫を使う時とレンジを使う時くらいで、1人分の食事を用意するくらいならコンビニ弁当や冷凍ミールキットで済ませた方が効率がいいと、これまでと同じ生活をしていたボクを見かねて食事に誘ってくれたのがきっかけだったと思う。
「たくさん作ったから、一緒にどう?」
そう言ってご馳走してくれたのはカレーとサラダで、そのカレーも市販のルーを使ったものではなくてスパイスを使った本格的な物だった。
「料理、好きなの?」
「好きっていうか、仕方なくかな」
「そうなの?」
ボクの質問に少し迷いを見せるけど、「紗羅は料理あまり得意じゃなかったから、ね」と苦笑いを見せる。
学生の時に知り合ったふたりはそれぞれの部屋を行き来するようになり、気付けば半同棲のような生活をしていたと教えられる。そんな中で毎日外食するわけにはいかず、日々の生活を送っているうちに家事を分担するようになり自然と貴哉が料理をするようになった、と教えてくれた。卒業した後も結婚するまでは外に出たいと姉が希望したせいで一緒に過ごしたのは彼女が高校生の頃まで。8つも離れているとあまり接点は無くて勉強している姿は思い出すことができるけれど、それ以外の姉の姿を思い出すことはできない。
少し歳が離れていたせいで世話をしてもらったことはあったのかもしれないけれど、一緒に遊んだ記憶は無い。姉が戻ってくる前にボクは家を出たし、盆正月に帰ったところで通いの家政婦がいるから姉の家事スキルなんて気にしたことも無い。
だから、貴哉の言葉には何も答えることはできなかった。
「紗凪も料理は苦手?」
「別に苦手じゃないよ。
一人暮らしの時はそれなりにやってたし。だけど人の家のキッチンは使いにくいし、1人分ってコスパ悪いし」
「勝手に使っていいのに」
「別に不自由してないから大丈夫。
あ、でもこのカレーは美味しいから嬉しいよ。ありがとう」
きっと、貴哉はこの頃にはボクを意識していたのだろう。
「たくさん作った時にはまたご馳走するよ」
「じゃあ、時間が合えば」
他意の無い言葉だったけれど、言質を取ったと言われたのは次の食事の時。
「今日は中華だから」
それから貴哉が休みの時には食事に誘われるようになった。料理は趣味だと言い、誰かに食べてもらうのが楽しいと言われてしまうと断りにくくなってしまう。
ボクの食べてる姿を【誰か】に重ねているのだろうと気付くのはすぐだったけど、それには触れないでおく。性別の違いはあるけれど、ボクたち姉弟の顔はよく似ていたから仕方がないと思うしかなかった。そして、本気で部屋を探した方がいいと思い始めた矢先にそれは起こってしまった。
仕事は相変わらず忙しく、出向先は決まった場所ばかりではないから本当に気に入った部屋に住みたいと慎重に賃貸物件を探す作業が楽しくて、自分の決めた条件で物件を探すことのできることに浮かれていたボクは当然だけど貴哉にも一緒に物件を見てもらう事があった。
貴哉はこの部屋を探す時に物件探しを経験しているから相談相手になってくれたし、義兄になる予定だったということと、自分から頼って欲しいと言ってくれたせいで気安さもあった。そんな関係だったから、ボクに姉を重ねていてもそれは懐かしさから来るものだと思っていたから貴哉の言葉の意味に気付く事もなかったし、その意味を知ろうともしなかった。
「本当に出てくの?」
「別に、ずっと居てもいいんだよ?」
「仕事がちゃんと決まるまで居てもいいって言ってるのに」
「食事、1人だと淋しいんだよ」
友人同士で交わすような何でもない会話だと思っていた。
そう思って深く考えなかったボクは、姉に傷つけられた貴哉の傷を抉ってしまったのかもしれない。
「ごめん、」
「ごめん、」
口を開くたびに謝りながらボクを組み敷いた貴哉は、それでもその手を止めてくれることはなかった。
学生のうちに起業した、と言っても友人と一緒に始めたバイト感覚の仕事が思った以上に重宝がられたせい。会社にしたのは友人とボクが得意だった事に思った以上の需要があったからだった。
技術者をわざわざ採用するほどではないけれど、一定期間、需要のある期間だけ来て欲しいと乞われて出向するいわば派遣社員のようなもの。
僕の出向した先に彼が異動してきたのは本当の偶然で、声をかけられるまで僕の方は気付いていなかったくらいの関係だった。
「もしかして、紗凪君?」
そう声をかけられても誰なのか思い出せず、困った顔をした貴哉に「紗羅の、」と言われてやっと気付く。
「あ…。
ご無沙汰します?」
疑問形になってしまったのは先の言葉に困ってしまったから。結婚を約束するほどの仲だったから僕だって何度か会ったことはあったけれど、顔を合わせれば挨拶をする程度の関係だったのだから正直気付かないふりをして欲しかったと思ってしまう。
気不味いことこの上ない。
「いつから?全然知らなかった」
その貴哉の言葉で「あ、ボク社員じゃないので」と答えたのは当たり前の対応で、それが誤解される原因になるとは思っていなかったのは認識の違い。その時ボクの言葉が足りなかったせいで、彼はボクのことを派遣社員だと勘違いした。
姉がボクは能力的に家を継ぐ事ができないと伝えていたせいもあったのだろう。
彼の態度でその会社での派遣社員の立ち位置というか、扱いを理解する。きっと、彼の中では正社員である自分より派遣社員であるボクは劣っている=庇護される存在だと認識されたのだろう。
どうやらボクは、元婚約者の頼りない弟として認定されたようだ。
能力がなくて正社員になれなかった、姉よりも能力的に劣る弟。
この時の認識の違いが無ければその先のボクたちの関係は全く違っていたのだろうけれど、この誤解のせいでボクは貴哉と姉の本心というか、本性を知る事ができたのだからそれはそれで良しとするしかないと思っている。今は。
結局ボクは、振り回されただけなのだけど…。
貴哉と毎日一緒に過ごすせいで自然と距離は縮まっていく。彼にとって元婚約者の弟であるボクは扱いにくい相手なのではないかと思い、なるべく距離を取っていたつもりだった。それなのに彼は彼で庇護の対象であるボクを何かと気遣うせいでボクたちの関係を詮索する人も出てくるのだけど、「紗凪君のお姉さんと知り合いなんだ」と答えてしまう。
大抵の場合は「そうなんだ」で終わる話なのだけど、中には姉を知っている人もいるようで「そうなの?」と微妙な顔をされてしまう。
仕事に支障が出るわけではないし、この会社だけが出向先ではないのだからと放っておいたけれど、姉はよほど優秀だと思われていたのか「紗羅の弟なのに、」と微妙なリアクションをされてイラッとしたことは何度かあった。
ボクの任された仕事を考えれば何かが違うと思ったのかもしれないけれど、ボクが少なくない量の仕事をこなす=能力が無いから人よりも仕事が遅い、そんな思い込みが彼にも、彼らにもあったはずだ。ボクの実情を知る人はあまり多くなかったのだから仕方のないことだったのだろう。
そして、優秀な姉の元婚約者であった彼も同じように優秀なようで、彼の思い込みを誰も訂正しなかった事もあり彼の中でボクは派遣社員のまま付き合いが続いていった。
彼の会社での任期が終わってもすぐに次の出向先に行くため彼の目にはとにかく派遣されればどこにでも行くしかないと映ったのかもしれない。
当時、友人が父から譲り受けた物件の住所を会社として登録し、空いた部屋を社員寮として提供されていた。と言っても友人の父が事務所兼自宅として使っていた建物だったから寮生活というよりも同居生活。
それぞれの自室以外は定期的にハウスクリーニングを入れていたから汚れていれば気がついた時に掃除をして、食事と洗濯は各自で。出向先の勤務時間や出勤日が違うため同じ家に住んでいてもスマホで連絡を取り合うなんてことも珍しくない生活は、友人にパートナーができた事で終わりを告げる。
「ごめん、急がなくてもいいから部屋を探してもらってもいいかな?」
そう告げた友人は、パートナーとの将来を見据えてボクとの同居を解消したいと言うと「ごめん」と謝ったけれど、卒業後に部屋が余ってるからという理由で始まった生活だったから謝られる理由はない。
事務所はそのまま使えるからと言われ、それなら近くの方がいいかとも思ったけれど、どのみち事務所に用があるのなんて出向先が無い時だけだから拘る必要もないことに気付く。
そうなるとどこに住もうか、家賃はどのくらいなのかと悩み、どうせなら学生の頃に住んでいた部屋よりも少しだけ良い部屋を選びたいと考えて悩みが増えてしまう。
そんな時に連絡をくれた貴哉に相談したのは自然の流れだった。
「部屋、余ってるから決まるまでウチに住む?」
そんなふうに気軽に声をかけてくれたのは、やっぱり誤解から。当時、出向先が変わったばかりだったため少しだけ慌ただしくしていたせいで「そうすれば焦って部屋探す必要も無いし、友達に遠慮しなくていいし」と言われてしまい、誤解を訂正しようとしても「大丈夫だから」と押し切られてしまった。
「じゃあ、部屋見つけるまで甘えても良いかな?」
友人のパートナーの話を聞き、貴哉にだってパートナーができる未来を想像し、そのことを口にしようとして思い留まる。一緒に住むように誘うということは、今現在パートナーはいないということだろう。姉との関係が終わり6、7年。まだ忘れる事ができないのか、たまたまパートナーがいないタイミングなのか、気にはなるけれどボクの口からは聞きにくいし、彼が言わないのならそのままにしておいた方がいいだろう。
引っ越しは簡単だった。
いつかは引っ越す予定だったのと、順調な仕事のせいで物が増えなかった部屋は大きな家具も無かったせいで彼の車で何度か往復すれば終わってしまった。
ベッドを使わず専用のスノコを使っていたし、服だって引き出し付きのラックで事足りてしまう程だったから分解も組み立ても簡単で、そんな安っぽい生活ぶりのせいで貴哉の誤解は誤解のまま真実味を増してしまう。
何度も説明しようとしたけれど、「大丈夫だから」と勝手に完結されてしまうし、部屋を探そうとすれば「もう少し安定した仕事を見付けてからでいいよ」と言われてしまう。
そんなやり取りを繰り返すうちに誤解を解くことを諦め、楽な方に流され、居心地の良さに甘んじてしまったのはボクの責任でもある。
はじめに自分のことは自分でと決めた同居生活だったけど、ボクの食生活に呆れた貴哉がボクの分も食事を用意するようになるのは同居してからひと月ほど過ぎてから。
前回も今回もキッチンを使うのは冷蔵庫を使う時とレンジを使う時くらいで、1人分の食事を用意するくらいならコンビニ弁当や冷凍ミールキットで済ませた方が効率がいいと、これまでと同じ生活をしていたボクを見かねて食事に誘ってくれたのがきっかけだったと思う。
「たくさん作ったから、一緒にどう?」
そう言ってご馳走してくれたのはカレーとサラダで、そのカレーも市販のルーを使ったものではなくてスパイスを使った本格的な物だった。
「料理、好きなの?」
「好きっていうか、仕方なくかな」
「そうなの?」
ボクの質問に少し迷いを見せるけど、「紗羅は料理あまり得意じゃなかったから、ね」と苦笑いを見せる。
学生の時に知り合ったふたりはそれぞれの部屋を行き来するようになり、気付けば半同棲のような生活をしていたと教えられる。そんな中で毎日外食するわけにはいかず、日々の生活を送っているうちに家事を分担するようになり自然と貴哉が料理をするようになった、と教えてくれた。卒業した後も結婚するまでは外に出たいと姉が希望したせいで一緒に過ごしたのは彼女が高校生の頃まで。8つも離れているとあまり接点は無くて勉強している姿は思い出すことができるけれど、それ以外の姉の姿を思い出すことはできない。
少し歳が離れていたせいで世話をしてもらったことはあったのかもしれないけれど、一緒に遊んだ記憶は無い。姉が戻ってくる前にボクは家を出たし、盆正月に帰ったところで通いの家政婦がいるから姉の家事スキルなんて気にしたことも無い。
だから、貴哉の言葉には何も答えることはできなかった。
「紗凪も料理は苦手?」
「別に苦手じゃないよ。
一人暮らしの時はそれなりにやってたし。だけど人の家のキッチンは使いにくいし、1人分ってコスパ悪いし」
「勝手に使っていいのに」
「別に不自由してないから大丈夫。
あ、でもこのカレーは美味しいから嬉しいよ。ありがとう」
きっと、貴哉はこの頃にはボクを意識していたのだろう。
「たくさん作った時にはまたご馳走するよ」
「じゃあ、時間が合えば」
他意の無い言葉だったけれど、言質を取ったと言われたのは次の食事の時。
「今日は中華だから」
それから貴哉が休みの時には食事に誘われるようになった。料理は趣味だと言い、誰かに食べてもらうのが楽しいと言われてしまうと断りにくくなってしまう。
ボクの食べてる姿を【誰か】に重ねているのだろうと気付くのはすぐだったけど、それには触れないでおく。性別の違いはあるけれど、ボクたち姉弟の顔はよく似ていたから仕方がないと思うしかなかった。そして、本気で部屋を探した方がいいと思い始めた矢先にそれは起こってしまった。
仕事は相変わらず忙しく、出向先は決まった場所ばかりではないから本当に気に入った部屋に住みたいと慎重に賃貸物件を探す作業が楽しくて、自分の決めた条件で物件を探すことのできることに浮かれていたボクは当然だけど貴哉にも一緒に物件を見てもらう事があった。
貴哉はこの部屋を探す時に物件探しを経験しているから相談相手になってくれたし、義兄になる予定だったということと、自分から頼って欲しいと言ってくれたせいで気安さもあった。そんな関係だったから、ボクに姉を重ねていてもそれは懐かしさから来るものだと思っていたから貴哉の言葉の意味に気付く事もなかったし、その意味を知ろうともしなかった。
「本当に出てくの?」
「別に、ずっと居てもいいんだよ?」
「仕事がちゃんと決まるまで居てもいいって言ってるのに」
「食事、1人だと淋しいんだよ」
友人同士で交わすような何でもない会話だと思っていた。
そう思って深く考えなかったボクは、姉に傷つけられた貴哉の傷を抉ってしまったのかもしれない。
「ごめん、」
「ごめん、」
口を開くたびに謝りながらボクを組み敷いた貴哉は、それでもその手を止めてくれることはなかった。
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