Ωだから仕方ない。

佳乃

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羽琉  考える意味。

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 伊織との約束を反故してこれで良かったのかと思いながらも、先生に止められたのだから仕方ないと自分に言い訳をする。

 伊織は何も言わなかったし僕の口からも聞くことはできなかったけれど、燈哉からの連絡は無い。伊織が燈哉に伝えないはずがないから連絡が来ないのはそういうことなのだろう。僕がいなくなった今、誰にも咎められることなく彼との時間を楽しんでいるのかもしれない。

 政文には伊織から伝えるとメッセージが来たから〈お願いします〉と返しておいた。政文は僕のことを気にかけてくれるけれど、僕との約束は伊織といるための口実でしか無いはずだ。もしも政文が僕との時間を楽しみにしていたのならメッセージくらい送られてくるはずだから。

 伊織との約束が無くなってしまうと本当に暇を持て余してしまう。先生は考えるための時間だと言ったけれど、僕がいくら考えても相手の気持ちを動かすことはできないのだから考えることが無意味だと思ってしまう。そもそも考えてなんとかなるのなら、こんな状態になんてならなかったはずだ。

 怒られるからと子どものようなことを考え、出された食事を平らげる。と言っても隆臣の持ってくる差し入れを考慮してなのか、それともたくさん用意しても残すと思われているのか食事の量は少なめだ。僕のことをずっと診ているのだからその辺は把握しているのだろう。
 食後にせっかく隆臣が選んでくれたのだからとケーキの箱を覗いてみるけれど、苺の乗ったケーキはクリームがたっぷりでそれだけで胃もたれしてしまった。

「考えろって言われても、ね」

 思わず口にしてしまうけれど答えてくれる声はない。

 お腹が空いているわけではないのに何かが物足りない。

 何かを聞いて欲しいけれど聞いてくれる相手もいないし、何を聞いてもらいたいのかもわからない。

 これが考えろということなのかと自分の欲しいものを探して探して、欲しいものが手に入れられないことき気付いてしまったせいで、欲しくて欲しくて仕方がない。手に入れたいものを追い求めて胸焼けがしているのに苺のケーキに手を伸ばす。
 胸焼けをしても、お腹が満たされても、それでも足りなくて苺を口に入れる。季節外れの苺は酸味が強くて涙が滲む。

 そう、この涙は苺が酸っぱいから。

「お風呂、入ろ」

 浴室付きの個室なのは来るかもしれないヒートに備えてなのだろうか、長引くかもしれない入院のせいなのか。いつもならシャワーで我慢する入院生活だけど、浴室があることがありがたい。せっかくだから隆臣に入浴剤を持ってきてもらおうと考えながら湯船に浸かる。

 夏休みを一緒に過ごすことを断ってしまったけれど、伊織と政文は僕がいてもいなくてもあまり関係ないだろう。互いの家を行き来しているのだし、僕の療養先にふたりで遊びに来ると言うくらいだからもともとふたりで過ごす予定を立てていたのかもしれない。

「α同士なのに、」

 その関係が羨ましくて、恨み言のような言葉を吐いてしまう。Ωであれば男性Ωであってもαを受け入れ孕むことができるけれど、男性α同士では受け入れることは容易ではないはずだ。それなのに互いを選んだふたりの関係を羨ましく思いながらも不毛だとも思ってしまう。

 孕むことのない男性α同士の恋愛は、この先どうなっていくのだろう。

 そして考える僕と燈哉の関係。
 男性ではあるものの燈哉の隣に立つことを許されたのは僕がΩだったから。もしもαだったら、βだったら僕の隣には誰がいたのだろう。

 Ωでなければ僕はこんなにも弱くなかったかもしれない。

 自由に園庭を駆け回り、友人だって沢山できていたかもしれない。

 燈哉と仲良くなることもなく、伊織や政文と過ごすこともなかったかもしれない。

 そうしたら、燈哉が今居涼夏を抱きしめても【運命】なのだと、【唯一】なのだと微笑ましく見ていたのかもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない。

 かもしれない。

 実際には僕は男性Ωだし、燈哉のことを諦めることができないし、燈哉と彼の関係を受け入れることはできない。

「燈哉、」

 その名前を呼べば毎日のマーキングを思い出し、その香りを、その舌の熱さを思い出してしまう。僕だけのものだったはずの香りと熱さ。僕が纏いたかった香りと僕が欲しかった熱さ。

「…とうや」

 思い出してしまえば自然に兆してしまう自分が情けなくて、惨めで、その熱を逃したくて湯船から上がる。シャワーを冷水に合わせ頭から水を浴び続ける。冷たければ冷たい方がいいのに季節のせいか、思うような冷たさが与えられなくてもどかしい。

 もっと冷たく、もっともっと僕のことを冷やして燈哉の熱さを忘れさせてくれればいいのに。

 燈哉の熱を与えられるのは僕ではなくて彼なのだと自覚していても、それでも諦められないこの想いはどうしたらいいのだろう。

 流して欲しい、流れて無くなってしまえばいい。
  
 僕のこの気持ちが流れて無くなってしまえば、きっと全てが上手くいくのだろう。



⌘   伊織 ⌘

 嬉しいはずの羽琉からのメッセージは僕を打ちのめした。

 療養先を決めたのかと思いながら浮かれた気持ちで開いたメッセージは思ったものと全く違い、燈哉に絡んだことを少しだけ後悔する。

《今年は療養の許可が出ませんでした》

《体力戻るまで退院できなさそうです》

 電話での様子は思ったよりも元気そうだったから、きっと本当の理由は違うのだろうと解ってしまった。

 戸惑っていたのはどう断れば良いのかと悩んでいただけだったのかもしれない。

 嬉しそうな声は無理をして出していたのだけだったのかもしれない。

 楽しみにしていた夏の予定が無くなってしまったことに落ち込むけれど、もしも羽琉が既読がついたことに気付いていたら返信が無いことに気を病むかもしれない。そう思いメッセージを返す。

〈大丈夫?〉

 短いメッセージには《大丈夫》と短いメッセージしか返ってこない。

〈残念〉

〈一緒に遊ぶの楽しみにしてたのに〉

 ついつい恨み言のようなメッセージになってしまったことくらい許して欲しい。だって、燈哉よりも自分を見てもらうための機会を失ってしまったのだから。
 政文も僕と同じように羽琉のことが好きだと言ったけれど、僕の思う好きと政文の言う好きに温度差があることに気付いたのは【付き合う】と決めてすぐの頃だった。

 僕が話す羽琉の話を聞いている表情は柔らかいけれど、僕が話す以上のことを聞こうとも知ろうともしない。3人で過ごしていても羽琉に話しかけるのは僕ばかりで、話の流れに乗りはするけれど自分から話題を提供することは少ない。
 寡黙なイメージがあるせいで話し下手なのかとも思ったけれど、羽琉といる時よりもふたりでいる時の方が饒舌だったりする。
 僕と違い羽琉と同じクラスになることが少なかったせいで緊張しているのかとも思ったけれど、誰に対しても同じ態度で羽琉に対して極端に緊張しているわけでも無いと気付く。

 ただ側にいられるだけでいい。

 あわよくば羽琉の隣に立ちたいと思っている僕と違い、羽琉を神聖視しているのかもしれないと思った時から側にいられるだけで満足しているのだと思うことにした。

 好きな人に対する想いはきっと人それぞれだから。

《ごめん》

 恨み言のようなメッセージに返されたのは一言だけの謝罪の言葉。
 僕の言葉に返ってくるのは短い言葉ばかりで、僕の想いと羽琉の気持ちの温度差を感じずにいられない。

 謝って欲しいわけじゃない。

 同じ熱量で自分のことを想って欲しいわけでもない。

 だけど、燈哉に向ける想いと自分に向けられる気持ちの差に現実を見せられた気がする。

 羽琉の燈哉に対する想いは今居涼夏が現れてからも変わることはない。変わることはないというよりも、それまで向けられていた素直な熱は彼が現れたことによりドロリとしたいやらしさを孕むものになっていった。

 それが強く香る燈哉のマーキングのせいなのか、それとも羽琉の変化のせいなのか。強いマーキングのせいで近付くことはできなかったけれど、羽琉の匂いが変化したことに気付いていなかったわけじゃない。鼻に付く燈哉のマーキングに隠されているものの、その陰に隠れて甘さを増していく羽琉の香り。
 普段から気にかけてなければ気付かないほど僅かな香りの変化。

 周囲が気付かない程度の香りなのに、それを感じてしまう自分の執着に呆れる。日々変化していく匂いを燈哉のマーキングの奥に見つけ出し、その香りを確認する。

 もしかしたら、もう少しで…。

 もしも療養先で3人で過ごしている時にその時が来たら。隆臣さんから受け取った抑制剤は羽琉と過ごす時間が無くなった今も常に携帯している。もしも夏休みに一緒に過ごすことになってもそれは変わらなかっただろう。

 もしもとの時に隣にいたのが政文だったら的確な対処をして隆臣さんを呼ぶのだろう。だけど、隣にいるのが僕だったら…僕は自分を抑えることができる自信はない。

 求めて求めて、諦めるしかないと思っていたものが手に入る機会を逃す気は無い。例えそれで羽琉に嫌われたとしても、それでもその時だけでも羽琉が僕のものになるのなら羽琉が泣いても羽琉に嫌われても、それでも手に入れたいと思うのはきっと執着と本能。
 僕の気持ちを知っている政文は、そうなった時に僕を止めはしないだろう。

 そんな事はもう、起こることはないのだけど。

〈退屈じゃない?〉

《検査して、検査して、検査してた》

〈検査ばっかりだね〉

《うん》

〈血、採った?〉

《何本も》

〈大変だね〉

《いつものことだけどね》

 羽琉と繋がっていたくてどうでもいいメッセージを送り続けるけれど、聞きたいことは聞けないし、言いたいことも言えない。ただ繋がっているだけの関係。

〈政文にはどうする?〉

〈僕から言っておこうか?〉

《お願いしていい?》

〈了解〉

《お願いします》

《ごめんね》

 謝罪の言葉はいらないと思うけれど、その言葉で羽琉の罪悪感が少しでも薄れるのならそれでいいと思い余計なことは言わない。

〈ご飯、ちゃんと食べた?〉

《食べた》

〈何か欲しいもの有る?〉

《隆臣が沢山持ってきて食べきれない》

 羽琉を猫可愛がりする隆臣さんらしいと思いながら、何か繋がりが欲しくて言葉を探す。

〈そう言えば夏休みの宿題、どうするの?〉

《用意できたら隆臣が取りに行ってくれるって》

〈いつ?〉

《知らない》

《学校から連絡が来るって言ってた》

〈じゃあ、次に会えるのは2学期?〉

《そうだね》

 なんとか顔だけでも見ることができないかと思ったけれど、そんな機会は無さそうだ。抜け駆けしてあわよくば、と狡いことを考えていた罰なのかもしれない。

〈何かあったらまた連絡して〉

《ありがとう》

 言葉を引き出そうとしても基本的に返ってくるのは短いメッセージ。これが僕と羽琉の互いの想いの差なのだろう。
 僕の存在は、羽琉にとって燈哉との関係を保つためのスパイスでしかないのだ。

 本当は気付いてきた。
 すぐにでも終わらせることのできるメッセージを続けたのは素直になれない羽琉の小さな意思表示。僕の言葉から燈哉の名前を引き出したかったのだろう。

 それに気付いていて無視するくらいの意地悪は許して欲しい。それに、僕の言葉に思うようなリアクションを返さなかったことを伝えれば羽琉が傷付くだけだろう。

〈夏休み、羽琉遊べないって〉

 あまり残念がらないだろうな、そう思いながらも羽琉とした約束通り送ったメッセージ。もっと伝え方はあったけれど、政文に愚痴りたくてわざと返信をしてくるような言葉を選ぶ。
 初めから理由を伝えれば短い返事で終わる会話だけど、こう送れば理由を聞いてくるだろう、きっと。

 政文に甘えているとは思うけれど、今の僕にはきっと必要なことなのだから仕方ないだろう。
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