Ωだから仕方ない。

佳乃

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【side:伊織】仕方ないの意味。

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 結局、燈哉は1限目が終わるまで戻ってくることはなかった。
 どれだけ羽琉に負担をかけるつもりなのかと腹立たしく思うものの、燈哉と羽琉の不在を担任に告げた時に「相模が一緒なら問題ないな」と言われたことでふたりの関係が公認なのだと改めて実感する。
 通常なら入学式の時の政文のように追い返されるはずなのに、番ってもいないαとΩがふたりでいても問題ないと言われるのは今までの積み重ねと、燈哉に対する信頼。

 面白くないと不貞腐れていたせいで、燈哉が戻ってきた時についつい睨んでしまったのは仕方のないことだろう。

「羽琉は今まで通り、俺と一緒に過ごす。伊織も今まで通り政文と過ごしてくれれば大丈夫だから」

 僕の不満を余裕の表情で受け止めてそう嘯く。昨日のことなど何もなかったかのように、今朝のことは当たり前の行動だったとでもいうように告げたことが気に入らない。

「今居は?」

「だから大丈夫だって言っただろ?
 涼夏は校内にいる間は問題無いし、羽琉は俺と過ごすって言ったから」

 校外では今居と過ごすことを隠さない燈哉に対して苛立ちが募る。今居を選んだのなら羽琉を解放するべきだ。

「今居が大丈夫なら羽琉だって大丈夫なんじゃないの?
 僕や政文がいない分、今居の方が心配なんじゃない?」

「………。
 羽琉が俺を選んだって言えば納得する?」

 僕の言葉に燈哉は語気を強める。
 それまでは声のトーンを抑え気味に話していたのに宣言するように告げられた言葉は教室にいた生徒全員の耳に届いただろう。僕に勝ち目はないと知らしめるための言葉。だけど、そこで引き下がることはできなかった。

「だって羽琉は、」

「そんなに気になるなら直接羽琉に聞けば?次の授業には戻って来るだろうし」

 何とか食い下がろうとする僕に余裕の笑みで答えた燈哉は返事を待たず、自分の席に向かってしまう。
 言いたいことも、聞きたいこともあったはずなのに言うことも、聞くこともできなかった。

 これが格の違いなのだろう。



「羽琉、もう大丈夫なの?」

 3時限目が始まるタイミングで教室に戻った羽琉に気付き、声をかけたのは燈哉だった。近くに行って、羽琉に声をかけたかったのに燈哉のマーキングのせいで近づくことができなくて歯痒い思いをする。

「大丈夫」

 短く答えて自分の席についたのを見届けてメッセージを送って見る。

〈大丈夫?
 燈哉が今まで通りって言ってるけど、羽琉はどうしたい?〉

 燈哉の目の前で話しかけることも憚られるし、そもそもマーキングのせいで近づくこともできない僕に《燈哉の言う通りにする》とだけ送られてきたメッセージ。
 燈哉が言ったように羽琉が選んだのは僕じゃないと思い知らされるけれど、それでも諦めたような表情が気になってもう一度メッセージを送る。

〈大丈夫?〉

《大丈夫 ありがとう》

 短いメッセージに拒絶されたのかと思ったものの、目が合えば困ったような表情で何かを伝えたそうなそぶりを見せる。

 昼休みはいつもの場所でと言ったけれど羽琉のことが気になったのか、教室まで僕を迎えに来た政文はいつも通り弁当を並べるふたりを見て「結局、いつも通り?」と少し呆れた顔を見せる。

「それにしてもマーキング、凄いな」

 離れていても感じるほどのマーキングは独占欲の証。羽琉を手放す気はないという燈哉の意思表示。

「あれだけマーキングが強いとαもβも近寄れないな」

「政文も?」

「………俺は案外平気」

 僕は近づきたくないと思ってしまうけれど、平気だと言った政文はそれでも羽琉に近づこうとはしない。
 羽琉に声をかけたくてもそれができず、政文が動くかと期待したのにそんな様子もない。何もできずに羽琉を見ていた僕の視線に気づいたのだろう。

「大丈夫だから」

 メッセージと同じ言葉を繰り返された僕に、できることは何もなかった。



 結局、中等部の頃と変わらぬ日常。
 燈哉が毎日強いマーキングを施すせいで、羽琉に近付くこともできないし、気軽に話すことすらできなくなってしまった。

 側から見ていて燈哉は羽琉を大切にしているようには見える。
 学校にいる間は常に羽琉に寄り添い、離れようとしないし、マーキングは弱まることはない。だけど、燈哉からは羽琉以外の残り香も感じる。僕が気付くくらいだから羽琉だって当然気づいているだろう。

 今居がわざと香りを残しているのか、香りが残っていることに気付いていないのか、そもそも頓着がないのか、どんな理由があるのかも分からないし、羽琉にとって友達でしかない僕が今居の気持ちを聞くことなんてできない。
 だいたい、クラスも違うし接点だって無いのだから。
 だけどふたりで登下校をする姿を見て少しずつ少しずつ燈哉の気持ちを、涼夏の気持ちを代弁する者が出てきてしまう。

 燈哉は義務で羽琉と一緒にいるだけ。

 涼夏は燈哉と付き合いの長い羽琉に遠慮して我慢している。

 燈哉は本当は涼夏のことを大切に思ってる。

 涼夏は羽琉に燈哉に近付くなと言われている。

 ふたりの邪魔をしているのは羽琉の存在だ。

 何をどうすればそんな話になるのかと思うけれど、誰かが言い出した出鱈目は他人の口を介して真実味を帯びていく。
 マーキングの強さに引き摺られるように日に日に表情が乏しくなり、顔色の悪くなる羽琉を見ていればそんなのは誤解だと気付くはずなのに、人は自分の見たいモノしか見ない生き物だから羽琉の様子なんて目に映っていても見えていないのだ。

「燈哉、羽琉のマーキングキツすぎないか」

 僕があまりに心配するせいで政文が燈哉に釘を刺したのは羽琉が車に乗り込み駐車場から出て行ったのを見届けてから。
 政文の言葉に嫌そうな顔をした燈哉は待たせているであろう今居を気にしながら「お前らには関係無い」とその言葉を一蹴する。そして、明確な嫌悪を隠すことなく言葉を続ける。

「αのくせにΩを庇護する気がない奴らは余計な口を挟むな」

「それは、」

「伊織」

 燈哉の言葉に反論しようとして政文に止められる。止められなくてもどうやって言葉に表せばいいのかが分からず黙り込んでいただろうけど、それでも何か言いたくて行き場のない想いが渦巻く。

「燈哉は羽琉と今居、両方囲うつもりなのか?」

 燈哉の言葉のひとつひとつに苛立ってしまう僕と違い、政文は冷静に見える。僕たちの羽琉に対する気持ちの温度はどれくらい差があるのだろう。

「お前には関係無い。
 でも囲うのは羽琉だけだよ。涼夏は守りはするけど囲う気は無い」

「何だ、それ。
 お前、何様のつもり?」

「だからお前らには関係無いと言っているだろう。α同士で完結してる生産性のない奴らには分からないよ」

 政文の言葉がよほど気に入らなかったのか、明確な威嚇を向けられる。

「生産性って、羽琉とも今居とも生産性のある関係になるつもりなのか?」

「それは涼夏次第かな?
 羽琉は身体弱いし」

「それこそ羽琉の身体が弱いことを理由に今居と関係を続けるなら、羽琉との関係こそ生産性が無いってことにならないか?」

「羽琉との間に生産性なんて関係無い。
 羽琉は特別だから」

 当たり前のように告げられる言葉に羽琉に対する執着は有るけれど、羽琉に対する愛情を感じることができず、次の言葉を考えようとしても何を言うべきかが分からない。
 同じαであっても執着の仕方や執着の度合いは様々なのだろう。
 燈哉の執着の仕方が理解できない僕は途方に暮れてしまう。

「生産性が関係無いと言うなら俺たちの関係にも口を出すな」

「………先に口を出したのは伊織だろう?」

 いつの間にか羽琉に対するマーキングから話がズレてしまい、燈哉と僕たちの間に気不味い空気が流れる。

「もういいか?涼夏が待ってるから。
 それと、羽琉に対するマーキングを強くする気はあっても弱くする気は無い。
 羽琉は俺が囲う」

「羽琉の体調、ちゃんと把握してる?
 このままだと、」

「羽琉、頸が弱いんだ。
 毎朝、可愛い声を聞かせてくれるよ?」

 僕の言葉を遮り告げられた言葉に何も返すことができなかった。

 頸が弱い。

 可愛い声。

 その言葉が性的な意味を含んでいる事に気付きたくなかったけれど、ふたりの関係を見せつけるためにわざと言った言葉だったのだろう。想像されるのは面白くないけれど、それ以上に羽琉を支配しているのが誰なのかを思い知らせるための言葉。

「羽琉が望んでいるんだから関係無い奴が口を挟む必要はない。
 政文と伊織は付き合ってるんだろう?政文も伊織のこと、ちゃんと囲っておけよ。羽琉は俺が囲う」

 同じ言葉をもう一度繰り返し、「もういいだろ?」と言って僕たちに背中を向ける。
 その言葉が腹立たしくて、何もできない自分が悔しくて精一杯の威嚇を向けるけど、僕程度の威嚇に動じるわけもなくて政文に止められる。

「様子を見るしか無いな」

「政文は平気なの?」

「羽琉がそれでもいいと言ってるなら仕方ない」

「でも、」

「優先すべきは羽琉の気持ちだろ?
 それより大丈夫だったか、燈哉、かなり怒ってたけど」

「正直キツかった」

 敵わないと頭では理解していても、それでも自分が羽琉を守りたいと思うのは…きっと僕がαであるから。
 僕がもっと強いαだったなら燈哉から羽琉を奪えたのに。
 僕がαじゃなければ諦めることができたのに。

「何で僕はこんなに弱いんだろう」
 
 仕方ないと分かっていても口にしてしまった言葉。

「伊織は弱いわけじゃないよ。
 燈哉が強過ぎるだけ」

 慰めにならない言葉に「仕方ないのかな…」としか返せなかった。

 
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