Ωだから仕方ない。

佳乃

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僕たちの事情。

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「羽琉、おはよう」

 その日、車から降りた僕に声をかけてくれたのは政文と伊織だった。
 当たり前のように僕の鞄を持ってくれる政文と、僕を視診する伊織はまるで僕の保護者のようだ。

 この役目は本来燈哉のものだったはずだけど、燈哉がいない時は2人が声をかけてくれることが多い。もしかしたら燈哉が頼んでいたのかもと思いもしたけれど、昨日の今日で燈哉がそんな配慮をするとも思えない。
 登校時間なんてだいたいいつも同じだから、なんとなく気にしてくれていたのだろう。

 僕の姿を見つけた政文が鞄を持ってくれるのは割とあること。はじめて鞄を渡すように言われた時は自分で持つと抵抗していたけれど、「羽琉が鞄持ってると歩くの遅いからそれに合わせたくない」と伊織に言われてしまったのがことの始まり。

「顔色は悪くないね」

 そう言って安心したように言ったのは昨日の様子を見ていたからで、「ストレスのせいだからストレス溜めるなって言われた」と答えれば「溜めるなって言われてどうかできるもんでもないのにね」と笑う。

「今日から授業ってだけでストレスだし」

 そう言った政文は伊織に呆れられている。そんな僕たちに時々痛ましげな視線が向けられるのは気のせいだと自分に言い聞かせ、気にしていないふりで教室に向かう。

 昨日の今日だ、何もできずに逃げ出した僕は好奇の視線に晒されても仕方がないのだけれど、誰も何も言わないのは政文と伊織が一緒にいてくれるから。

「政文、伊織、昨日はありがとう。
 隆臣呼んでくれて助かった」

 その視線の理由を聞く勇気はないけれど、それでも2人のしてくれたことが嬉しくて謝意を伝える。

「うん。
 あ、でも隆臣さんに言っておいて。
 友達が調子悪いって連絡しただけで菓子折り持ってこなくていいって」

「うちも。
 友達保健室に連れて行っただけでお礼とかいらない」

「それ、きっと高等部でもよろしくお願いしますってご挨拶だよ」

 僕には優しい言葉を隠している隆臣だけれど、こうやって僕の環境を気にして軋轢を生まないように必要以上に気を遣ってくれるのを知っているからあまり余計な心配をさせたくないんだ。
 そして、そのことを政文も伊織も理解してくれている。

「そっか」

「じゃあ、ありがたく」

 そう言って2人が笑う。
 今までにも何度か繰り返したやりとりだし、それを言われて隆臣の菓子折り攻撃が止まらないのはお互いに分かってはいる。分かってはいるけれど、それが目当てじゃないし当たり前のことをしてるだけだと言いたい2人と、重々承知だけどそれでも謝意を伝えたい隆臣の気持ちを伝えたい予定調和のやりとり。
 昨日、隆臣が僕のそばから離れることはなかったから診察を受けているときにでも手配していたのだろう。

「今日って昼、どうする?」

 新年度が始まったものの持ち上がりの生徒が多いため政文が言っていたように入学式の翌日から授業が始まる。
 学食もあるけれど、僕が人目に晒されるのを嫌う燈哉のせいでいつも弁当持参なのを知っている2人は「今日、弁当持ってきてるんだ」と笑う。

「慣れるまで学食、混みそうじゃない?」

「中等部とメニュー違うから普段食堂行かない奴まで行きそうだし」

 そんな風に言っているけれど、その時間はいつも燈哉と過ごす僕のことを気遣ってだろう。昨日、あれから何があったのかは聞かないし知りたくもないけれど、2人のこのやりとりがあの後の出来事を連想させる。

「隆臣に持たされたから弁当だよ」

 そう言えば「じゃあ、一緒に」といつの間にか約束をさせられていた。

「でも僕、邪魔じゃない?」

「じゃないよ。
 僕は羽琉と一緒だと嬉しい」

「オレは伊織と離れるつもりないから当然だけど、それが無くても羽琉のことは放っとけない」

「それ、僕の前で言うこと?」

 勘違いしそうな政文の言葉に伊織が頬を膨らませる。普段は済ました顔をしているくせに、政文の前でだけ見せるこの顔を見れるのは役得かもしれない。

「だって、伊織だって同じだろ?」

 要するに、伊織だって政文と離れるつもりはないけど、僕のことを放っておくことはできないはずだから3人で一緒に過ごすことは必然だと言いたいようだ。
 もちろん、伊織もそれを理解しているからただイチャイチャしているだけのこと。

「相変わらず仲良いよね」

 Ωを番にする気はないと公言している2人は僕に対して友達というスタンスを崩すことはない。彼らにとってαだとかΩだとかそんなことは関係なくて、僕のことはただただ幼稚舎から知っている身体の弱い友達というスタンスだ。

 彼らにとって僕は【庇護するべきΩ】ではない。

 Ωに対するマナーは当然守ってくれるけれど、Ωだからと過保護にするわけでもない。
 鞄を持ってくれるのはただでさえ歩くのが遅い僕に歩調を合わせたくないだけらしい。
 時には必要以上に過保護にしたがる燈哉を戒めてくれたりする大切な存在。

「それは否定しないよ」

 伊織の言葉に政文も頷く。

「でもパートナーは別で考えると1番仲良いのは羽琉だと思うよ。
 僕も政文も」

「………ありがとう」

 ストレートな言葉に照れてしまう。
 本当は僕も同じ気持ちだと言いたかったのだけれど、僕には〈パートナー〉と呼べる相手がいないことに気付き言葉を選ぶ。
 いずれ番になると思っていた燈哉が僕じゃない【唯一】を見つけてしまったせいで僕は宙ぶらりんな存在になってしまったから。

 これが昨日の朝なら燈哉を思い浮かべながら「僕も同じだよ」と答えることができたのに、今の僕はパートナーどころかパートナー候補もいなくなってしまった言わば【野良Ω】だ。
 そんなふうに卑屈なことを考えながらも歩みを進めていても人の視線が気になってしまう。それでも今の僕には2人から離れる勇気はなかった。

「席はとりあえず名簿順のままだって」

 教室に着くと伊織が教えてくれる。
 クラスの別れてしまった政文が自分の鞄をクラスメイトに託して着いてきているのは僕の鞄を持っているから、ではなくて少しでも伊織と一緒にいたいだけだろう、きっと。

 伊織とは名簿が近いため当然だけど席も近い。幼稚舎の頃から知っているだけでなく、クラスが同じになる度に席が近くなるせいで仲良くなったけれど、それがなければ仲良くなれなかったかもしれないのは基本的に伊織がΩを苦手としているから。
 
 αである伊織だけど、外見だけ見るとあまりαに見えない。
 一般的に外見でαだと判断される人は男女問わず平均よりも身長が高く、眉目秀麗であることが多い。
 政文も燈哉も、もちろん平均よりも色々と飛び抜けている。

 そんな政文と一緒にいるせいもあるけれど、平均的な身長の伊織は小さく見えるし華奢に見える。
 実際にΩらしいΩの僕と並べば全く違うのだけれど、政文と並ぶとその華やかな容姿と相まってΩに見られることも多く、中等部の時も伊織をαだと知らない後輩はふたりを番だと勘違いしていた。

 αらしいαの政文の隣に立つΩのように見えるαの伊織。
 【αらしいαが欲しいΩ】もいれば【Ωのように見えるαが欲しいΩ】もいるわけで、「自分こそが政文」に、「自分こそが伊織に」相応しいと近づくΩも少なくなかったらしい。
 高等部に入った今でこそ少しずつ分別が付くようになったけれど、中には「αとαよりも、αとΩの方が相応しい」と言って2人を同時に狙ったヒートアタックを起こされたこともあると聞かされた時には自分もΩなだけに本気で申し訳なく思い謝ってしまった。

「羽琉はそんなはしたない子になっちゃダメだからね」

 そう言いながら「でも、羽琉が謝る必要はないからね」と2人は笑ってくれた。

 ちなみに、政文を狙うのは男性Ωが多く、伊織を狙うのは女性Ωが多いらしい。

「αの伊織君よりもΩの僕の方が色々な意味で政文君を満足させられると思います」

「伊織君はαなんだからΩの私といるのが自然だと思うの」

 そんな勝手な主張を繰り返されたらΩが苦手となっても不思議ではないと思うけれど、政文は「あの子たちも色々と必死なんじゃない?」とあまり気にしてはいない。

「どんなΩのフェロモンよりも伊織の威嚇の方がクル」

 そんな風に得意そうに言っていたけれど、ヤキモチを妬いた伊織が放つ威嚇が自分には心地良いと言いたいようだ。
 政文の中では【Ωのヒートアタック=伊織の威嚇】らしく、発情したΩを残して威嚇を放つ伊織を連れ帰ることが至福だと力説して「変態」と冷たくあしらわれていた時にはちょっと引いた。
 そういえばあの時に燈哉はなんと言っていただろうか。

「俺は羽琉だけだから」

 そんな言葉が頭の中に響く。
 結局、中等部にいる間にヒートを迎えることの無かった僕は、燈哉と身体を重ねることのないままだったから今の状況で痛みを感じるのは気持ちの面でだけ。
 ヒートを共に過ごしていたら、頸を噛まれていたらもっとショックが大きかっただろうな、と他人事のように考えてしまったのは燈哉が顔を見せたから。

「おはよう」

 そう言って僕たちが話す話の中に入って来た燈哉はいつもと変わらない外見だったけど、本人は知ってか知らずか身に纏う香りがその変化を告げる。

 燈哉のフェロモンと纏わりつく別の香り。

「今日、駐車場に着くの早かった?
 行ったらもういなくて焦った」

 自分の変化に気付いていないのか、何事もなかったかのように話す燈哉が知らない誰かみたいで、その纏わりつく香りが気持ち悪くて燈哉から逃げようとするけれど、それは伊織に止められた。
 そっと僕の腕を押さえた伊織と、立ち上がって燈哉の視線を遮る政文。
 
 政文と伊織にも燈哉が纏うものを感じることができたのだろう。「ちょっと燈哉、いい?」と燈哉を引っ張りどこかに行く政文と、それを見て気遣わしげな視線を僕に向ける伊織。

 あの香りと相まって決定的な何かを察する。

「やっぱりそうなんだ?」

 僕の言葉に伊織がこくりと頷いた。


 
 







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