幼馴染は僕を選ばない。

佳乃

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郁哉

腐れ縁は腐った縁。

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「本当は嫌いなんだよね…」

 そう呟いたのは大好きな彼だった。

「じゃあ、何で付き合ってるの?」

「…腐れ縁?」

「それ、酷くない?」

 彼の声と共に聞こえる笑い声は、最近彼と仲良くしているあの子。

 転校生だったわけでも休学していたわけでもないあの子のことは今までも側に居たはずだけど、認識はしていたけれど、特に交友を持つこともなくこのまま接点のないまま卒業するはずだったあの子。

 きっかけなんて知らない。
 最近、僕のことを避けるようになった彼からは何も聞かされていないけれど、気付けば僕の居たはずの〈彼の隣〉はあの子の場所になっていた。
 高校3年になり、そろそろ本格的に進路を決めなくてはいけなくなったから相談したかっただけなのに、決定的な何かを見せられてしまった気がした。

「でも仲良かったよね?
 いつも一緒にいたし」

 また聞こえてくるあの子の声。
 聞きたくない言葉を聞かないふりする事ができず、聞き耳を立ててしまう。

「腐れ縁?
 中学の頃は確かに一緒にいても楽しかったんだけど、高校入って暫くしたら違うって思ったんだよな…。
 一緒にいても面白くないけど行く場所も帰る場所も同じだからそのままズルズルしてただけ。
 こんな縁、腐って途切れれば良いのに」

 もしかしたら僕じゃない誰かの話かもと期待したけれど、行く場所も帰る場所も同じなのは僕だけだ。
 避けられていたのではなくて嫌われていたのだと改めて認識させられてしまい、僕は彼に声をかけることを諦めてその場を離れる。

 大学、どこに行こうかな…。

 帰りながら考えたのは自分の将来のことで、嫌われていたことを認めたくはないけれど、嫌われていた事実は受け止めて自分の進路を自分のために考えようと頭を切り替える。
 聞き分けがいいわけじゃないし、何も思うところがないわけじゃない。
 ただ、そうやって無理やり頭を切り替えないとどうしていいのか分からなかっただけ。
 
 学力は彼よりも僕の方が上だった、と言っても今の段階では同じ学校に行くには何の問題もない。幼稚園の頃から一緒にいたから大学も当然同じところに行くつもりだったのは僕だけだったみたいだけど。
 僕はもう少し上を目指せるけれど、彼の学力では少し心許ないから彼に合わせるつもりだったんだ。
 地元ではそこそこの大学。自宅からは少し遠いものの、通うことの可能な大学。
 4月から自宅通学をしてみて無理があれば2人で部屋を借りるのも悪くないと思っていたのもどうやら僕だけだったらしい。
 悲しくないと言えるほど強がることはできない。だけど、彼を問い詰める強さも、あの子のいる場所を取り戻す強さも僕は持ち合わせていなかった。

 中途半端に賢い僕は2人に見つからないように校舎から出て、そのまま帰路に着く。ここでグズグズしていたら彼に会ってしまうかもしれないから急いだ方がいい。だって、彼の家は同じマンションなのだから。

「自然消滅狙ってたのかな…」

〈嫌い〉とあんなにもはっきりとあの子に告げたと言うことは、彼はもう僕と以前のような付き合いを続ける気がないのだろう。
 彼はもう付き合っていると思っていなかったのかもしれないけれど、彼は僕のことを嫌いと言っていたけれど、僕たちはいわゆる恋人関係だった。
 そして僕は、その関係はまだ継続していると思っていた。

「腐れ縁じゃなくて腐った縁なんじゃないか」

 自分で言って笑ってしまう。

 中学を卒業した年の春休み。高校が決まり入学式までの日々は入学式に提出するようにと出された課題に追われ、時間が合えばどちらかの家で勉強をしていた時に彼から告げられた言葉。

「好きなんだ」

 そう言われて「僕もだよ」と軽く答え、再び課題を進めようとした時にその手を止められた。僕が答えを書こうとした手に彼の手が重なり、抗議しようとして顔を上げた僕の唇に彼のそれが重なる。
 何が起こったのかわからず動きが止まる僕をみて、彼はクスリと笑う。

「俺の好きって、こういう意味なんだけど?」

 そんなふうに思われているなんて全く気づいていなかった僕は、さぞかし間抜けな顔をしていたのだろう。

「ねぇ、郁哉の顔真っ赤だよ」

 そう言って笑った彼、晴翔はとても満足そうで「何でファーストキスが晴翔なんだよ…」とショックを受ける僕の言葉を聞き、嬉しそうな顔を見せた。

「郁哉の初めては全部俺がもらうから」

〈好き〉と言われた言葉に返事を返してもいないのに当たり前のように言われ、少し苛つく。

「…今日は帰る」

 晴翔の言葉には答えず、自分の勉強道具をまとめる。動揺と羞恥でこのまま宿題を続けることなんてできないのだから僕の判断は正しいはずだ。

「また明日な」

 僕が晴翔を意識しているのが嬉しいのだろう、玄関まで着いてくる彼は嬉しそうにニコニコ笑う。

「何でそんなに笑ってるんだよ」

「ん?
 郁哉が可愛いなぁと思って」

「……」

 何も返す言葉が無くて「明日はまだ分からないから」と〈約束〉をする事なく玄関を出る。否定的な言葉を告げた僕に、それでも笑顔な晴翔は意識されている事自体が嬉しいのか笑顔のままだった。

 その日、同じマンション内の別のフロアにある自宅に戻りそのまま自室に向かう。突然キスされたせいで予定通り進める事ができなかった課題を進めようと机に向かうけれど、シャーペンを持つと重ねられた手を思い出してしまい、重なった唇を意識してしまう。

「何で晴翔がファーストキスの相手なんだよ…」

 自分の思い描いていたものと全く違ってしまったそれに嫌悪感はないけれど、嬉しくもない。
 晴翔の言葉から判断すると、僕は彼氏彼女で言えば彼女の立場になるのだろうか?
 晴翔のことは好きだけど、僕の好きと晴翔の好きはきっと違う。

「明日、どうしよう」

 晴翔の言った「また明日な」を思い出して憂鬱になる。行かなければ拒否したと思われそうだけど、行ってしまえば受け入れたと思われてしまうかもしれない。

 翌日、当然だけど晴翔の家に行く気になれず、朝から何度となく入るメッセージにも答える事ができず、自分の家から出ることなく課題を進める。
 両親共に仕事に出てしまえば家の中は驚くほど静かだ。
 正直な話、晴翔から好きだと言われても自分が思っている〈好き〉の気持ちと違い過ぎて困惑しかない。言われた事に対して嫌悪感は無いし、ファーストキスを奪われた事に腹立たしさは感じるけれど、冗談だと言われればノーカンだと苦笑いで許すこともできる。だけど、冗談ではなくて意味のあるものだと言われてしまうと困惑しかない。

「4月からどうするんだよ…」

 同じ高校に通うことは決まっているのだから無視はできない。同じ中学から通う友人も多いため晴翔のことをさりげなく避けることも難しいだろう。
 それならば好きな人がいると告げて無かった事にしようかと思っても、今までの付き合いでそんな相手がいないことはバレバレだ。
 いつものペースで進めたいのになかなか進めることのできない課題。置きっぱなしのスマホはメッセージなのか着信なのか、ひっきりなしに振動が伝わってくるけれどそれが誰からで何の用事なのかを確認するのが怖い。

「コンビニ行ってこよ…」

 誰かに話しかけたわけではない言葉は口に出すと行動する気になるから不思議だ。スマホを手にすると振動が伝わってくるけれど、それを無視して財布を掴む。電子マネーを使いたかったけれど、誤って電話に出てしまいそうで諦めた。スマホは留守番だ。

 マンションの下にコンビニがあるのはとても便利で、両親共に働きに出ている我が家の貴重な食糧庫だ。
 スーパーに行ってしまうと目移りして買い過ぎてしまうため、必要なものだけを購入できるコンビニにはお世話になりっぱなしである。
 昨日の晴翔の言葉の意味を考えていないわけではない僕は、考えていないどころか色々と考え過ぎてしまっている僕は、結果食欲がなくて梅のおにぎりとヨーグルトだけ購入して家に戻る。ふたつしか買っていないからそのまま手に持っている姿は何とも間抜けだけど仕方ない。

「コーヒー買えばよかったな」

 家にお茶があるからと敢えて買わなかったけれど、何となく声を出したくて呟いてみる。いつもなら何だかんだと晴翔と会話しているけれど、晴翔と会わなければ両親の帰宅まで声を出さない事だって可能なのだ。
 エレベーターの前に立ち、降りてくるエレベーターを待つ間にも昨日のことを思い出してため息が出てしまう。このまま逃げ回ることはできないけれど、それでも逃げ出してしまいたい。

「郁哉」

 エレベーターが止まり、降りる人がいないかと確認しようとして中から聞こえた声に動きが止まる。

「はる、と?」

 同じマンションに住んでいるのだ、こんなことを想定していなかった自分を情けなく思い、思った以上に情けない声が出てしまう。朝から連絡を無視している身としては逃げたいのに逃げる事ができず、エレベーターに乗り込むのも躊躇われる。

「なに?
 昼飯?」

 優しそうな声を出すけれど、目は笑っていない。

「俺も買ってくるからちょっと待ってて。うちで一緒に食おう」

 会わなければ連絡をスルーしてやり過ごせたけれど、会ってしまったらそうも行かないだろう。閉じてしまったエレベーターの扉を恨みがましく見ながら晴翔が戻ってくるのを待つ。
 このままも家に戻ったら怒るだろうな、と思いながらそうする自分を思い描き、怒った晴翔が家に押しかけてくるところまで考えて諦める。
 今でさえ怒っている晴翔をこれ以上怒らせるのは得策ではない。

「何だよ、まったく…」

 手で持ったままのおにぎりとヨーグルトがやけに重かった。




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