伯爵様のひつじ。

たつみ

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後編

羊飼いに牧童に 4

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 なにからなにまで上手くいく、とは、ファニーも思っていない。
 新しい国を創るのだから、難しいことも多々あるはずだ。
 伯爵領の領民はファニーだけだが、男爵領にはリセリア人が多くいる。
 中には、奴隷を使っていた者もいるだろう。
 
 奴隷となっていたゼビロス人だって、リセリア人に思うところがあるに違いない。
 互いに、すぐさま手を取り合えなくてもしかたがないのだ。
 
(でも、伯爵様が創る国だもん。時間はかかっても、共存していく道を進めるよね)
 
 理想は理想で、現実にはならないこともある。
 けれど、どうしようもないと手を上げてしまったら、なにも変わらない。
 理想を諦めるより、模索し続けたほうが前向きだと思えた。
 
「新しい国……名前は決まってるんですか?」
「パスカル公国にしようかと思ってはいます」
「こーこく? 帝国じゃないんですね」
「建国時の在り様として、統率する君主は必要ですが、皇帝だの国王だのというのは大仰に過ぎて、新国家には不似合いだと考えました」
「伯爵様が統治されるんでしょう?」
「まぁ、最初はそうならざるを得ません」
 
 伯爵が、苦笑を浮かべる。
 リセリア帝国建国時も、皇帝にはならなかった人だ。
 頭に冠を乗せるのを好む人柄ではないと知っている。
 なので、ちょっぴり笑ってしまった。
 
「伯爵様は、欲がないですね」
「そうでもありませんよ」
「そうなんですか?」
 
 伯爵の欲深い姿なんて想像もできない。
 多くの貴族たちが望むような、富や権力を欲しがるとも思えずにいる。
 
「私は、それほど清廉ではありませんからね」
 
 ちらっと、伯爵が視線を投げてくる。
 いつも通り金色の瞳は優しいが、なにか言いたげでもあった。
 
 とくっ。
 
 あの不思議な感覚が胸に広がる。
 激しい鼓動はないのに、気持ちだけが高揚しているのだ。
 最近は、こうなることが増えていた。
 
 なにも起きなかった2ヶ月。
 みんなと他愛もない日々をおくっている。
 伯爵と2人きりで過ごすことも多かった。
 伯爵の見せてくれる姿に、笑ったり驚いたり。
 
 いつもいつも憧れていた人が、現実として隣にいる。
 今もこうして手を繋いでいる。
 これは自分の中の夢想ではないのだ。
 
 意識すると、急に恥ずかしくなってくる。
 
「く、君主ってことは、国を治めるかたになるってことで……そうなると、大変なこともあるし……ぇえっと……だから、清廉ってわけにも……」
 
 しどろもどろ。
 
 伯爵を見ていられなくて、思わずうつむいた。
 改めて思ったのだが、伯爵の爵位はリセリア帝国から与えられている。
 今後、伯爵は伯爵ではなくなるのだ。
 新しい国の統治者、君主となる。
 
(うわぁ……伯爵様より、もっと身分違いになっちゃうんだ……)
 
 こんなふうに手を繋いでいられるのも、あと少しかもしれない。
 隣の家に伯爵がいる毎日も、そのうちなくなるのだろう。
 伯爵といる時間が増えていただけに、いっそう寂しくなる。
 
「ファニー、私のなりたいものがわかりますか?」
「なりたいもの? 伯爵様は君主になるんでしょう?」
「ですが、それとなりたいものは異なります」
「なんですか、伯爵様のなりたいものって」
 
 伯爵は、もう法の番人になりたいとは思っていない。
 国の安寧と、民の暮らしを見守り、良い方向に導くことを考えている。
 きっと、そのために新しい「法」を作っているのだ。
 
「私は、羊飼いになりたいのですよ」
 
 羊飼い。
 
 その言葉に戸惑ったが、元々、伯爵は羊が好きだった。
 君主になっても、羊を愛でる気持ちは変わらないということだろうか。
 とはいえ、君主の座を放り出して、羊飼いにはなれない。
 
(なりたいっていうのと、なるっていうのは違うもんね。本当になりたいのは羊飼いだけど、なるのは君主様ってことかな)
 
 おそらく、そういうことだと思った。
 いずれ国が安定し、後継者ができて、その座を退しりぞく時が来たら、伯爵も好きなことができるようになる。
 羊飼いにだってなれるかもしれない。
 
「本当に、伯爵様は羊が大好きですよね。ずっと先になるでしょうけど、きっとなれますよ、伯爵様なら。その時は、私もお手伝いしますね」
 
 ずっと伯爵と一緒にいたかった。
 だが、これから伯爵は新しい国を創っていく人なのだ。
 誰もが安心して暮らせる国になればいいと、ファニーも思っている。
 
 いつか妻や子供を連れた伯爵が牧場を訪ねて来る日まで、伯爵の大事な羊の世話をしっかりしておくことが、自分の役目。
 
 きゅっと胸が痛むのを無視して、伯爵に笑ってみせた。
 そのファニーの前に、伯爵がしゃがみこむ。
 夕陽に海面が、きらきらと輝いていた。
 
「あなたは牧童であり、羊飼いとなる私の隣に最も相応しい女性です」
「伯爵様……???」
 
 伯爵の金色の瞳が揺らいでいる。
 伯爵らしいとは言い難いほど、言葉は曖昧で、つたないとさえ感じられた。
 
「私の可愛くて愛おしい羊……ああ、いえ、そうではなく……」
 
 伯爵はファニーを見上げ、しばし黙り込む。
 それから、意を決したような表情を浮かべて言った。
 
「私が愛おしいのは、あなたなのです、ファニー」
「え……羊……」
「羊も大事ではありますが、私が愛しく思う羊は……あなただけですよ」
 
 伯爵には、本当に驚かされてばかりいる。
 思考が止まり、理解が追いついて来ない。
 
「もし、あなたが、今でも私に好意を寄せてくれているのなら、そして、それが私と同じ恋と言う感情であるならば、どうか……私とともに歩む人生を……婚姻を……検討していただけませんか?」
「伯爵様が私に、恋……? でも、私にさわるのを嫌がってたみたいですし……」
 
 ここに至っても、ファニーは自分が「夢想」しているのではと疑っていた。
 伯爵と離れる寂しさから、幻想を見ているとしか思えずにいる。
 
「それは……力加減がわからなかったからです。あなたは小さくて細くて、私が抱きしめたら怪我をさせてしまうのではと」
 
 ファニーの頭に、ゼビロスに行った時のことが蘇った。
 カーリーは、やけにファニーの「頑丈さ」を確認していたのだ。
 あれは、伯爵が「力加減」を気にしていたからかもしれない。
 
「伯爵様は、本当に……?」
「この言葉が負担にならなければいいのですが……ファニー、あなたを……愛しています」
「でも、私は平民で……」
「あなたはあなたのまま、変わる必要はありません。私が身分にこだわっていると思いますか?」
 
 そう言われると、こだわっていたのは自分だけに思える。
 伯爵は皇帝の冠さえ蹴飛ばすような人だった。
 胸の奥が、じんわりと熱くなってくる。
 
「私は子羊じゃないですよ?」
「子羊よりも、ずっと愛おしい存在です」
 
 ヴァルガー侯爵令嬢が訪ねて来た日、伯爵は女性の扱いに慣れていないと言い、ファニーに話し相手を任せた。
 今、伯爵の瞳には、不安と緊張が漂っている。
 うっすらと耳の端が赤くなっていることにも、やっと気づいた。
 
 そして、実感する。
 
 伯爵の言葉は、自分の夢想からのものではなく、現実だ。
 とくっとくっという鼓動を感じながら、伯爵の金色の瞳を見つめて言った。
 
「私も伯爵様のことが大好きです。伯爵と同じ意味で、すごくすごく好きですよ」
 
 ぱぁっと伯爵の表情が明るくなる。
 ファニーの前にしゃがみこんだまま、気恥ずかしそうに笑っていた。
 そんな表情は、初めて見る。
 
「伯爵様、力加減なんて気にしなくて大丈夫です!」
 
 ファニーは、ふわっと伯爵の体に飛びついた。
 伯爵は受け止めてくれたが、驚いているようだ。
 
「ほら、私は頑丈でしょう? それに……伯爵様の羊は、とても勇敢なんですよ」
 
 言って、伯爵の唇に自分の唇を重ねる。
 その言葉をどう受け止めたのか、伯爵が、ぎゅっとファニーを抱きしめてきた。
 幸せにひたるファニーの耳に、カーリーの言葉が蘇る。
 
 『いずれファニー様がこれまで語られてきたことが現実になる日が来るでしょう』
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みんなの感想(3件)

cana
2023.09.06 cana

今回は自分の心と体力を守るべく、万全の体制で読みました。余裕が有ったせいなのか、考えながら大切に読んだ気がします。

何時もだと先を急いで読み進め、食らってしまい、改めて細部を味わいながら読みます。そして、登場人物の行動の意味や話の流れを俯瞰で理解する。「ああ、こういう事だったのだな」と。でもそれは私の気付きで、そこから何を読み取るかは人によって変わるのだと思います。

「伯爵様のひつじ」はまず対句になっている各話の表題で、のめり込む前に考えてしまいました。どういう意味なのかと。読む毎に答え合わせをしている感じでした。タイトルにもなっている「伯爵(神)様のひつじ(人)」の意味とか。ストーリーより主題を追っていたかも。各話毎に、頷いてしまう様な人(ひつじ)の行動や心の機微。共感はするけれど、心は震えなかった。登場人物の行動の意味よりも、言葉の真意を追ってしまいました。それはそれで、楽しめましたが。
唯一、震えたのはミナイが殺されたところ。自分の力量いっぱいで、信念を貫いた彼が切ない。

たつみさんが描く登場人物はいつも自分を疑っている。そして、2面性を持っている。
神のように何でも持っているのに、心は迷える子羊の様。
人は非力で迷いながらも潔く、心に信念を持つ。
双方が幸せに対して貪欲で、弱い自分と戦っている。

他の人はどうだか分かりませんが、私は揺れる心が好きです。
弱さともいうのでしょうか。そこに心惹かれる。そして、食らう。笑 
だから、たつみさんの物語はどれも好きです。
そしてここでも言う。ラフロは嫌い。迷わないから。笑

今回、読む体制が違った事と、1回目なので、感想は変わるかも。
生意気な事を言ってしまいました。聞き流して下さい。

次回作が楽しみです。
応援しています。




解除
cana
2023.09.05 cana

やっと読める。
経験からいって、真剣勝負のようになるので時間を取りました。
これから読み始めます。楽しみです。

たつみ
2023.09.12 たつみ

いつもありがとうございます。
お時間を作ってお読みいただけることに感謝です!
少しでも楽しんでいただけることを願っております。

解除
にいな
2023.08.11 にいな

後編の投稿ありがとうございます😭
楽しみにしていました!

たつみ
2023.08.11 たつみ

お言葉ありがとうございます♪
そう仰っていただけると、更新するのも楽しくなります!
両片思い風、牛歩な2人を笑って見守っていただけると幸いです。

解除

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